見出し画像

結婚も仕事も「経済的」だから面白い! #山崎ナオコーラによる線のない映画評

 作家の山崎ナオコーラさんが綴る、映画をテーマにした連載エッセイ。今回は、人気若手俳優が結集し、L・M・オルコットの名作文学『若草物語』を映画化した『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』('19)。について書き下ろしてもらいました。

文=山崎ナオコーラ @naocolayamazaki

 グレタ・ガーウィグ監督による『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、『若草物語』『続 若草物語』をリミックスした作品だ。
大人になった「今」と少女時代の「少し昔」が交錯して進んでいき、するりとは追えない箇所もあるかもしれない。でも、追えなくたって構わない。話自体はシンプルだし、雰囲気にガッツリ浸るだけでも十分なくらいだし、とにかく、ラストだ。ラストが秀逸で、終わった途端、「あ、傑作だ。映画化成功だ!」と思えるだろう。

 正直、私は前半を観ていたとき、「この映画化はイマイチかも」と思ってしまった。けれども、後半に入ってから、急に引き込まれて、「わかる、わかる」「これは、大人と少女を交錯させた意味がある」「傑作だあ」と興奮した。

 それで、何度も映画化されている『若草物語』の1994年版(下写真)と、'49年版、それからアニメ版も何話か見返した。そして、小説『若草物語』『続 若草物語』も読み返した。なんだか夢中で数日を過ごしてしまった。それぞれ、全然違う作品で、見比べるとそれぞれの意義が感じられるので、時間に余裕がある方には、比較をお勧めしたい。

画像1

 『若草物語』は有名な文学作品だから、舞踏会に憧れていて華やかだが世話焼きで善良なメグ、作家志望でボーイッシュなジョー、ピアノが好きでおとなしく優しいベス、絵が好きでわがままでかわいいエイミーの、キャラが立った四人姉妹が、南北戦争中のアメリカで送る少女時代の物語……ということをなんとなく知っている人は多いだろう。コアなファンも結構いる。

 私は、小学生時代にアニメを見て、中学生時代に続編まで含めて全部読んでいる。かなり好きな方だと思う。そして、こういった何人かの少女が出てくる物語を読むときにありがちなことで、私はキャラクターに好き嫌いの判定を付けながら読んでしまっていた。私は、ジョーとベスが好きで、メグとエイミーが嫌いだった。

 それと、私は中学生の頃、『赤毛のアン』『大草原の小さな家』など、いわゆる「ノスタルジックな少女もの」を愛していて、自室をカントリー調にしようとしたり、自分がアメリカやカナダに住んでいるつもりで暮らしたりしていた。そうして、それらの本の続編も読み続けた結果、思ったのは、「大人になるのはつまらないな」ということだった。

 まあ、小説でもマンガでもドラマでも映画でも、最初の作品よりも続編が面白くなるのは難しいものだ。けれども、それを差し引いても、あんなに面白くて個性的だった少女たちが、大人になるとどんどん「善い人」になって、落ち着いたしゃべり方をし始めて、先生の立場になったら一般的でありがちなことしか言わなくなり、家では家事に励んで普通に家族の世話をするものだから、「こんなに面白い少女なんだから、きっとものすごく面白い大人になるに違いない」と思って読み進めていた身には、がっくりきてしまう。

 『若草物語』の原作は、けっこう思索的で、キリスト教の色が濃い。人種差別や性差別に対する作者の意見もにじんでいる。たとえそれらの意見に賛同できなくとも、その思索的な文章がかなりの美文なので、意見がどうのというより、文章の美しさにうっとりする。また、ジョーがかんしゃく持ちで、なかなか自分の理想の人間になれずに葛藤するところに、共感もするし、魅力も感じる。『若草物語』は、キャラ設定、エンタメ的展開だけでなく、地の文にある思索も面白いのだ。思索と日常の乖離(かいり)が面白い。だけれど、やっぱり、ジョーも成長してしまう。

 ただ、この映画を観て、私のこれらの少女時代の懸念の多くが払拭(ふっしょく)された。

画像2

 この映画で得た私の一番の収穫は、メグとエイミーを好きになれたことだ。メグ(エマ・ワトソン)、エイミー(フローレンス・ピュー)の演技が素晴らしいのはもちろんだが、それ以上に脚本がうまい。説得力がある。エイミーの「結婚っていうのは経済的な問題なの」というセリフ。この時代に生きて、どう思って結婚するのか、結婚して貧乏になることや金を得ることをどう感じるのか、びしびし伝わってくる。一所懸命に生きている。

 経済問題を考えられるようになるのは、やっぱり、大人になってからだろう。少女時代の終わりは悲しいものだと思っていたが、経済問題を考えられるようになると思えば、むしろ喜ばしいのではないか。だって、経済問題は、面白い。ひと昔前なら、「愛があれば、お金なんて関係ない」「ボーイッシュな少女は先進的だから、自分で人生を切り開く」というだけの物語だったと思う。

 でも、今は違う。「お金は関係ある。貧乏だからこそ、面白い」。「ボーイッシュな少女は、べつに時代を進めるために存在しているのではない。弱さを抱えながら、自分のために生きている」のだ。

 金は、言葉と同じくらい面白いコミュニケーションツールだ。この映画の中で、新婚のメグは、見えから50ドルもする高価なシルクの布を買ってしまう。「もう貧乏にはあきちゃった」と夫をなじり、夫婦関係に悩むシーンが描写される。一騒動の後、この夫婦はより仲良くなる。これは原作にもあるのだが、地味なシーンだし、映像化されることがこれまでにはなかった。原作には「そしてメグは貧乏なるがゆえによけいに夫を愛することができるようになった。」(吉田勝江訳『続 若草物語 』“角川文庫“)という一文がある。貧乏によって、金のコミュニケーションが複雑になるが、そのコミュニケーションがあるからこそ、より家族の結束が強まる。そう、貧乏を気にしないのではない。貧乏は面白いのだ。

 それから、小説『若草物語』が発表されてからこれまで長い間、ジョーが、幼なじみかつ王子様のようなローリーを結婚相手に選ばなかったことに、多くの読者がいらいらしてきたと思う。私も、エイミーに勝手に悪感情を抱いて、ジョーの行動をもどかしく思ってきた。

 けれども、金持ちのローリーを夫にしたら、ジョーは自分の作家人生の先が見えてしまう。たとえ、金持ちの奥さまとして、趣味のように執筆を続けられたとしても、ドキドキしながら未知の世界に行くことはできなかっただろう。また、ローリーを相手にしたら、自分のタイミングで結婚することもできない。「プロポーズを待つ」というのは、性差別から起こることだ。特定の性別にしか結婚のタイミングを探れないのはおかしい。誰だって、自分の仕事のタイミングで結婚をしたいものだ。

 だから、ローリーのタイミングに合わせてジョーが結婚することを応援するのは、ジョーの仕事を低く見積もることになる。ジョーが、小説の仕事の道を定めたときに、やっと結婚がしたくなるのは、人間として当たり前だ。

 小説の執筆も、経済問題だ。これまでの時代では、「金を目的にするのではなく、純粋に文学に取り組まなくてはならない」という考えが主流だったように思う。けれども、この映画の中で、ジョーは経済的な問題を絡めて文学に取り組んでいる。金だけを目的としたスリラー小説を書くのはやめるが、身近な題材を手にしてベスのために書き始めた後も、金から離れることはない。

 長時間ペンを持つ右手が痛くなって、左手で書き始めるシーン。出版を進める中、印税5%を出版社から打診されて、10%を主張し、6.6%に決めるシーン。著作権を握り締め、活版印刷を見届けるシーン。装丁が出来上がるのを見届けるのは圧巻だ。「LITTLE WOMEN」の活字が組まれたのを見たとき、観ている私たちも心が震える。経済が動き、多くの職人が自分の想像に関わってくれ始めたことがうれしいのだ。

 結婚なんて、してもしなくてもいい。仕事も、してもしなくてもいい。でも、大人になって、経済問題に直面することは、少女時代の夢想よりも面白い。

画像4

 長年私が思ってきた、「世俗的な女の子はつまらない」「いくら面白い少女時代を送っても、大人になったらつまらない」ということを、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は払拭してくれた。

ナオコーラさんプロフ201127~

▼作品詳細はこちら

▼山崎ナオコーラの『映画マニアは、あきらめました!』過去の記事はこちらからご覧になれます。

クレジット
『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』:©2019 Columbia Pictures Industries, Inc., Monarchy Enterprises S.a r.l. and Regency Entertainment (USA), Inc. All Rights Reserved.
『若草物語(1994)』:©Sony Pictures Television International. All Rights Reserved.

緊張しながら投稿しているので嬉しいです!ありがとうございます!
164
WOWOW公式アカウントです。 noteでは、さまざまなエンターテインメントの魅力を丁寧に、時には“主観”を交えながら発信していきます。