『望み』と『空白』にあなたの心は耐え切れるか。いつ誰の身に降り掛かってもおかしくない苦悩と苦境
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『望み』と『空白』にあなたの心は耐え切れるか。いつ誰の身に降り掛かってもおかしくない苦悩と苦境

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 映画アドバイザーのミヤザキタケルさんが、オススメの作品を1本ご紹介するのと同時に、その映画に合う作品をもう1本ご紹介する連載「シネマ・マリアージュ」。つまり<これを観てから、これを観るとさらに楽しめる>というコンセプトのもと、組み合わせの良い2作品を皆さまにお届けします! 今回は、ともに子どもが関与する事件・事故が物語のきっかけとなる『望み』と『空白』をマリアージュ。

文=ミヤザキタケル @takeru0720

 自分の子どもが加害者か被害者かハッキリしないが故に、苦境に立たされ苦悩していく家族の姿を描いた『望み』。スーパーの店長と、娘を亡くした父親の壮絶な人間模様を描いた『空白』。子どもに関する事件・事故がトリガーとなり、心をひどくむしばまれていく登場人物の葛藤を通して、いつ誰の身に降り掛かってもおかしくない苦悩や苦境を目の当たりにする2作品をご紹介します。

『望み』('20)

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愛するわが子は、加害者か被害者か…

 雫井脩介の同名ベストセラー小説を、『人魚の眠る家』('18)、『ファーストラヴ』('21)の堤幸彦監督が映画化。一級建築士の石川一登(堤真一)と校正者の妻・貴代美(石田ゆり子)は、一登がデザインした邸宅で、息子の規士(岡田健史)と娘の雅(清原果耶)と幸せに暮らしていた。しかし、けがでサッカー部を辞めて以来、無断外泊が多くなった規士は、ある夜、家を出たきり帰らず連絡が途絶えてしまう。翌日、規士の同級生が殺害され、3人の少年が行方不明というニュースが流れる。犯人とみられる逃走中の少年は2人。果たして息子は逃走中の犯人なのか、もうひとりいると噂される被害者なのか…。

 事件の加害者家族や被害者家族を描いた作品は数あれど、登場人物たちがどちらなのかハッキリしないまま物語が展開していく作品は珍しい。そこにこそ本作最大の醍醐味だいごみや、目にする者の心をつかんで離さない魅力(と苦しみ)が宿っている。仮に息子が加害者と明確に描写されていたなら、劇中で押し寄せるマスコミや、執拗な嫌がらせに対して、これも仕方のないことと僕らは割り切っていただろう。だが、息子が被害者だと先に明言されていたら、許せないと憤る気持ちが芽生えてはこないだろうか。そう、僕たちのものの捉え方は容易にひっくり返ってしまうもの。その危うさを提示しつつ、状況に翻弄され、それぞれの思惑に駆られていく家族の姿が、あなたの心にいくつもの問いを投げ掛ける。

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答えを得られぬ家族の地獄

 子どもが加害者であれ被害者であれ、親がその事実と向き合うことはとてもつらい。だが、答えを得られずにいる時間もまた、同等かそれ以上につらい。想像してみてほしい。殺人事件でなくとも構わない。例えば、火の元の確認を怠って外出してしまったとき、受験や就職試験の結果が発表されるまでの日々、地震や台風が起きて離れて暮らす家族の安否が確認できない時間など、明確な“答え”を得られずにいる際に付きまとう不安は、ひどく胸をむしばんでいく。気持ちのやり場を見いだせない状況が延々と続くと、心は摩耗していく一方だ。

 家族といえど、しょせんは別の人間同士。日々何を考え、何を抱えているのか、100%理解することは難しい。とはいえ、家族としてのつながりは、そう簡単に断ち切ったり割り切ることもできやしない。自分にも原因があったのではないか、事前に防げたのではないか。思考に捕らわれ始めれば、答えを得られぬ地獄に拍車がかかる。規士の安否を案ずる気持ちとは裏腹に、差し迫った不安から一秒でも早く抜け出したくて、それぞれに行動を起こしていく石川家の面々。家族である前にひとりの人間として、自身の心の安寧を優先させる瞬間が時には訪れる。徐々にそんな心理状態へと陥っていく登場人物たちの姿を通じて、自分だったらどうなってしまうのか、家族に対してどんな思いを抱くのか、きっと考えずにはいられない。

 答えを得ることができない、えも言われぬ時間は、時に誤解や不和を呼び、人と人とが分かり合えなくなる状況を生んでいく。それは僕たちが生きるこの現実でいくらでも起こり得る。最後の最後に家族がたどり着く答えやその結末に、あなたの心は一体何を思うだろう。

『空白』('21)

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少女の事故死がもたらす泥沼の人間模様

ヒメアノ~ル』('16)、『愛しのアイリーン』('18)、『BLUE/ブルー』('21)などで知られる𠮷田恵輔監督のオリジナル脚本作品。スーパーで万引しようとしたところを店長の青柳(松坂桃李)に見つかった女子中学生が、追い掛けられた末に車にひかれて死亡した。娘の万引を受け入れられない父親の添田充(古田新太)は、潔白を証明すべく、青柳ら関係者を厳しく追及していくのだが…。

 事実を把握することができずにいる時間がもたらす苦しみや弊害を、『望み』で目の当たりにした直後にご覧いただきたい本作は、『望み』とは打って変わって、初めから大まかな事実が開示されている。物事の是非を客観的に見極めることができるだろう。だが、あくまでもそれは観賞者(外野)でいられる間の話。いざ当事者になったら、そんなことも言ってはいられない。突き付けられた事実を事実として受け入れられなければ、『望み』でのそれらとはまた異なる苦しみや弊害が発生することを、登場人物たちが繰り広げる泥沼の人間模様を介して思い知らされる。

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正しさとは何か、救いは一体どこにあるのか…

 理不尽なことが身に降り掛かったら、誰だって怒りや悲しみをぶつけたり吐き出す矛先を欲してしまうもの。しかし、本作で生じる理不尽には、しかるべき矛先が見いだしにくい。万引をしようとした充の娘がすべて悪いのか、彼女を取り逃した青柳やスーパーの方針に穴があったのではないか、そもそも添田家の親子関係に問題があったのではないかetc…。一番の原因をあぶり出し、責任の所在を追及していくこともできなくはないが、程度の差はあれど、関わったすべての人が傷を負い、おのおのが行き場のない思いを胸に抱え、折り合いをつけることを強いられる。だが人はそんなに器用でもなければ、強くもない。抑え切れない感情を爆発させ、怒りに身を任せて矛先を見いだそうと奔走する充。そんな彼に執拗に付きまとわれ、マスコミやSNSにもかき乱され、次第に追い詰められていく青柳。観賞者である僕たちは、どのように事故が起きたのかを把握し、それぞれの立場や思いもくみ取れるため、両者に等しく寄り添うことができる。けれど、両方の視点を得られるのは、現実ではなかなかまれなこと。

 事実がまったく見えずにいる状況も地獄だが、事実が到底受け入れられなかったとき、人はまた異なる地獄の扉を開いてしまう。一度開いてしまった扉を閉じることの険しさを、この作品は恐ろしいほどに伝えてくれる。

 日頃『望み』や『空白』のような状況に陥ることなど考えていない僕たちが、当事者の気持ちを間接的に知ることができるのは、非常に意義がある。それこそが映画の醍醐味だと言っても過言ではありません。いつ誰の身に起きてもおかしくない苦悩と苦境に関して、思考を巡らせることができる2作品。両作を観終えた瞬間はしんどい思いを抱くかもしれませんが、それは有意義なしんどさです。ぜひセットでお楽しみください。

ミヤザキさんプロフ20210917~

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クレジット
『望み』:(C)2020「望み」製作委員会
『空白』:(C)2021「空白」製作委員会

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