
輪郭のない女の子と氷の魅力『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』 #山崎ナオコーラによる線のない映画評
作家の山崎ナオコーラさんがつづる、映画をテーマにした連載エッセイがリニューアルしてWOWOW公式noteでスタート。今回は、帝政時代のロシアを舞台に、北極探検に出発したまま消息を絶った祖父を捜そうと、自らも北極圏へと向かった少女の過酷な冒険を描く長編アニメーション『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』について書き下ろしてもらいました。
文=山崎ナオコーラ @naocolayamazaki
最近、うちにいる4歳児が「りんかく」というものを覚えた。
4歳児は毎日スケッチブックに絵を描いていて、人の顔はうすだいだい、服は青、キリンの体は黄色、草は緑、という感じにクレヨンを持ち替えて、輪郭を描かずに表現し続けていた(余談だが、私の子ども時代は「肌色」という名前だったクレヨンが、今は「うすだいだい」に名前を変えている。肌の色は人それぞれだ、というわけだ。ただ、色数の少ない子ども用クレヨンの中で、人間の肌を描くとき用の色として箱に存在しているのは変わらないので、「良くはなったと思うが、これが最終的な正解なのかな?」という疑問は残る)。
塗り潰したり、線を引いたり、描き方はいろいろだが、とにかく、輪郭という概念は持たずに絵を描いていた。
その考えだと上手くいかないときもあって、例えば雪だるまやホッキョクグマのことを、
「白だから、描けない」
と言って怒り出すときがあった。白いページに白いクレヨンだと見えないから、「描けない」ということになるようだ。そこで、
「輪郭っていうものがあるんだよ」
私は教えてみた。白いものでも、輪郭で区切れば、背景と別のものだと表現できるだろう。だが、
「りんかくってなに?」
改めて問われると、説明が難しい。
「まあ、境目だよね。ほら、こうやって自分の手をよく見てごらん? 肌と空気が分かれているでしょ? この境目を、黒い線……、いや、まあ、黒じゃなくてもいいんだけども、何か別の色の線で描くんだよ」
そう言いながら、内心で首を傾げた。実際の世界に輪郭というものは存在しない。絵にするときに生まれる便宜的なものだ。だから、「輪郭ってなんだろう?」と私も思った。
「ふうん」
4歳児は納得しかねる表情で頷いていたが、何度かそういうやりとりをするうちに、輪郭を描くようになった。雪を黒い丸で表したり、パンダの白い部分を黒い線で繋げたりする。
これで良かったのかな? その絵を見ながら、残念な気持ちも湧いてくる。描けなかったものを描けるようになったかもしれないし、「上手い」絵には近づいたかもしれない。だけど、なんというか、「純粋な目」から一歩離れたような……。私は、「絵っていうのはこう描くものなんだよ」と余計な教育をしてしまったのだ。後味の悪さが残った。
『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』(’15)には、輪郭がない。線で囲われることなく、少女や船や海や氷や雪が描かれる。アニメとしてはめずらしい表現だ。
アニメというのは、「子どもが憧れるのはこういうのだよね?」と大人が考える、きらびやかなドレスだとか、かっこいい船だとかの定番路線が描かれがちだと思うのだが、この映画には、そういう雰囲気もない。ドレスや船は出てくるが、きわめて絵画的だ。そして、音楽がとても静かで、あおることがない。船内で揺れるフライパンの音、鍋にぶつかるじゃがいもの音が印象的だ。ストーリーは冒険譚で、わくわく感がある。けれども、冒険アニメによくある「あの感じ」はない。
美しい風景画を美術館でずっと眺めているときの気分になる。
私は子どもと一緒にテレビ画面の前に座り、「4歳児がずっと見ていられるだろうか?」とちょっと不安に思ったのだが、驚くことに、最初から最後まで、ものすごく熱心に見ていた。
フランス語版で視聴して、4歳児は字幕が読めないから、私がセリフの合間に説明を入れた。とはいえ、筋は追えてないだろうな、と思ったのだが、あとで感想を聞いてみたら、大体理解していた。
大人も観られる映画、いや、むしろ大人向けなんじゃないか、と思えるぐらいの映画なのだが、「北の海へ、船を探しにいく」というシンプルなストーリー仕立てで、人物の配置や背景の描き込みが的確なデザインなので、わかりやすいのだ。
主人公のサーシャは14歳だが、顔立ちや仕草や声はしっかりと落ち着いている。地味、と言ってもいいかもしれない。これに関しても、特に日本アニメでは少女を出すからには「可愛らしさ」を追求しがちなので、新鮮に感じた。「可愛い」じゃなければ「かっこいい」に行きがちなものだが、「かっこいい」でもない。あくまで、「成長過程にあるひとりの人間」。
サーシャは、祖父の乗る船を探すために、ノルゲ号という船に乗り込み、船乗りたちと共に長い旅をする。決して「可愛い」だの「かっこいい」だのといった自身の魅力で人間関係を紡ぐのではなく、船乗りとしてチームワークを築くことで周囲に認められていく。
子どもは、舞い落ちる雪や流氷を割って進む船の表現に心を奪われていた。北極に行ってみたい、と強く思ったみたいだった。
私は、人間にも自然にも輪郭を与えずに表現するこの映画に感銘を受け、自分もこんな風に人や海を見たいと思った。
この連載は、「山崎ナオコーラの『映画マニアは、あきらめました!』」というタイトルでつづってきたものを継いでnoteに移り、月に1回、1作の映画について書いていくものだ。
引越しをきっかけに、「山崎ナオコーラによる線のない映画評」とタイトルを改めてみた。
私は、17年目の作家で、「人をカテゴライズするのはなぜか?」について考えることをライフワークにしている。
要は、「人の間に線を引くのをやめたい」と考えているわけだが、「線引きはないことにしよう!」「差別語を使わないようにしよう!」といった単純な主張で解決する問題ではない気がして、主張をするのではなく、考えごととして文章を書いていきたいと思っている。
現代は、多様性の時代と言われ、フェミニズム、ルッキズム、L G B T Qの問題、人種の問題など、議論が盛んになっている。読者のみなさんの中にも、線引きに興味を持っている方がたくさんいらっしゃるのではないだろうか?
そして、「線引きに異議を唱えたいが山崎とは意見が違う」という人も多いだろう。
あるいは、線引きに馴染むことができていて、興味がない人もいるかもしれない。
私としては、意見が違う人、興味がない人にも、楽しんでもらえるような文章が書ける自信がある。
私の文章を好きになったり賛同したりするのではなくて、ご自身の考えごとのきっかけとしてちょっと利用してもらえたら嬉しい。ナナメ読みでかまわない。
どんな映画でも、人のカテゴライズについての切り口はあって、書けることがある。私自身も、考えごとを楽しんでいきたい。
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▼山崎ナオコーラの『映画マニアは、あきらめました!』
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