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本は平等のために存在する#山崎ナオコーラによる線のない映画評

 作家の山崎ナオコーラさんが綴る、映画をテーマにした連載エッセイ。今回は、ドキュメンタリー映画界の巨匠フレデリック・ワイズマン監督が、米・ニューヨーク公共図書館を密着取材したドキュメンタリー『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』('17)について書き下ろしてもらいました。

文=山崎ナオコーラ @naocolayamazaki

 「公共」とはなんだろう?
 映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』は、「公共図書館」の使命をつまびらかにするドキュメンタリーだ。

 ナレーションも説明書きもなく始まって、ぽんぽんシーンがつながっていく。なんのシーンなのか、映っている人が利用者なのかスタッフなのか、スタッフだとしたらどういう役職なのか、ぼんやりとしか伝わってこない。

 トークイベントのようだな、重役会議のようだな、仕分け作業のようだな、ロボット教室のようだな、と察しながら追っていく。

 ただ、すべてのシーンが面白い。
 そして、はっきりと伝わってくることがある。
 図書館が、平等のために存在しているということだ。

 ナレーションや説明書きがないことは、登場人物をフラットに感じさせてくれる。館長っぽい人も、有名作家っぽい人も、アルバイトで仕分けをしている作業員っぽい人も、重要文献をめくっているらしい研究者も、ネットショッピングをしている利用者も、眠っているホームレスも、すべてが「ただ図書館にいる人」だ。人間は本来、みんな平等だ。だが、街では毎日、差別が生まれている。どこかの機関が、その差別をなくす努力をしなければならない。そう、それが図書館だ。すべての人に、学ぶチャンス、働くチャンスを作るのが図書館だ。

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 「図書館はただの書庫だと思われがちだが、未来の図書館はそうじゃない」といったセリフが何度も繰り返される。

 一番問題にされているのは、インターネットによって生まれた情報格差のようだ。

 ネット環境がない暮らしをしている人が味わっている不平等をどうなくしていくか、ということが何度も話し合われる。ある会議の中では、
「図書館はネット弱者のよりどころだ」
 という発言が出る。孤立する人がいない街を図書館によって作れるという。

 館内でインターネットができるようにし、Wi-Fiルーターの貸し出しも行う。もともと、誰もが歩いていける圏内に分館を作っているらしく、そこにWi-Fiスポットがあることも重要らしい。

 また、書籍のデジタル化も進めている。出版社や著者とやりとりをして許諾を得たり、図版などの写真を撮影したり、といったことも館内のスタッフが行っているようだ。

 なんとなく、インターネットやデジタル化は、図書館や本にとっては敵であるかのようなイメージを私はこれまで抱いてしまっていたが、そんなことはないのだ。敵ではなく、友だちだ。あるいは、もしも「私は紙の本が好き」という嗜好を持っていたとしても、インターネットがあるからこそ情報に触れられる人、電子書籍の方が格段に読みやすさを感じる人もいるということをしっかりと認識しなければならない。様々な環境に住む、いろいろな体の状態の人を想像すれば、インターネットやデジタル化が「すべての人に本を届ける」という道のひとつの鍵になっていることがわかる。

 それから、就職相談会のようなもの、塾のようなもの、視覚障害や聴覚障害のある人へのサービスや説明会、図書館の運営を透明化するための説明会、経済学者のトークイベント、移民差別や人種差別についての話し合いの場なども企画されている。利用者が積極的に発言していることに目をみはった。スタッフからの一方的な情報提供ではなく、主体的に参加して平等への扉を開いていく。

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 手話通訳者によるトークイベントの中で、司会者から、
「すべての人と芸術を共有したい」
 という発言があった。
 これだ! と私は思った。

 アメリカと比べて日本はどうか、といった比較は極力したくないものだが、私は東京に住んでいて、すると、芸術が限られた人のためにあるかのように錯覚しそうになる。芸術と聞くと、「才能のあるアーティストを応援しよう」だとか、「街をアートで美しくしよう」だとかといったイメージが湧き、決して、「すべての人に芸術を!」といったものは浮かんでこない。むしろ、ホームレスの人が居づらくなるように芸術作品を配置するなど、排除のために使われているのを見かけることの方が多い。

 だが、芸術は、すべての人が楽しめるものだ。職業の有無はもちろん、才能のあるなしにも関係ない。平等に触れられるようにしないのならば、芸術作品なんてない方がマシなくらいだ。

 黒人文化研究図書館の館長は言う。
「人間を肯定し 命を救う 価値ある活動をしています
 トニ・モリスンは ここで言いました ❝図書館は民主主義の柱だ❞と」
 まさに、そうだ、と感じた。

 ある会議では、ホームレス対策について話し合われる。
 ホームレスの人と共同で図書館を使用することを拒否したいという要望が利用者から出ているようだ。そのため、寝るだけの使用を禁止するといったルールを定める提案も出るのだが、やっぱり、必要なのはルールではないのではないか? という流れになっていく。

「最終的に変えるべきは この街の文化だと思う 恐ろしい人物もいるが ご近所の来館者として助けるべき人もいる」
 という発言がある。

 私がぼんやりと「公共」について考えるようになったのは、『男友だちを作ろう』という自著で何人かの人と対談をしていく企画の中で、小川てつオさんという、公園にホームレスとして住みながらアーティスト活動をしている方と話してからだ。公園は公共の施設のはずなのに、使われ方が決められていて、行政が想定している利用者とは違う人が訪れることを認めない。また、最近はネーミングライツによって、「公共」のイメージが変化してしまっている公園もある。

 それから、私は先日、『パブリック 図書館の奇跡』('18)という映画を観たのだが、それは寒さを逃れるために図書館に避難したホームレスたちと図書館の司書が共闘するストーリーだった。

 そうだ、ホームレスの人も、ご近所さんなのだ。
 すべての人を受け入れるつもりがないのに、「公共」を名乗ってはいけない。

 ニューヨーク公共図書館の会議の多くの時間は、予算の捻出に使われている。どうやって公的資金を市から得るか、どうやったら寄付を募れるか、といったことだ。どこから出た金なのかを常に意識して企画を作っていく。それは、金を出した人に還元するということではない。「公共」の名に恥じない企画を作っていくことが、金の出どころに対する責任を果たすことになる。

 私自身、作家として図書館に関わっている。『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を観て、「本はすべての人を平等にするために存在しているのだ」と改めて感じ、自分の仕事を果たしたい、と身を引き締めた。

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ナオコーラさんプロフ20210326~

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