みんなに居場所がある未来への一歩 #山崎ナオコーラによる線のない映画評『モロッコ、彼女たちの朝』
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みんなに居場所がある未来への一歩 #山崎ナオコーラによる線のない映画評『モロッコ、彼女たちの朝』

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 作家の山崎ナオコーラさんが綴る、映画をテーマにした連載エッセイ。今回は、北アフリカの国モロッコを舞台に、未婚の妊婦と1組の母子が互いに助け合い連帯する姿を描いた感動作『モロッコ、彼女たちの朝』('19)について書き下ろしてもらいました。

(※初回放送 4/25(月)後11:15、以降リピート放送あり)

文=山崎ナオコーラ @naocolayamazaki

 モロッコのカサブランカにある、パン屋の物語。

 私はパン屋の中で繰り広げられるシーンを見ながら、人間文化の不思議を思った。

 2人の社会人がパン屋にいる。アブラ(ルブナ・アザバル)は立派に店を切り盛りしている。“ムスンメン“というクレープのようなものがずらり。そこに、サミア(ニスリン・エラディ)が作ったルジザという紐状のパンケーキのようなものも一緒に並べると、街行く人たちが目をとめて「ひとつ」と言って買ってくれる。学校から帰ってきたアブラのひとり娘のワルダ(ドゥーエ・ベルカウダ)は元気いっぱいだ。勉強もちゃんとやっているらしい。

 このシーンでは、すべてが整っていて、生活して行けるように見えた。たとえ、このような空間が永遠にあるわけではないとしても、そこにいる登場人物みんなが祝福されている。カラフルなスカーフを巻いたサミア、モノトーンの服に身を包んだアブラ、子どもらしくはしゃいでいるワルダが、光と影がくっきりとしている狭い店内にいると、まるで絵画のようだ。仕事も勉強もこつこつやれていて、足りていないものなどないように思う。パン屋も家もアブラのものであるが、そこに急遽参加しているサミアだって、家事や店をうまく手伝って、人間としての欠点は見当たらない。サミアは、アブラとそれなりに仲良くなり、ワルダともふざけ合って楽しんで時間を過ごし、なんというか、たとえパン屋を出ても、どこへ行ってもちゃんとやれるように、そのシーンの一瞬では見えるのだ。
 サミアは妊娠している。
 そして、サミアは、赤ちゃんを産んでも母親にはなれないと思っている。
 結婚していないと母親になれない、ということのようだ。
 サミアには美容院で働いていた経験があり、パン屋を手伝う才能もあり、明るい気質もある。人ともうまくやっていける。
 それなのに、「結婚していない」という一点だけで、「母親にはなれない」と強く思っている。
 それが、人間文化の不思議に感じられた。

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 サミアがそう思う主な理由は、宗教にあるようだ。イスラム教を信じる人たちによって築かれている社会の中で、「未婚の母」から生まれた子どもが幸せになるように育児するところには高いハードルがある……、といったことをサミアはそれまでの人生で見てきたのに違いない。
 ただ、宗教をあまり信じていない人が多数派な日本社会においても、「未婚の母」への偏見はある。ひとり親家庭全般への偏見や差別があって、世間はさらに、離別、死別、未婚といった、ひとり親家庭になった理由を求め、差別を根深くしていっているように思う。『モロッコ、彼女たちの朝』で描かれているほどの過酷なものではないが、日本で育児中の私も、自分の周囲でそういった雰囲気を感じることがある。
 だから、なんとなくではあるが、夫を亡くしたことによってシングルで育児をすることになったアブラが、社会における「女性」に対する差別、偏見を強く感じながら毎日の生活をし、憤り、「男に頼らずに生きていこう」と決め、それでいながらも、「未婚の母」と自分の状況は違うという気持ちもおそらく湧いてきてしまっていて、だからサミアに対して複雑な態度を取ってしまう、ということが、分かるような気がした。
 アブラは、気持ちを表情にあまり出さないキャラクターとして描かれているが、多くの視聴者が、アブラの視線に自分の視線を重ね、アブラに共感しながら、サミアを見つめることになる。
 サミアの人生は、おなかの中にいる子どもの人生は、どうなっていくのだろう……。

 もちろん、サミアにも選択肢がある。過酷な社会の中で、「未婚の母」としてひとり親家庭を築くのか、他の家庭に子どもを託すのか、施設に託すのか、他の人と家庭を築くのか、実家へ帰るのか、他にもいろいろな方法があるだろう。
 サミアがどういう選択をするのか、私たちはアブラとワルダと一緒に、ゆっくりと待つ。

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 サミアが妊娠した経緯については描かれない。そこがいい。
 経緯は問題ではない。とにかく、もうすぐ子どもが生まれるのだ。
 それなのに、世間は冷たい。仕事や住む場所がなくなる。
 サミアは、誰も責めないし、怒ることもない。就職志望を足蹴にされても、微笑むだけだ。寝る場所がなくて、街をうろうろするが、あきらめたわけではなく、うっすらと希望を持っている。
 その姿を、アブラとワルダは見つめ、手を差し出す。一瞬の生活をする。パン屋での幸福なひとときが流れる。サミアがどんな選択をするとしても、このひとときは宝物になるだろう。

 人間ではない生き物たちは、結婚しているかどうかなんて誰も気にしていない。
 人間でも、古代だったら、やはり問題にならなかったのではないか。妊娠のしくみはまだ解明されていなかっただろうし、結婚しているかどうかを周囲がいちいち問題にする必要などない。集団生活の中で、お互いに助け合いながら育児をしたのではないだろうか。
 そして、おそらく未来においても、問題にならないのではないか。宗教や文化は、少しずつ変化している。成熟した社会においては、みんなに居場所がある。もともと、人間が文化や宗教を産んだのは、そういう社会を作るためだったはずだ。
 妊娠は2人の人間によって起こるが、親のひとりが責任を持たない場合でも、子どもは社会によって祝われなくてはならない。生まれたときの体の状態や環境にかかわらず、すべての子どもに椅子を用意するのが、社会の使命だ。
 子どもは、生まれた時点で、世界から祝福される。すべての子どもに居場所ができる。
 とはいえ、一足飛びに未来へは行けないから、私たちは『モロッコ、彼女たちの朝』を観て、まずはサミアの一歩を見つめるのだ。

ナオコーラさんnoteプロフ220118~

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クレジット:(C)Ali n' Productions - Les Films du Nouveau Monde - Artemis Productions

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