「公共性」について考える #山崎ナオコーラによる線のない映画評
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「公共性」について考える #山崎ナオコーラによる線のない映画評

 作家の山崎ナオコーラさんが綴る、映画をテーマにした連載エッセイ。今回は、ホームレスの人々と彼らを思いやる面々が図書館に立てこもる騒動を描いた『パブリック 図書館の奇跡』('18)について書き下ろしてもらいました。

文=山崎ナオコーラ @naocolayamazaki

 「公共性」は好きな言葉だ。
 なんというか、その言葉について考えていると、私はそのために人間として生まれてきた、という気がしてくる。

 とはいえ、自分は立派な人間ではないし、「公共性」に向けて何か行動をできているわけでもない。
 道でホームレスの方を見掛けても、私は素通りしている。
 私は自分の食いぶちをいつも心配して、自分が書いた本の売れ行きばかりを気にしている。
 公共図書館や困っている人の方を向いているとはいえない自分の生活……。

 けれども、本当は考えたい。「公共性」について、もっともっと考えてみたい。

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 『パブリック 図書館の奇跡』を観たとき、これは好きな映画だ、人生において好きな映画ベスト3に食い込んでくる、と思った。
 エミリオ・エステヴェスが製作・監督・脚本を務め、出演する。企画から11年かけて完成にこぎ着けたという。
 ある日、アメリカ・シンシナティの公共図書館でホームレスが「今夜は帰らない。ここを占拠する」と宣言する。記録的な大寒波の到来で、凍死者が続出しているのだ。市のシェルターは満員で、図書館から追い出されたら、死と直面する。図書館員のスチュアート(エミリオ・エステヴェス)は、その言葉を重く受け止め、ためらいながらも1フロアの出入口を封鎖する。そこへ、視聴率を稼ごうとするマスコミや、市長選に絡めようとする検察官、職務に忠実であろうとする警察などがやって来て……。

 この連載で少し前に取り上げた『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』('17)という図書館のドキュメンタリー映画でも、ホームレスの受け入れは問題になっていた。

 すべての人を受け入れるのが公共の施設だ。図書館は、すべての人が同じように文化に触れられる社会にすることを使命として持っている。開かれた場所のはずだ。だが、なぜか、ホームレスは排除しようとする。
 マスコミや政治家だけが悪いわけではない。「住所を持ち、ある程度の金を持ち、清潔を保つ余裕がある、図書館を造った時に想定されていたイメージに当てはまる人だけが本を読める」という図書館の空気は、おそらく、一般市民が作っている。一般市民が、「税金を払う自分たちには権利があるが、ホームレスにはない」と思ってしまっている。

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 だが、ホームレスになった人は、自分と線引きできるような存在なのだろうか。

 真面目に働いていてもある時急に精神疾患を患って働けなくなることはある。あるいは、やり直しの利かない現代社会において少しの青春のつまずきから元の道に戻れなくなることもある。また、『パブリック 図書館の奇跡』に出てくるホームレスの多くは元軍人だ。
 ずっと税金を払ってきた人が一回道から外れただけでホームレスになってしまう。国のために仕事をしていた人が、家に帰ったら仕事がなくなり、補償もなく、ホームレスになってしまう。

 いや、そもそも、税金を払っているか払っていないかで市民か市民ではないかを分けてはいけないはずだ。税金というのは、すべての人を平等にするために払っているものなのだから。

 映画が進むにつれ、スチュアートの過去が少しずつ明らかになっていく。スチュアートも、精神疾患を患い、ホームレスの経験があり、けれども、本に、図書館に、救われて、今は図書館員になっていた。多くの視聴者が、同じように思うのではないか。「ホームレスは、僕だ」と。ほんの少し道がずれていたら、自分もホームレスになっていたかもしれない、と感じている人は、実は多いと思う。そう、私も感じている。

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 ホームレスの人と、私の間に、線は引けない。

 スチュアートが、ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』の一節を読み上げるシーンがある。
 『怒りの葡萄』は、機械化の中での貧困農民と資本家のあつれきを描いた小説だ。当時は賛否両論で、アメリカの図書館で禁書として扱われたこともあるという。そこから、「図書館の権利宣言」というものが生まれたのだそうだ。

 本は、すべての人に開かれた存在にならなければならない。凍えている人を締め出したら、むしろ本は守れない。

 スチュアートだけではなく、他の登場人物たちの人生も垣間見えていく。それぞれの思想、それぞれの人生、それぞれの間違い……。善人も悪人もいない。ただ、社会がある。

 解決できるわけではない。でも、考えることはできる。

 この問題は自分と地続きなんだ、ということがとにかく画面から感じられて、そこに意味を見いだせる。ホームレス問題を解決する方法は分からないのだから素通りするしかない、とこれまでは考えていたが、地続きだと感じ続けるだけでも一歩なのだと思えてくる。「公共性」は、「私」の問題なのだ。

 ラスト、ふざけ過ぎでは、とちょっと笑ってしまったが、そうだな、これでいいのかもしれない。その場をどうやってしのぐか、メディアをどう回避するか、必死に考えて、連帯して、ふざけて、そうして、「公共性」についてちょっとだけ深く考える。

 これからは私も、私なりに「公共性」について考えて生きていきたい。

ナオコーラさんプロフ20210625~

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