もう一度、「子供」を見つけよう。 #山崎ナオコーラによる線のない映画評
見出し画像

もう一度、「子供」を見つけよう。 #山崎ナオコーラによる線のない映画評

 作家の山崎ナオコーラさんが綴る、映画をテーマにした連載エッセイ。今回は、第71回カンヌ国際映画祭審査員賞をはじめ、数多くの映画賞を受賞した社会派ドラマ『存在のない子供たち』('18)について書き下ろしてもらいました。

文=山崎ナオコーラ @naocolayamazaki

「子供」の発見は18世紀になってからだ、と聞いたことがある。それまでは、「小さな大人」と思われていた。
「いいや、違う。特別な時間を過ごしている存在なのだ」と、大人とは違う「子供」を社会が認めたのは、意外と最近だった。

 昔は、体力が付いたら労働ができ、生理が来たら結婚できると思われていた。そのため、多くの子供が大人から搾取された。労働を強要され、結婚をさせられ、教育の機会を剥奪された。劣悪な環境で幼少時代を過ごし、人生をボロボロにされ、ときには命を落とした。

 しかし、社会が発展し、仕事や結婚は大人になってから自分の判断で行うことだとされた。子供時代は周囲の大人たちによって教育を与えられ、安全な環境を保障されることになった。

 現代を生きる私たちが、「人間らしい」生活を送れるようになったのは、「子供」を見つけたからなんだろう。

 とはいえ、社会はまだ発展の途中だ。世界は複雑で、すんなりとは進めない。「子供」は簡単には見つけられない。

 映画『存在のない子供たち』では、「子供」に焦点が当てられる。レバノン出身のナディーン・ラバキー監督は、自身の生活の中でもこの問題に触れることが多かったらしく、長い間考えてきたという。テーマを定め、映画を撮ると決めてからは、3年間リサーチを続け、リアルな声をストーリーに組み込んだ。

画像1

 映画は、貧困のため児童労働を行う12歳の少年ゼインが、妹の児童婚などで苦しい思いを募らせ、世話ができないのに子供を産むな、と「僕を産んだ罪」を両親に問う裁判を起こすことから始まる。弁護士役でナディーン・ラバキー監督が出演しているが、それ以外の役者はみんな、演技経験のない、実生活がそのキャラクターの境遇に近い人たちを起用しているという。

 ちなみに、主人公を演じるゼインは、本名もゼインといい、シリア難民として貧しい生活を送り、10歳からスーパーマーケットの配達などをして教育の機会を失っていた。

 難民、子供の貧困、児童婚、児童労働、無国籍、無戸籍……、といった社会問題に関する言葉は、多くの人がなんとなく知っている。心を痛め、「もっと勉強しなくては」と考えている。

 私も、インターネット記事やSNSや新聞なんかでときどき目にして、「でも、難しそうだし、ちゃんと勉強したあとでなくちゃ、意見なんて言えない。だけど、考えたらすごく憂鬱になりそうで……。そもそも、自分には解決できないことだし……」という思いでいた。

 だから、こういった映画を観る際も、「事前に勉強しておかなければいけないのではないか」「胸が潰れるような思いをする覚悟をしておかなければいけないのではないか」といった心配が最初はあった。

 ただ、この映画は「フィクション作品」として、ものすごく完成度が高い。勉強、とか、ショック、とかではなく、芸術として受け取るものだ。そのため、事前の準備よりも、素直な心の方が、観るときに役立つ。

 役者は登場人物に似ているし、背景には現実の街並みが映し出され、細部にまで徹底的にリアリティを追求した演出がなされている。でも、「ドキュメンタリー」ではない。

 ストーリーがしっかりしており、主人公の気持ちに沿って進んでいく。人と人との関わりが丁寧に綴られる。リアリティはあるが、説明はない。いわゆる「残酷」なシーンの映像はあまりなく、映像よりもストーリーによって社会の無残な姿が浮かび上がってくる。

「勉強なんていらない、まずは感じよう」という気になる。「あ、人間同士だから、わかる」という気持ちにもなる。

 遠い外国の物語とも捉えられるが、日本にも貧困問題や無戸籍問題はある。そして、難民に触れる機会が少ないのは、日本が難民を受け入れていないせいだ。日本にも関係がある。

 子供たちが可愛いことにも心が動く。主人公のゼインの表情には心が揺さぶられる。少年というものは、どこの国の少年でも同じだ。視線のひとつ、涙のひとつに、人間として共感する。1歳ぐらいと思われるヨナスの可愛さもすごい。唇をすぼめて、ゼインを慕ってじっと見つめる仕草など、ぐっとくる。私の家には今、1歳児がいるのだが、その子とそっくりで、「ああ、ゼインの言う通り。肌の色なんて関係なく、兄弟や親子と思えるな」と感じた。

画像2

 自分に繋がっているストーリーだ、と受け取ることができる。

 「『僕を産んだ罪』で両親を訴える」という、少年による裁判から始まる映画だが、悪いのは両親だけだろうか? 

 この問題は、悪魔のような人が生み出したわけではない。そう、両親も悪魔のような人ではない。悪魔のような人なんていない。貧しい環境、児童婚を許容してきた長い歴史、無国籍の人に冷たい世の中、たくさんの文化が絡み合ってこの問題を生み出した。いや、生み出し続けている。

 そもそも、子供は、生まれた時点ですぐに社会から認められなければならない。親が誰か、だの、ルーツはどこか、だのと問うことをせずに、社会は子供全員に身分証を出さなければならないはずだ。でも、できていない。

 たぶん、私も訴えられている。問題を放置している加害者だ。そう思ったところで、今日も何も行動ができていない自分がいるわけだが、それでも、この映画を観るのと観ないのとでは、立つ地平が変わってくる。

ナオコーラさんプロフ201127~

▼作品詳細はこちら


クレジット:© 2018MoozFilms

スキ、嬉しいです!ありがとうございます!
WOWOW公式アカウントです。 noteでは、さまざまなエンターテインメントの魅力を丁寧に、時には“主観”を交えながら発信していきます。