『すばらしき世界』が完璧なハッピーエンドにはならなかった理由 #山崎ナオコーラによる線のない映画評
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『すばらしき世界』が完璧なハッピーエンドにはならなかった理由 #山崎ナオコーラによる線のない映画評

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 作家の山崎ナオコーラさんが綴る、映画をテーマにした連載エッセイ。今回は、西川美和監督、役所広司主演で、堅気として人生をやり直そうと悪戦苦闘する元殺人犯の主人公を、役所が魅力たっぷりに好演したヒューマンドラマ『すばらしき世界(2021)』について書き下ろしてもらいました。

文=山崎ナオコーラ @naocolayamazaki

 この社会には、全員分の椅子があるのだろうか?
 すべての人が、生まれた時点で、椅子と居場所と社会活動をする権利が保障されている……という理想を抱いている人はきっと多い。でも、その理想を本気で信じることができている人は少数だろう。
「理想は理想であって、現実は違う」……。今の日本を生きている人は大概、この世に人数分の椅子があることを信じられず、椅子取りゲームをしてしまっている。
 かくいう私も、人間の数だけ椅子があることを、信じることができていない。自分の椅子がいつなくなるかと不安で、他人のことまで気が回らない。
 他の人の椅子が攻撃されているのを見かけても、「あの人に優しくしたら、今度は自分や自分の家族の椅子が危なくなるのではないか?」とドキドキしてしまい、助けに行けない。見て見ぬふりをしてしまう。
 そして、何かのきっかけで「社会の椅子」を失った人を見かけたら、そのままにしておこうとする。もう一度社会に受け入れることを躊躇する。あの人を排除したままにしておかないと、今度は自分の椅子が危なくなる、と感じてしまう。

 これまでオリジナル脚本で制作してきた西川美和監督が、初めて原案のある映画を撮った。『すばらしき世界』は、佐木隆三の小説『身分帳』を原案とした作品で、ある殺人犯の出所後の社会復帰の過程が描かれていく。
 さすが西川美和監督で、論理的なシーン構成で、すべてのキャラクターの性格や行動に筋が通っている。とても理知的な映画だ。

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 主人公の三上正夫(役所広司)は13年の刑期を終えて出所する。
 三上の人生をテレビのドキュメンタリー番組に、やがては小説として書こうとする津乃田龍太郎(仲野太賀)がそこに登場し、津乃田の視点で観客は観ていくことになる。
 津乃田は、三上が母親などの呪縛から解かれ、社会の中で「普通の生活」が続けられるようになるところに焦点を当てようとしているようだ。そこで、私ははじめ、三上が社会に受け入れられていく過程、買い物や職探しなどの地道な暮らしのきらめきを見ようとしていた。
 だが、ラストが近づくにつれて「いや、違う」と気がついた。

 私たちが暮らしているここは、そんなに単純な世界ではないのだ。
 差別や排除は、簡単にはなくならない。
 なぜ、なくならないのか?
『すばらしき世界』の中には、「あ、この人、実は悪い人だったんだなあ」と感じさせられるキャラクターも出てくるのだが、では、そういう悪人によって差別や排除が生まれているのか、と改めて考えると、いや、そうではない。
『すばらしき世界』には、むしろ善人の方がたくさん登場する。その人たちはみんな間違っていないし、彼ら彼女らの優しさを持っている。
 だが、実は、多数派の善人によって、差別や排除が起こっているのではないだろうか。私はそんなふうに感じた。

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<※ここから先は物語の細かな内容に触れている部分があります>

 三上の身元引受人の弁護士、庄司(橋爪功)とその妻、敦子(梶芽衣子)は、間違いなく善人だ。魅力的な夫婦だ。刑務所から出てきた三上に温かく接し、すき焼きを作ってもてなす。その後も親身になって相談に乗る。就職祝いでは歌を歌い、いろいろと世話を焼く。
 ただ、常にそういう態度なのか、というと、そうでもない。三上が急な相談ができて庄司の家を訪れたところ、たまたま孫の誕生パーティの最中だった庄司は、三上の相手をせずに帰してしまう。そりゃあ、そうだ。善人とはいえ人間なのだから、いろいろな用事があり、様々な態度がある。
 また、庄司と敦子は、三上の就職祝いの席で、三上への親心から、代わる代わる三上に言葉をかける。見て見ぬふりをすることや、適当に生きていく能力を身に付けることを三上に勧める。
 三上はこれまで、優しさや正義感が仇となり、誰かに危害が加えられそうな場面に出くわすと、見て見ぬふりができず、瞬間湯沸かし器のように怒り、真っ正面から向かっていき、暴力で解決しようとして、もちろんそれではうまくいかないので、社会生活ができなくなってきた。だから、庄司と敦子がしたアドバイスは正しい。今の日本で社会人としてやっていくのなら、見て見ぬふりや適当にスルーすることができるようにならなければ、仕事を続けていけない場合もあるだろう。
 善人たちは、自分や自分の家族が脅かされない範囲でなら、弱者に優しくしたり、ボランティアをしたりできる。でも、人間だから、ずっとそういう態度はできない。取捨選択や優先順位をつけて、優しくしたり助けたり、ときには見て見ぬふりや適当に人に接する。
 そして、善人たちのそういう姿勢が、差別や虐待を助長していることもあるのではないか。

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『すばらしき世界』のラストが、完璧なハッピーエンドにはならなかった理由は、おそらくここにある。すべての人に椅子があることを信じられていない不出来な現代社会で、真にハッピーに、普通の生活を続けるところを描くことはできない。
 今の日本では、見て見ぬふりをして、適当に生きていかなければ、社会生活を維持できないと私は思う。
 けれども、物語としては、弱者へのいじめや虐待を見て見ぬふりをしながら維持される小さな生活のきらめきを、肯定することはできない。

 そう思うと、『すばらしき世界』というタイトルはよくできている。「すばらしい」というのは、決して「ミシン、掃除、買い物、地道な仕事、優しい人たちとの人間関係、……といったものが輝いていて、世界はすばらしい」という安易なことではなかった。「この社会は、誰かを傷つけ、見捨てることも多い冷たい場所だが、優しさや美しさがところどころで小さく光るのだから、捨てたもんでもないよな」という、複雑な言葉だったのだ。
 いろいろなものを内包しているからこそ、世界はすばらしい。
 この先の私たちも、真に「成熟した社会」を発展させ、すべての人に居場所を作るところまで、なかなか到達できないかもしれない。それでも世界はすばらしいのだ。

ナオコーラさんnoteプロフ220118~

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クレジット:(C)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

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