なぜポル・ポト派は生まれ、なぜカンボジアを掌握するまでに至ったのか――「なぜ」を1本の映画から考える

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。
 フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、第42回アヌシー国際アニメーション映画祭で長編コンペティション部門の最高賞であるクリスタル賞を獲得した映画『FUNAN フナン』('18)。

 柔らかな絵のタッチとは対照的に、描かれているのは1975年以降のカンボジアにおける、虐殺や飢えに見舞われた過酷な日々だった。カンボジアの経てきた歴史は、今を生きる私たちに何を投げ掛けているのか。SDGsの「目標2:飢餓をゼロに」「目標4:質の高い教育をみんなに」と共に考えます。

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(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

「S21」と呼ばれた秘密刑務所から生きて外に出たチュン・メイさんを取材して

 カンボジアの首都プノンペン。大通りの喧騒を抜け、閑静な住宅街に差しかかると、周囲を有刺鉄線付きの壁でぐるりと囲まれた一角に辿り着く。のどかな街並みの中に馴染まないその施設は、かつて「S21」と呼ばれた秘密刑務所だった。元々は高校の校舎として使われていたものが、ポル・ポト派が実権を握った後、様変わりすることになる。

 1975~79年にかけての約3年8カ月、カンボジアを支配したポル・ポト政権は、恐怖政治を敷き、前政権の関係者、そして裏切る疑いのある者を徹底的に“粛清”したことで知られる。この時代に、虐殺や飢え、強制労働などで命を奪われた人々は170万人にものぼるとされている。

「S21」には、政治犯、スパイ容疑をかけられた者を中心に、2万人近くが収容されてきたといわれている。そのうち生きて外に出ることができたのは、たった8人にすぎなかった。そのうちの1人が、チュン・メイさんだった。7年前に私が出会った時、メイさんは既に80歳を超える高齢だったが、現在は博物館となっている「S21」跡地に立ち、訪れた人々に証言を続けていた。時には、身動きもとれないほどの狭い独房跡に自ら入り、自身がつながれていた様子を再現することもある。

 1975年4月、ポル・ポト派の兵士たちがプノンペンを制圧した後、彼らはその街を無人状態にし、人々を農村へと移動させた上で、労働に従事させた。メイさんの一家は炎天下、目的地も告げられないまま歩き通しの日々を過ごした。やがてその過酷な道中で、幼い娘が息絶える。「あの時はただただ、歩き続けるしかなかった。しっかりとした埋葬もしてやれず、横たえて置いていくしかなかった……」と、当時を振り返るメイさんの声が震える。

 ある日、何の前触れもなくメイさんは目隠しをされ、数人の兵士に抱えられるように連行される。行きついた先が当時、その存在自体が秘密にされていた「S21」だった。「お前、アメリカのスパイか? それともロシアのスパイなのか?」。全く身に覚えのない言葉を浴びせられ、わずか数日のうちに、一緒につながれていた仲間たちが次々に姿を消していったという。明日は自分かと覚悟を決めていた矢先、ベトナム軍が侵攻し、メイさんは一命を取り留めた。別の刑務所につながれていた妻は、助からなかった。

「S21」跡地には、当時収容されていた人々の写真がずらりと並び、無数の目がにらむようにこちらを見据えている。過去からの眼差しは、私たちに何を訴えているのだろうか。

『FUNAN フナン』のあまりに愛にあふれ、あまりに残酷なラスト・シーン

『FUNAN フナン』は、この過酷な時代をアニメで描いた映画だ。夫のクン(声:ルイ・ガレル)、3歳になる息子のソヴァンとごく平穏な暮らしを送っていたチョウ(声:べレニス・べジョ)は、ポル・ポト派によるプノンペン制圧後、一家で農村へ移動を迫られることになる。爆撃に見舞われ、混迷を極めたその道中で、チョウはソヴァンを見失い、離れ離れになってしまった。幼い息子を探すため、厳しい監視のわずかな隙を突けるか――緊迫するシーンの連続に、終始目が離せない。

 注意深く観察していると、プノンペンからの道中では姿がある、“眼鏡をかけている人々”が、農村に到着する頃には見当たらなくなっていることに気付く。当時は眼鏡をかけているというだけで、「前政権の息がかかった知識人」と見なされ、処刑の対象になっていったという証言が残っている。

 そして、あまりに愛にあふれ、あまりに残酷なラスト・シーンを、私はいまだ、言語化することができずにいる。

 SDGsの「目標2:飢餓をゼロに」は、この映画の核心のひとつでもある。重労働をこなし、朝から晩まで田畑を耕しても、一向に飢えが終わる兆しが見えない。「オンカー(ポル・ポト派の自称。革命組織の意味)を信じろ」と言われたところで、ますます人々は疑心暗鬼になり、時には相手に取り入り、時には危険を冒して密売をし、娘を売ってまで食べ物を得ようとする、むき出しの人間たちがそこに描かれていた。

「目標4:質の高い教育をみんなに」も、この映画を観る上で欠かせない軸だ。「個」を棄てろと迫る「演説」を日々浴びせられ、常に栄養失調にあえぐ子どもたちの表情は陶器のように硬かった。ポル・ポト派が敗走した後も、その顔に笑みが戻り、自らの声を取り戻すまでには、長い時間がかかったことだろう。またこの間、教育を受ける機会を人々が奪われてきたことが、その後の復興を進める上でも大きな足かせとなってきたことが指摘されている。

 この映画でさらに注目をしてほしいのが、色あせた赤いクロマー(伝統的な手織布)を巻いたポル・ポト派の兵士や関係者たちの人間模様だ。「オンカー」に加わった、チョウの親戚のソクは、ポル・ポト派が社会を良くしていくことを信じて疑っていなかった。ところが、理不尽な死が家族にまで及び、その心が揺れ動きはじめる。非人道的な振る舞いをする兵士がいた一方、ある女性兵士は、そっとチョウの小屋の軒下に食料を置いていった。決して単純化できない現実があったことを、この映画は人々の繊細な表情と共に描き出そうとしていた。

 私もかつて、ポル・ポト兵たちやその家族がいまだ暮らしている、タイ国境の村を取材したことがある。少年兵だったという1人の男性は、ゆっくりとこう語った。「ある時、村にオンカーの“教育係”と呼ばれる人々がやって来ました。今こそ良い国を造るために立ち上がろうではないか、と熱弁をふるったのです」。演説を耳にし、少年たちは奮い立ったという。「空爆で家族を失った若者たちが、本気でこの状況を変えたいと望んだのです」。

 隣国ではベトナム戦争が起きていた時代だ。カンボジア国内も激しい米軍の空爆にさらされ、多くの農地と、人々の命が奪われていった。田畑は荒れ、食料は不足し、米の物価は高騰した。そんな時代に「良い国を造るために立ち上がろう」と呼びかける「オンカー」は、追いやられてきた人々の数少ない受け皿だったのだろう。

 私が出会ったその元ポル・ポト派の兵士は、地雷で片足を失っている。ある時、日本のジャーナリストとメディアからの取材依頼を受け、彼は村から数時間かかる観光地の街へと出向いた。ところが「あなたも虐殺に関与したのでは」「しらばっくれないで」と、尋問のような取材を受け、憔悴しきって、また数時間の道のりを村へと戻っていったという。あの時代に起きた凄惨な出来事は、検証され、追及される必要があるだろう。ただそれは、物事の善悪を単純化し、誰かを悪魔化して思考停止することとは違う。なぜ彼らは生まれ、なぜカンボジアを掌握するまでに至ったのか。その「なぜ」を、この映画から考えたい。

安田菜津紀さんプロフ211001~
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