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イラストレーター・信濃八太郎が行く 【単館映画館、あちらこちら】 〜「高田世界館」(新潟・上越)〜

名画や良作を上映し続けている全国の映画館を、WOWOWシネマ「W座からの招待状」でおなじみのイラストレーター、信濃八太郎が訪問。それぞれの町と各映画館の関係や歴史を紹介する、映画ファンなら絶対に見逃せないオリジナル番組「W座を訪ねて~信濃八太郎が行く~」。noteでは、番組では伝え切れなかった想いを文と絵で綴る信濃による書き下ろしエッセイをお届けします。今回は新潟・上越の日本最古級の映画館「高田世界館」を訪れた時の思い出を綴ります。

文・絵=信濃八太郎

 今月から、“WOWOW公式noteがリニューアル! これからもさまざまなエンターテインメントの魅力をお届けしていきます” ということで、ぼくも引き続きミニシアター取材後記のようなこの連載を続けせていただくことになりました。短い番組のなかではどうしてもこぼれ落ちてしまう、映画館主の皆さん、そして映画館やその土地の魅力をより深くお伝えできればと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 また、WOWOW公式noteのTOP画像の絵を新たに描かせていただきました。

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 WOWOWの魅力は、映画はもちろんのこと、各ジャンルに精通したWOWOWスタッフの皆さんが選び抜いた(←ここもポイントですね)ライブやスポーツなど、ひとことで言うなら「人間の文化的な活動にいつでも触れられること」だと思ってまして、イメージのコラージュのような形で、その空気感を捉えてみました。
 スタッフ間では「WOWOW Blue」と呼ばれている美しい青色を基調にしてありますことも一応申し添えさせていただきます。
 それでは、以下「高田世界館」本編をお楽しみください。

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全国の映画館を巡る旅

 全国の映画館を取材して回るようになって「フィルムツーリズム」という言葉を知った。

 これは映画作品の舞台となったロケ地や、映画の原作で描かれた場所を訪ねることを目的に旅することを意味するそうだ。町も協力し、ガイドマップを作るなどすれば、より多くの人が訪れるようになる。それまでまったく縁のなかった町と人を、映画が繋いでくれるわけだ。それと同時に、町に住む人にとっては、当たり前のようにあった景色を、新しい視点から見直し、新たな価値を見出すきっかけにもなる。とても素敵なことじゃないか。

 作品を主としたフィルムツーリズムから翻って、その土地に根ざした小さな映画館を訪ねることを目的に、旅に出るのはどうだろう。
 「あの映画館で観たい」という、旅に出る理由としての映画館の存在。これまで30館以上巡ってきて、その楽しさを誰よりもぼく自身が肌で感じている。

 どこであれ初めての町はそれなりに緊張するものだ。名所や史跡を巡る前に、まずは映画館に入って、町に住む人たちと同じスクリーンを観ながら過ごしてみる。夏は涼しく、冬には暖かい暗闇のなか、シートに身を預ければゆったりと流れ始める時間。映画館ほど町に溶け込み落ち着いて過ごせる場所はない。世界中に数多ある映画のなかから「今、観てもらいたい」と選び抜かれた作品が上映され、大作でなくとも、そんな良作が好きな人たちと、同じ所で笑ったり感動したりして過ごすことで人心地つき、終わる頃には少し町になじんだような気持ちにもなれる。

 終映後のロビーでチラシなどを手に取りながら様子を見つつ、手の空いた劇場スタッフに、おいしいお昼ごはんを食べられる所ありますかなんて聞いてみたら、ぼくが訪ねた映画館の皆さんだったら全員、喜んで教えてくれることを請け合います。

 映画館に背中を押してもらったところから始まる旅。その日の日記の一行目には映画のタイトルと劇場名を書いてみる。「ミニシアターツーリズム」とでも名付けて、友人たちに勧めてみよう。

明治44年開業、日本最古級の映画館

 今回訪ねる高田世界館は、そんな旅の手始めに最もふさわしい映画館のひとつである。築111年の木造建築、登録有形文化財にも指定されたその威容は圧倒的だ。扉を開けて一歩入った瞬間から、時間旅行の始まりである。当初は芝居小屋として建てられたそうで、スクリーンの前には舞台が残されている。

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 昨日は、女性ミュージシャン、リンダ・ロンシュタットの半生を振り返るドキュメンタリー映画『リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』を観た。’70年代に開花し、数々のヒット曲で全米トップの地位を確立したソロシンガーだ。上映後には、こちらの舞台を使ってコンサートプロモーターでトムス・キャビン代表の麻田浩さんのトークイベントが行なわれた。永遠の歌姫とも呼ばれるリンダ・ロンシュタットと、直接関わった麻田さんしか知り得ない数々のエピソードをお話しくださって、貴重な時間だった。

 この作品の上映自体、麻田さんが配給会社に「高田世界館で観ることができたら最高」と勧めたことがきっかけなのだそうだ。音楽評論家でラジオDJのピーター・バラカンさんも、定期的に音楽イベントを開催するために訪れる高田世界館。音の良さはお墨付きで、音楽好きにも愛される映画館だ。

 映画に話を戻せば、作詞作曲も手掛けるミュージシャンが多かった時代において、リンダは自身で曲を書かずに、まだ無名な人が作った作品をピックアップして歌い、ヒットさせ、その結果作者にまで注目が集まるようになった。売れることを目的とするのではなく、自分の感性を信じて歌いたい歌を歌う。楽器も持たずに歌声ひとつで世界と対峙するリンダの姿。なんてかっこいいんだろう。トークイベントの最後に麻田さんが、この映画を「リンダを知らない若い女性たちにこそ観てもらいたい」と仰っていたのが印象に残った。映画上映後に開け放たれた窓からは、作品の余韻と重なるように、初夏の柔らかな日差しと心地よい風が入ってきた。

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芝居小屋から始まった100年を超える歴史

 翌朝、今回お話しくださる支配人の上野迪音さんに、まずは楽しかった昨日のトークイベントの感想をお伝えする。映画の後に2階に上がって窓を開け、スポットライトを調整し、再び1階へ戻って舞台上にマイクと椅子、テーブルを出し、さらには司会進行までおひとりで全部やられていたのが上野さんだった。慌てることなく、その身のこなしはどことなく優雅にすら見えた。

 ラインナップに音楽映画が多い印象があるけれど、上野さんのご興味も反映されているのだろうか。

 「はい、もともと映画よりも音楽の方が好きというくらい音楽が好きです。この高田の町にも音楽好きな方々がいらっしゃって、その人たちのお知恵や関係性などもお借りしたり相談したりしながら、映画の上映やイベントを開催しています」

 館内には俳優でミュージシャンでもある中村達也さんの、ドラムソロLIVEの告知なども貼られている。この場所であのパワフルなドラムが鳴り響くことを想像するだけでワクワクする。

 「もともとは111年前に芝居小屋として始まった場所なので、舞台があるのが強みです。映画だけみれば下火ともいえる今のような映画館の状況にあっても、ここだったら先祖返りするように、ステージを使ったいろんな使い方ができます。座布団一枚敷けば落語会もできますし、結婚式場として使ったこともあります。って、自分で話を振ってしまいましたが、私が挙げました(笑)。設備がない分、手弁当で自由に使えます。一般に貸し出しもしているので、いろんな用途で使ってもらえたらうれしいですね」

 上野さんはここ高田のご出身で、映画館から徒歩すぐの場所にご実家があるとのことで、ご家族ご友人に囲まれて素敵な結婚式になったことだろう。東京の結婚式場には、建てられたと思ったらいつの間にか消えてしまう場所も多いけれど、こんな素敵な文化財で式を挙げることができれば、夫婦二人、時を重ねて振り返る時が来ても、きっとまだこの建物は残っていて、出発の日の幸せな記憶を思い出すことができるんじゃないか。ご結婚をお考えの方は、ぜひ上野さんに相談してみてください。

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 近所で育った上野さんにとって、ここは小さな頃からの思い出の映画館なのだろうか。
 「いえいえ、ぼくが子どもの頃はここは成人映画専門の映画館でした(笑)。大人たちからは近づくなと言われてました」
 上野さんが笑って仰る。
 「そういう“磁場”のある場所って、どこの町にもありますよね。その磁場が、この場所を映画館として守ってくれたんじゃないかと思ってるんです。そうじゃなかったらもっと早くになくなっていたかもしれません。いっときはボーリング場にしようという計画もあったと聞きますので…」
 さすが百年を超える長い歴史である。映画館として残ってくれたことは、偶然が少しずつ重なった結果の奇跡だったのかもしれない。

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 「この建物は、もとは個人の所有物だったのですが、老朽化もひどく個人では維持できないということになり 、市民有志によるNPO法人が発足し、運営のための体制が作られました。私は東京に出て映画の勉強をしていたのですが、Uターンの時期と支配人募集のタイミングが重なって、やらせてもらうことになりました。それが2014年だったので、支配人になって今年で8年目になりますね」

 映画の勉強をしていたとはいえ、いきなり代表として新たな世界に飛び込んで、大変なことも多かったんじゃないだろうか。
 「今でもそうなのですが、映画館の運営だけにとどまらず、映画館も含めた“まちづくり”をやりたいという思いがあるんです」
 上野さんの声に力がこもる。

 「地元である高田の町が寂れていくのが見ていられず、この町のために何かできないかと帰ってきました。ちょうどその頃、雁木や町家が特徴づくる古い町並みを、保存し、活かしていこうという機運があって、それにたいへん共鳴しました」
 「そもそもこの町の人たちは、新しいものが大好きだったりするんです。でもそれだけだと行き詰まってしまいうまくいかない。古くから伝え残ってきたもの、ここにしかないものに、改めて価値を見いだし、その良さをきちんとアピールしていく。高田世界館がこうやってここにあって魅力を発信し続けることで、この町のアイデンティティーになっていければと思っているんです」

 建築的な価値も含め、近隣の映画好きにとどまらず、県外から来られる方も多いんじゃないだろうか。ぼくがスケッチしている間も、映画を観に来たわけでなく、幕あいの時間に開かれている劇場見学に来た親子や、高田世界館が窓口のレンタルサイクルを借りにきた人たちもお見懸けした。しっかり町歩きの拠点としても機能している。
 「はい、おかげさまで全国から来ていただいています。そんなお客さまには高田の町の魅力を知ってほしいので、チェーン店には向かわせません(笑)。高田には愛すべき個人商店がいくつもあって、それぞれに固有の魅力がある。映画館から始まって、そんな所に行ってもらえるととてもうれしいですね」

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“ちょうどいい”町

 上野さんがぼくにお薦めしてくださったのは、旧師団長官舎という、もとは陸軍司令官の邸宅だった建物を活かしたレストランと、耕文堂書店という古書店だった。これはあと数日泊まって味わって帰りたい流れである。
 「そうですか、よろしければ世界館のすぐ裏には民泊もありますよ(笑)。こちらは町家をリノベーションしています。以前泊まったフランスから来たお客さまから、この町は“ちょうどいい”という感想をもらいました。発展し過ぎでもなく、かといって田舎過ぎもしない。自転車や徒歩で町を丸ごと味わうことができる。高田の町を表わすのに、とても良い言葉だなと思ってます」

 ぼくの古い友人に、高田世界館の常連でもある音楽好きがいる。もともとは東京でイラストレーターを目指して、同じく安西水丸先生に教えを乞うて机を並べていた仲間だ。高田のお隣、直江津出身の彼は、3人の子どもたちが成長する中で、やはり自分が育った自然豊かな環境で子育てしたいと地元に帰った。東京から離れて一番ん困ったのは、観たい映画や舞台、ライブがなかなか観られないことで、高田世界館の存在が心のよりどころになっているそうだ。
 そんな友人に今回、取材で訪ねることを伝えたところ、
 「なんだ、どうせなら冬の高田世界館を紹介してほしかったんだけどなぁ」
 という一言とともに、一階部分の半分が埋まるほどの真っ白な雪景色の中、まだまだ降り続く雪と、ライトアップされて宵闇に浮かび上がる幻想的な高田世界館を写した短い動画が送られてきた。そんな話を上野さんにしてみる。

 「冬ですか。ものすごい雪なので町はグレーになってしまいますけれど、それはそれでこの町のカラーだと私は思っています。雁木が私たち高田の人にとっての原風景。夏の日差しを避けるのにも良いですけれど、やはりお友達の方が仰るように冬の風情もまたすばらしいんですよね」
 春には高田城の桜、夏の前の今の時期なら金谷山の蛍、秋には新米、季節ごとに訪ねられる友人がいるおかげで、ここ十年、ぼくもすっかり上越のとりこだ。そうだ今度は高田世界館で待ち合わせて、映画が終わったら一緒に町を歩いてみよう。

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 最後に上野さんに、支配人として大切にしていることを伺う。
 「高田世界館の長い歴史の中では、先ほどお話しした通り子どもが近寄れない時期もあったり、時には映画の上映がまばらになったり中断していた時期もあったのですが、そんな状況の中で自分が引き継いでからは、まずはゼロから取引先を作り、再び開かれた映画館としてお客さまに楽しんでもらえるラインナップを組んでいくことに注力しました。建物の老朽化もひどかったので、改修すべき点は改修しないとならない。その費用を賄うために椅子募金を募ったりもしました。180席あるのですが、背の部分を見てください。一つ一つに真鍮しんちゅうのプレートが貼られているんです。これには募金に協力してくださった方々のお名前が彫られています」
 「イベントなどでたくさん来ていただけるよう燃える時もあるのですが、やはり日常的に映画を楽しみに来てくださるお客さま、この椅子に名前が記されているひとりひとりのお客さまの満足度を高めることを大切にしたいと考えています」

 真鍮プレートの中には有名な俳優さんのお名前もあった。デザイン的には同じ椅子が、それぞれ個別の性格を持っているように見えてくるのが面白かった。ぼくも自分の椅子があったら楽しいなと思ったけれど、いまは椅子募金はしていないそうだ。
 「そのうちスクリーン募金など、必要に応じて募るかもしれません。そのときにはよろしくお願いします」
 上野さんが笑って仰った。

 ニューヨークのセントラルパークでも同じように、公園の維持のため、園内に設置されたベンチへの寄付の取り組みがなされていたことを思い出した。あちらはネームプレートのほかにも「ここに座り、四季折々に聴く鳥の声の美しさよ」など、寄付した人たちそれぞれの公園への想いの一文なども記されていた。時代を経て、やがて個人の名前がそれほど意味を持たなくなっても、公園への愛、そこで過ごした時間への感謝は引き継がれ残り続けるという、なんとも詩的な取り組みに感激したものだった。

 上野さんや高田の町の皆さんの力で新しく生まれ変わった、歴史あるこの場所が、これから先どのようにバトンをつないでいくのか、ぼくも四季折々に訪れながら見守っていきたい。

信濃八太郎さんプロフ

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