50年たっても終わっていない「ブラックリスト事件」――表現の自由を守る一助になるのは、世界からの目のはずだ

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。
 フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、1979年に韓国で起きた朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の暗殺事件を基にした実録サスペンス『KCIA 南山の部長たち』('20)。

 劇場公開後の反響は大きく、2020年韓国年間興行収入第1位を記録。第56回百想芸術大賞で主演男優賞(イ・ビョンホン)を受賞しています。朴正熙氏の長女である朴槿恵(パク・クネ)大統領時代も振り返りながら、当時から今に続く社会が抱える問題を、SDGsの「目標5:ジェンダー平等を実現しよう」「目標8:働きがいも経済成長も」を軸に考えます。

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(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

政府に批判的な文化人や芸術家を「ブラックリスト」化し、活動を妨害していた韓国の闇

「確かに、デモが起きたり政権交代が起きたりして、以前よりは自由な表現ができるようになったかもしれません。でも、私たちが完全に安心して発言できる状況にはまだないんです。それほど、民主化というものは難しいことなんです」。

 韓国で、フェミニズムや権力の腐敗など、社会問題に切り込むような演劇作品を作ってきた方にお話を伺った時のことだ。彼女は言葉を選びながら、韓国社会での表現者の立場をこう、語ってくれたことがある。

 韓国では近年、文化人たちを揺るがす政府の「裏工作」が明るみになっている。'08年に発足した李明博(イ・ミョンバク)政権、その後の朴槿恵政権と保守政権が続いていたが、この間、政府に批判的な文化人や芸術家を「ブラックリスト」化し、その活動を妨害していたのだ。朴槿恵政権時代の'15年5月には、9,473人分の名簿が作成され、それを根拠にした排除が実際に行われたことも明らかになってきた。『パラサイト 半地下の家族』('19)など、名作と呼ばれる数々の映画に出演してきた俳優のソン・ガンホ氏も、リストの中のひとりだったという。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権成立後に発足した「文化芸術界のブラックリスト真相調査および制度改善委員会」の調査で明らかになってきたことなどを基に、訴訟も起きている。ソウル演劇協会は、朴槿恵政権時代に、ソウル演劇祭の貸館公募に落ちたのは、「ブラックリスト」による被害だと主張し、'21年7月ソウル中央地裁で勝訴した。

 韓国では軍事政権下、民主化運動への激しい弾圧が行われてきた。'87年に民主化は実現したことになっているものの、いまだそれが道半ばであることが、この事件からも浮き彫りになった。私に話を聞かせてくれた演劇人の方は、「政権が変わっても、公務員たちの仕事の手法がすぐに、劇的に変わるわけではない」と語った。

 '20年10月、李明博元大統領は収賄で懲役17年の刑が韓国最高裁で確定。'16年末に国会が弾劾訴追した朴槿恵氏は、翌年3月に失職に追い込まれた。そして'21年1月、職権乱用などの罪で、懲役20年の実刑が確定した。

 映画『KCIA 南山の部長たち』は、そんな朴槿恵元大統領の父、朴正熙氏の時代を描いたものだ。

人権を蹂躙じゅうりんし、市民の尊厳を奪い、その搾取によって成り立つ「成長」が、果たして評価に値するものなのか

 '61年に朴正熙氏率いる軍事クーデターが起こり、後に氏は大統領となった。'63年から'79年まで、その政権が続くことになる。韓国の大韓民国国家情報院の前々身である機関「韓国中央情報部(KCIA)」が情報機関として設立されたのは、クーデターの1カ月後のことだった。「南山」はその「KCIA」の別称だ。庁舎内では、「反政府運動」に関わった人間に対する拷問なども行なわれ、この組織のトップ、つまり「南山の部長」は強大な権力を有していた。

 朴正熙大統領は'72年、戒厳令下で憲法を改正し、大統領の権限を絶対化させた。そのことで、米政権との対立を深めていく。そして最期は側近であったはずのKCIA部長、金載圭(キム・ジェギュ)に殺害された。映画は、この暗殺事件を取り上げた実録本『南山の部長たち』を基にした、事件前40日間を描く「フィクション」である、と前置きされている。ただ、映画の末尾には事件後の実際の現場の写真や、金載圭の最終陳述の肉声も入れ込まれており、凄惨せいさんな史実が胸に迫る。

 朴正熙大統領をモデルにしたパク大統領(イ・ソンミン)は日本の植民地時代である'44年、日本の陸軍士官学校を卒業後、満州に配属され、満州国軍中尉という立場で日本の敗戦を迎えた。昔を懐かしみながら、「あの頃は、良かった」と彼がかみしめるように語るシーンからも、日本の支配時代から映画が地続きであることもうかがえる。

 絶大な権力を誇るパク大統領は周囲から「閣下」と呼ばれ、側近たちは「自分こそ有用な人間だ」と認められるために躍起になった。けれども「閣下」は、高まる国内外からの批判を浴びながら、自身の時代の終焉を悟っていた。その焦燥感からか、より力づくで、より残忍に、民主化を求める人々を容赦なく弾圧していく様子が描かれている。金載圭をモデルにした「南山の部長」であるキム・ギュピョン部長(イ・ビョンホン)は、あまりの残忍さを前に、徐々にたじろぎ、揺らいでいく。

 権力者たる「閣下」はささやく。「君のそばには私がいる。好きなようにしろ」。その言葉を翻訳すれば、「忖度そんたくしろ」だろう。何をすべきかを具体的には明言しない。そして駆り立てられるように、部下たちは「邪魔者」たちを排除する。たとえどんな手を使ってでも、その相手がかつての戦友であっても、だ。ところが事態の経過を報告すると、「度が過ぎた」「やり過ぎだ」と、権力者は彼らを地に突き落とした。今の時代でも既視感のある光景だ。

 私自身は、単に経済を前に進め、「成長」を続けることを、手放しで肯定したいとは思わない。ただ、今回あえて「目標8:働きがいも経済成長も」を挙げたのは、朴正熙大統領時代とどう向き合うかを考えたかったからだ。朴正熙大統領が、強大な力を背景に「経済成長」を進めたことに、一部評価する声もある。けれどもその「成長」が、人権を蹂躙し、市民の尊厳を奪い、その搾取によって成り立つものが、果たして評価に値するものなのか、立ち止まって見つめ直したい。

 また、この映画の権力抗争の舞台は、男性たちで埋め尽くされている。そのパワーバランスの中で、女性はまるで、「駒」のように扱われていた。独裁は、意思決定のプロセスに多様性がなく、硬直化していく土壌からも生み出されるものだ。「目標5:ジェンダー平等を実現しよう」を考えたかったのは、その点に着目したかったからだ。

 暗殺事件から42年。過去の政権の暴虐ぶりが映画化されるのも、表現の自由が確保されてこそできることだ。一方、「ブラックリスト事件」はまだ、終わったわけではない。つまり、朴正熙大統領時代の残り香が消し去られたわけではないのだ。しかし今は、韓国映画やドラマ、表現などに世界的な注目が集まっている。そうした表現の自由を守る一助になるのは、世界からの目のはずだ。

安田菜津紀さんプロフ211001~
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