間違ってばかりの人間をいとおしく演じる、蒼井優が見せる深み #シネピック映画コラム

マガジン「映画のはなし シネピック」では、映画に造詣の深い書き手による深掘りコラムをお届け。今回は映画ライターのSYOさんが「俳優・蒼井優の“人間表現”」について、出演作『ロマンスドール』(’20)を中心に考察したコラムをお届けします。

文=SYO @SyoCinema

 日本映画界に欠かせない俳優・蒼井優。現在35歳の彼女、その芸歴は20年を超える。蒼井について考えるとき、「軽やか」という言葉が脳内に去来する。同世代で彼女ほど、自由に幅広く、役者業を楽しんでいる人は珍しいのではないか。インディペンデント系からメジャー大作まで出演し、気鋭の新人から大御所までキャリアを問わずにコラボレーション。コメディにサスペンス……なんでもござれで、声優も務めれば、役のためならヌードも辞さない。演技の安定感は言わずもがな。

 それでいて、スクリーンに映る彼女はいつだって新鮮だ。その都度その都度、作品と真っさらな気持ちで向き合い、役を演じていることを楽しんでいればこそだろう。そのため、彼女の演技には“飽き”がこない。

 第77回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)に輝いた主演映画『スパイの妻〈劇場版〉』(’20)では、自身も女優賞の有力候補だったという。余談だが、同じく黒沢清監督と組んだドラマ『贖罪』(’12)、映画『岸辺の旅』(’15)も必見だ。前者は、『告白』(’10)の原作者・湊かなえの同名小説をドラマ化した力作。この作品の中で蒼井は、幼少期に目撃した同級生の殺人事件がトラウマで、男性恐怖症になってしまった女性を体現。常に“何か”におびえる神経質な演技は、観る者をざわつかせることだろう。

 『岸辺の旅』では、深津絵里演じる主人公の亡くなった夫(浅野忠信)と関係を持っていた女性役に挑戦。登場シーンこそ多くはないものの、ドスの利いた演技で強烈な印象を残した。貞淑な妻や奔放な女性など、どんなキャラクターにも血を通わせられる彼女の表現力を象徴した作品といえるかもしれない。黒沢監督と組んだ3作品を観比べるだけでも、まったく違った演技を見せつけている。

 現在の最新出演作は、沖田修一監督の『おらおらでひとりいぐも』(’20)。こちらでは、田中裕子演じる主人公の若き日を演じているだけでなく、彼女の「心の声(モノローグ)」も担当。撮影では、カメラに映らない場所で声を送るなど、独特の参加の仕方を行なったのだとか。そのかいもあってか、田中の演技とのズレが一切なく、実に心地よい風味を醸し出している。

 今年、『スパイの妻』『おらおらでひとりいぐも』と話題作・傑作に立て続けに出演している蒼井だが、もう1本、非常に重要な作品が劇場公開された。それが、『ロマンスドール』だ。

 映画『百万円と苦虫女』(’08)で蒼井を主役に抜擢した、タナダユキ監督による夫婦のラブ・ストーリー。蒼井は、高橋一生扮するラブドール職人の妻を演じた。夫が妻に自分の職業を明かせず、いわば「嘘」をついたまま結婚したことから、少しずつだが互いの間に距離や遠慮が生まれてしまい、やがて不和へとつながっていく。しかし、互いに過ちを犯した夫婦はすべてをさらけ出すことで、かけがえのない絆を構築していく――というストーリーだ。

 この作品が、なぜ蒼井のキャリアにおいて重要な位置付けといえるのか。第一に傑作であることが挙げられるが、彼女でなければ成立しない役柄であり、同時に蒼井自身が、これまで以上に俳優としての高みへと踏み出したメモリアルな一作であるからだ。

 そしてこの『ロマンスドール』、なるべくネタバレを挟まずに書くが――ある種の「究極の愛の形」にまで踏み込んだ、野心作。『ふがいない僕は空を見た』(’12)でも不倫や貧困、嫁姑問題といったシリアスな題材を取り上げたタナダ監督が、自らの小説を映画化した作品であり、夫婦という生き物の本質を、汚い部分も美しい部分も、臆せずに描き切っている。

 高橋扮する主人公の上司(きたろう)が発する「間違うからな、人間ってのはな」が象徴的だが、本作の夫婦は、嘘をつき、隠し事をし、浮気もしてしまう。互いに想い合っていたとしても、同時に裏切ってもいる。きっと、私たちが思う健全な夫婦の形ではない。しかしそれでも、この作品で蒼井と高橋が見せる関係性は、どうしようもなく夫婦なのだ。

 夫婦というのは、愛し合い憎みながら、危ういバランスの中で、共に歩んでいくもの。そして、他者に何と言われようが揺るがない、自己完結の答えを2人でつくっていくものだ。よく「夫婦愛」と言うが、その2人にとって何が愛なのかなんて、当人同士にしか分からない。『ロマンスドール』は、きれいごとだけでは語れない夫婦の真理を真摯に見つめつつ、やがて2人がたどり着く「作る/残す」という行為で、まごうことなき愛の結実へと昇華させていく。

 …と、このように言葉で綴ってはみたものの、これを演技で表現する、映画の中で「生きる」となると、至難の業だろう。ある種、観客が拒否反応を起こすような部分も見せていかなければならないからだ。そういった意味でも、本作での蒼井と高橋の貢献度はすさまじい。『スパイの妻』では180度異なる夫婦に扮しており、2人の相性の良さと演技力には舌を巻く。

 『ロマンスドール』で、夫婦の間に流れる愛を表すのは「セックス」だ。本作の中では、愛情表現の形としてだけではなく、もっと踏み込んだ、夫婦の定義や価値観を示すものとしておかれている。映画の中で、2人は笑い合い、冗談を飛ばしながら、あるいは涙を流しながらセックスをする。そこには感情表現のすべてがあり、ムードなんてものはぶち壊して、ただただすべてをさらけ出し、受け入れ合おうとする信頼が透けて見える。

 セックスの最中に、こんなに穏やかにどうしようもないジョークを飛ばす夫婦。その様子から漏れ出てくるのは、穏やかで不可侵の幸せだ。ただ、「蒼井優がヌードで頑張った」というレベルではない。どれだけ感性を高めれば、この境地にたどり着けるのだろうか。愛の形を模索し続けた夫婦の10年間を描いた『ロマンスドール』には、蒼井優という俳優の、人間描写ならぬ“人間表現”が丸ごと詰まっているような気がしてならない。

 彼女の近年の作品は、性を扱ったものが少なくなく、真利子哲也監督作『宮本から君へ』(’19)では、目を背けたくなるような強烈なレイプ・シーンにも体当たりで挑んだ。その後にベンチで主人公へ怒りをぶちまけるシーンや、会社で周囲を一喝し、シリアスなムードを一瞬で笑いに変えてしまう場面での力演は、多くの鑑賞者から絶賛された。

 そして、白石和彌監督作『彼女がその名を知らない鳥たち』(’17)では、同棲中の男(阿部サダヲ)に貢がせながら、妻子ある男(松坂桃李)と情事にふける“最低な女”をふてぶてしく演じ切っている。昔の男(竹野内豊)が忘れられず、同棲中の男には人格否定的な罵詈(ばり)雑言をぶつけてばかり。だが最後まで観ると、この作品は「純愛」と言っていいほどの力強いラブ・ストーリーに化けている。

 こうして見ていくと、蒼井が培ってきたスキルが、『ロマンスドール』に集約されている、といった見方も、あながち的外れではないのではないか。それほどまでに、彼女が本作で魅せた艶やかさと生命力は、圧倒的だ。

 間違ってばかりの人間のおかしさをいとおしく演じてきた、蒼井優。南海キャンディーズの山里亮太という伴侶を得て、ますます勢いに乗る彼女が魅せる「人間」の深みに、これからも期待し続けたい。

SYOさんプロフ201031~

▼作品詳細はこちら


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!