貧困を個人にひもづけるな #山崎ナオコーラによる線のない映画評
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貧困を個人にひもづけるな #山崎ナオコーラによる線のない映画評

 作家の山崎ナオコーラさんが綴る、映画をテーマにした連載エッセイ。今回は、名匠ケン・ローチ監督が今日の不条理な社会の中でもがき苦しむ一家族の姿を痛切に描いた『家族を想うとき』('19)について書き下ろしてもらいました。

文=山崎ナオコーラ @naocolayamazaki

 宅配業者の労働問題は日本でも盛んに報道されるようになっている。
「再配達をなくすように受け取ろう」「予定変更の際はアプリなどで受け取り日時の訂正をしよう」と心がけている読者の方も多いに違いない。

 コロナ禍においてインターネット通販の利用が増え、問題が深刻になり、多くの人が改善を試みるようになった。宅配ボックスの設置が増えたり、アプリの登録が進んだりもしている。

 だが、個人の心がけだけでは限界がある。
 企業の意識の変化が求められる。
 いや、それだけでもダメだ。
 人間らしい労働環境が作れないのは、国の問題だ。

 名匠ケン・ローチ監督による『家族を想うとき』の原題は『Sorry We Missed You』という不在票に宅配業者が添えるメッセージだ。ふわっとしたタイトルの方が観客を増やせるのでは、という願いがこめられた日本のタイトルだろうが、宅配業者の利用や労働問題の可視化は日本でも進んでいるので、もうちょっと原題を活かし、宅配業者を想起させるタイトルでも良かったんじゃないのかな、という気もする。

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 とはいえ、れっきとした家族の物語だ。主人公のリッキー、その妻のアビー、16歳の長男のセブ、12歳の長女のライザ・ジェーンの4人が主な登場人物となる。

 リッキーは家族を養っていくための収入がないことに不安を覚えている。
 昔だったら、貧困の描写といえば、「着る服さえ満足になく、明日の食事にも悩むような、見るからに貧しい雰囲気」を思い浮かべるところだが、現代の貧困は、はっきりと目に見えるものではない。それと、リッキーは「最下層」ではなく「中間層」にいる人かもしれない。普通の人が突然スルッと落ちそうな蟻地獄の穴が現代の経済シーンのあちらこちらに開いていて、やはり普通の人であるリッキーがある日そこに落ちてしまった、そんな感じの始まりだ。

 収入に悩みながらも、賃貸とはいえそれなりの広さの家に住み、子どもたちはスマートフォンを所持している。一度、リッキーとセブがケンカをしてセブのスマートフォンをリッキーが取り上げてしまうのだが、アビーが、
「(スマートフォンは)命も同然 それを奪って何になる?」
 と返すように諭すシーンがあって、素晴らしいと思った。現代には現代の貧困がある。

 ともかくも、リッキーは家族を養うために、フランチャイズの契約を結び、個人事業主として宅配ドライバーとして働く。「個人事業主」と言えば聞こえがいいが、正社員と違って会社は責任を持ってくれない。必要経費はすべて自分持ちで、仕事中に何が起ころうが補償はない。荷物を運ぶバンは会社からレンタルもできるが、自分で購入した方が割が良いと判断したリッキーは、アビーの車を売って頭金にし、バンのローンを組んで仕事を開始した。個人事業主とはいえ、配達ルートも時間配分も誰を車に乗せるかも、すべて会社にルールを決められており、個人の裁量で決められることなどまったくない。何かあればすぐにクレームを入れられる。トイレに行く時間も取れずに、街中を走り回る。ストレス満載で14時間労働を週6日行い、家族との時間が作れなくなる。

 アビーも家族を養うために介護福祉士として長時間労働をしている。高齢者や体が不自由な人の家を車で訪問していたのだが、リッキーがアビーの車を売ってしまったので、バスで移動することになり、労働時間はさらに増える。アビーは「(利用者のことを)自分の母親と思って世話する」というルールを自分に課しているらしく、常に穏やかで、無理難題を突きつけられても対話を続ける。すると、イレギュラーな要望にも対応せざるを得なくなり、子どもたちとの時間がどんどんなくなってしまう。

 息子のセブや娘のライザ・ジェーンはいい子たちだ。けれども、親と過ごす時間が少なくなれば、夜中に出かけたり、眠れなくなったりする。ケンカや万引きなどの問題行動も出てしまう。

 家族の誰も悪くないのに、ずるずると地獄に引き込まれる。

 この地獄は日本にもある。どうしたら地獄をなくせるのか? 蟻地獄の穴を塞げるのか? 細かな取材に基づくのであろう、労働現場のリアルな描写を観ながら、考えさせられる。

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 冒頭、リッキーは、
「生活保護は?」
 と聞かれたときに、
「いや 俺にもプライドがある 飢えた方がマシだ」
 と答えていた。

 このように思わせる社会が問題だ。

 生活保護を受けることは、国民の当然の権利だ。生活保護の制度は、社会の構成員のすべてに一定の生活水準が保障された状態で生活をしてもらわないと社会を維持できないので、貧困問題の当事者に受給してもらって、社会を保とうというものだ。かわいそうな人にほどこす、といった性質のものではない。受給に際して、「プライドがどう」と思わせるなんて、それは社会が破綻しているということだ。

 貧しさを「恥」だと感じさせ、「世間に対して隠すもの」「家族の中だけで処理するもの」と考えさせる雰囲気を、多くの国が作ってきた。もちろん、それは間違いだ。これからの時代では、違う雰囲気を漂わせていかなくてはならない。

 貧困は、個人の能力や努力が足りないせいで生まれるものではない。
 社会システムが悪いせいで生まれるものだ。
 堂々と、「貧しくて困っている」と言える世の中にしなくては。
 観終わって、身が引き締まった。

 それにしても、構成が素晴らしい。
 宅配業の仕事の初日に、尿瓶を渡される描写がある。まさか、と苦笑しながらリッキーは受け取るわけだが、観客は「ああ、そのうちに、これを使う日が来るんだろうな」と物語のフラグが立ったのを感じる。だが、後半になって、本当に尿瓶の使用があったときに、「使うとは思ったが、ここまでのことが起こるとは!」と観客は驚愕することになる。

 また、前半を観ているときは、妻のアビーや娘のライザ・ジェーンといった登場人物が理想化された「聖女」や「無垢な少女」というステレオタイプな描かれ方になってしまっているように見えて、「この年代のこの性別の監督だと、登場人物を性別で区分けしてこんなふうに描いてしまうものなんだろうなあ」と、仕方がないという気持ちだったのだが、ラストでアビーがちゃんとキレたので、「キタ、キター!!」という感じでどっと血が騒いだ。前半のアビーの抑えた人間性がラストで効果を発揮する。やっぱり、さすが巨匠だ。

 個人を描きながら、理由を個人に繋げない。社会問題だ、としっかり感じさせる。素晴らしい映画だった。

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ナオコーラさんプロフ20210326~

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クレジット:©Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2019/photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

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