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映画ライターSYOの「#やさしい映画論」

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映画ライターSYOさんによるコラムをまとめたマガジンです。SYOさんならではの「優しい」目線で誰が読んでも心地よい「易しい」コラム。俳優ファンからコアな映画ファンまでをうなずかせ… もっと読む
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記事一覧

岸井ゆきのの“頼もしさ”—独自性の高いキャラクターに命を吹き込む彼女を紐解く

文=SYO @SyoCinema  表現者にとって、“代表作”に出合えるかどうかは活動上の生命線ともいえる。ブレイクするきっかけにもなるだろうし、転機や原点にもなり、時には越えなければならない壁にもなるだろう。何にせよ、代表作は必殺技みたいなもので、あるのとないのとではその後の人生が大きく異なる。往々にして代表作は自分だけでなく他者も含めた得票数で決まるため、ある種の総意ともいえるだろう。  俳優・岸井ゆきのにおいては、やはり『ケイコ 目を澄ませて』がそれにあたるはずだ。

難役が坂口健太郎の“進化”を促す。彼から放出される“言葉を超えた何か”を紐解く

文=SYO @SyoCinema  執筆業を行なっていると、時折監督や俳優サイドから「指名」をいただくことがある。そうした瞬間は、飛び上がるほどうれしいものだ。誰かに自分の感性を肯定され、必要とされる喜び――。  俳優であればオファーが届く状態がそれに当たるだろうが、もう一つ上の「当て書き」という誉れが存在する。「当て書き」とは、演じる俳優を想定して役を書くこと。「あなたのためにこの役を用意しました」というラブコールなのだ。  今回紹介する映画『サイド バイ サイド 隣に

表現者・稲垣吾郎の“生活感のなさ、純度の高い清廉さ、あるいは神々しさ”を、『窓辺にて』から紐解く。

文=SYO @SyoCinema  映画・ドラマ・演劇――“芝居”において、演じ手と観客の間ではある約束が交わされる。「演じ手を役だと信じ込む共犯関係」だ。その物語の中では俳優本人はかき消え、役として認識しようとするものだ。われわれ観客はそれを当たり前のように行なっているが、改めて考えてみると奇妙な話ではある。そこにいるのは、紛れもないその人(俳優)なのだから――。  観客も、俳優も、制作サイドも「イメージ」というものにある程度は振り回される。好青年の印象がある俳優に狂気

役に“溶ける”妻夫木聡の演技のすごさを、『ある男』から紐解く。

文=SYO @SyoCinema  これは私見だが、映画にハマるきっかけは多くの場合「俳優」からなのではないか。たまたま目にしたドラマやCMで見かけた俳優に惹かれて「じゃあ次は」と映画を観てみる。そうして俳優の“推し”になり、出演作を追いかけていくうちに「監督」や「脚本家」、あるいは「テイスト」や「ジャンル」へと興味が拡大していく。  自分も、そのルートをしっかりたどって今がある。ものすごく影響を受けているのはオダギリジョーさんで、中学、高校、大学と彼の出演作を観ていく過程

眞栄田郷敦の規格外の成長曲線。『カラダ探し』で魅せる“生きざま”と“死にざま”から紐解く

文=SYO @SyoCinema  役者の成功にも多様なパターンがあるだろうが、その一つに「打率の高さ」が挙げられるように思う。例えば「この人の出ている作品は癖が強くて面白いな」や「ヒット作に連続して出演しているな」と思えるような存在――。その領域まで行ければ盤石だが、当然ながら一朝一夕で到達できるものでもない。特に国内の若手俳優の場合はさまざまな作品を通して経験を積み、30歳前後でより個人の志向を反映した作品選びへとシフトし、第2フェーズに進むといった流れが王道だろう。と

奈緒の芝居の“深度”に触れ、僕はどうしようもない感情に押しつぶされてしまった。

文=SYO @SyoCinema  役者に対して「すごい」と感じる瞬間は多々あるのだが、この人においては不遜にも「一緒に仕事をしたい」と思ってしまった。ひとりの物を書く人間として「この人に演じてもらえたら、幸せだろうな」と夢想してしまう存在であり、「物語を書きたい」とインスピレーションをかき立てられる存在でもあり……。  創作の世界ではそれを「ミューズ」と呼ぶのだろうが、まだ実績のない自分においてはその言葉が当てはまらなくとも――似たような感覚を抱いてしまったのは確かだ。

“そこに在るだけで物語る”菅田将暉。『百花』での難役をこなした彼を紐解く

文=SYO @SyoCinema  菅田将暉という俳優は、恐らく日本映画史においてもまれなタイプなのではないか? と勝手ながら感じている。日本を代表する人気俳優のひとりであり、音楽活動も精力的に行ない、ラジオパーソナリティーとしてのトーク力も一流。さらに、漫画などの作中の会話で「好きな俳優」として名前が挙がるほど広く認知されている。属性だけ見れば完全にスターなのだが、どうも飾るところがない。そしてそれが故に、市井の人にするりと成り切れてしまう。『花束みたいな恋をした』('2

広瀬すずの真骨頂。『流浪の月』で痛感した、“嘘のつけない”演技の在り方

文=SYO @SyoCinema  日本屈指の実力者でありながら、“固まることのない”俳優・広瀬すず。映画やドラマといったフィクション=嘘を描き続ける分野で、彼女の気質は「嘘がつけない」もののように感じる。画面の向こうにいる彼女の一挙手一投足は、精緻に作り込まれた“技術力の結晶”というよりも、再現性が低い“魂そのもの”、いわばその瞬間の生きざまを写し取ったもののように見えるのだ。  もちろんカメラの前で演じる以上技術は伴うものだし、筋肉の動かし方や他者が作ったセリフを自分

北村匠海の絶妙なバランス感覚を考察。演技の中で発揮する“翳り”の存在感のすごさ

文=SYO @SyoCinema  俳優として、ダンスロックバンド「DISH//」のメンバーとして幅広く活躍を続ける北村匠海。2017年の映画『君の膵臓をたべたい』や、2020年にYouTubeの人気チャンネル「THE FIRST TAKE」で披露した「猫」でその実力を多くの人が知るところとなり、ヒットシリーズ『東京リベンジャーズ』('21/続編『~2 血のハロウィン編』2部作は4月21日(金)と6月30日(金)に連続公開)では主演として牽引。今クールのドラマ「星降る夜に」

生まれてからずっと、僕のそばにいてくれたもの

文=SYO @SyoCinema  映画との思い出。そもそも自分が映画にハマったのは、いつ頃からだっただろうか。明確に「このタイミング」といえないほど、幼少期から当たり前の存在として「映画」はそばにいた。それは今思うに、環境によるところが大きい。  まず、時代。僕は1987年生まれで、ケータイを持ったのは高校生、インターネットもまだまだ縁遠い時代だった。大学に入ってパソコンを個人で持つようになってからネットに日常的に触れ始めたような感じで、最後のアナログ世代といってもいい

岡田准一の突出した身体能力と滲み出るカリスマ性。『燃えよ剣(2021)』で土方歳三に成り切った“凄み”を紐解く。

文=SYO @SyoCinema  俳優・岡田准一について考えるとき、「達人」「師範」という言葉が思い浮かぶ。その大きな要因は、彼の突出した身体能力によるものだ。彼が魅せるアクションは他の追随を許さない。  いわゆる「動ける俳優」は数多いが、岡田の場合は第一に「すべて自分でこなせる」。“最強”と呼ばれた殺し屋に扮した「ザ・ファブル」シリーズ(’19、’21)の撮影で、スタント・チームが苦労したアクションを、本人がさらりと成し遂げてしまったのはよく知られた話。それもそのはず

「ファンタスティック・ビースト」シリーズの“沼”にハマるなら今! 何度も行きたくなる“魔法ワールド”の魅力を紐解く

文=SYO @SyoCinema  WOWOWでは、2023年1月7日(土)に「ファンタスティック・ビースト」(以下「ファンタビ」)シリーズ3作品('16~'22)を一挙放送。今回は、WOWOW初放送となる第3作『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』を中心に、「ファンタビ」シリーズの魅力を改めて考えていきたい。  そもそも「ファンタビ」とは、「ハリー・ポッター」(以下、「ハリポタ」)シリーズから派生した“魔法ワールド”シリーズの一つ。「ハリポタ」シリーズの第

“怪優”から“名優”へ――ジョーカーを演じたホアキン・フェニックスの、驚くべき変化を目撃できる1本

文=SYO @SyoCinema 「名優」よりも「怪優」の称号がふさわしく、「名演」より「怪演」と評されることが多いホアキン・フェニックスは、観る者を畏怖させる“圧”をまとうことのできる俳優だ。『グラディエーター』('00)『サイン』('02)『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』('05)『ザ・マスター』('12)『インヒアレント・ヴァイス』('14)など、彼のフィルモグラフィーを軽くなぞっただけでも、とにかく濃い。  特にポール・トーマス・アンダーソン監督と初めて組ん

『余命10年』の坂口健太郎に、彼自身が持つ“人間力”を痛感する

文=SYO @SyoCinema  俳優はさまざまな人物を演じる職業だが、その中でも“器”である本人の人柄を感じさせる瞬間は往々にしてあるものだ。善人がはまる俳優だったり、あるいはそれを逆手にとって極悪人を演じさせてみることでギャップを狙ったり――。パブリック・イメージは本人にとってつえにもかせにもなり、どう付き合っていくかでキャリアが構築されていく。  坂口健太郎においては、本人の人間性がにじみ出るような好青年を多く演じてきた。常識人であり、他者の痛みを想像できる人物で