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イラストレーター・信濃八太郎が行く 【単館映画館、あちらこちら】 〜「フォーラム山形」(山形市)〜

名画や良作を上映し続けている全国の映画館を、WOWOWシネマ「W座からの招待状」でおなじみのイラストレーター、信濃八太郎が訪問。それぞれの町と各映画館の関係や歴史を紹介する、映画ファンなら絶対に見逃せないオリジナル番組「W座を訪ねて~信濃八太郎が行く~」。noteでは、番組では伝え切れなかった想いを文と絵で綴る信濃による書き下ろしエッセイをお届けします。今回は山形市にある「フォーラム山形」を訪れた時の思い出を綴ります。

文・絵=信濃八太郎

観たい映画を観るための「場所」作り

 東日本大震災が起きてすぐ後、身の回りで、イラストレーションの力で世の中にどう貢献できるか、というような議論があった。社会の中で絵を描いて生きている以上、こういうときにこそみんなですべきことがあるのではないかと。

 いろんなアイデアが挙がったものの、個人的には今の状況下で、そもそもイラストレーションが求められているのだろうかと思い悩んだ。自分では答えも出せず、飲みながら話せば「3.11以後を生きるアーティストが、自分の意見を語る覚悟もないの?」とあきれ顔で言われたこともあった。イラストレーターであってアーティストではありません、というような曖昧な言葉でその場を濁し、議論から逃げてしまった。もやもやとした胸の内では感じていることがあるのに、うまく言葉にならない。

 そんなとき、友人が一冊の本をプレゼントしてくれた。
 それは『アルテス』という音楽雑誌で、表紙に大きく「特集、3.11と音楽」と書かれてあり、尊敬する作曲家・ピアニストの高橋悠治さんのインタビューが掲載されていた。語られるその言葉の一つ一つに心底救われたような気持ちになり、自分の記憶として常に紐付けておくために、個人的に漫画に描いて残したりもした。

 以下は高橋悠治さんのインタビューの言葉から。“音楽の持つ力とは?”と問われて…

 『それは力といえば力なんだけど、あんまり「力」と言いたくない。逆なんですよ。脱力。ほっとする。ここには権力もない。限られた場所だけど息がつける。そういう場所が少しずつ増えていけば、もうちょっと生きやすい。それはちょっとしたことで、誰でもそれなりにできるはずなんですよ。だからあまり大風呂敷広げないで、そういうことをそれぞれやっていたほうがいい』

『アルテス vol.1 【3.11と音楽】』(アルテスパブリッシング刊、2011)

 70年代後半、軍事クーデター下にあったタイをはじめ、世界各地の抵抗歌をアレンジ・演奏する「水牛楽団」としても活動し、楽器を持って人々の中に入っていった高橋悠治さんの言葉には、思想を超えて、実践してきた人にしか語り得ない包容力があって、胸に響いた。

 今回取材させていただくに当たり、フォーラム山形の成り立ちから現在までの歴史を伺って、まず思い出したのが先の高橋悠治さんのインタビュー部分だった。

 1979年、映画を愛する仲間4人が「山形えいあいれん」として、観たい映画を自分たちで自主上映しようと始めた活動は、山形市の皆さんの協力を得て、1984年には日本で最初の“市民の出資を集めて設立した映画館”としてフォーラム山形を開館するに至った。38年たった現在では、東北地方を中心に、栃木県の那須塩原まで広がって、11館58スクリーンを擁する大きな映画館ネットワークになっている。

 フォーラムネットワークでは、各劇場ごとで異なる地域のニーズに合わせて、大作からアート系の作品まで、それぞれ上映作品を編成しているという。草の根映画館じゃないけれど、上段に構えることなく、自分たちが観たい作品を観るための場所を、自分たちで作り、それを続けていくこと、広げていくこと、次の世代につなげていくこと。その取り組みそのものが豊かなことではないかと、いたく感じ入ってしまった。

フォーラム山形で“フジロック気分”に

 今日お話を伺う支配人の森合広もりあいひろしさんにご挨拶する。ぼくと同年代とのことだけれど、随分とお若く見えた。

 「ありがとうございます。ずうっと好きなことだけやってるからかもしれません。福島の出身なんですが、映画が観たいというだけの理由で大学時代は東京に出まして、劇場でアルバイトしながらひたすら映画を観てました。支配人としてフォーラム山形に来て10年たちますが、今でももちろん映画が大好きで、寝る間を惜しんで観ています。おたくも仕事にしちゃうとプロと呼ばれます(笑)」

 フォーラム山形には広大なワンフロアに五つのスクリーンがあって、入り組んだ平面図を見ているだけで楽しい。興味のない人には分かりづらいかもしれないけれど、個人的には年に1度の楽しみ、フジロックフェスティバルの会場MAPを見ているようなワクワク感だ。大小さまざまなスクリーンがそれぞれ、個性豊かなステージのようにも見えてくる。

 スクリーンによっては、時間帯で作品の掛け替えもされている。昨夜、スクリーン2の最終回に上映されるジョーダン・ピール監督の『NOPE』('22)を観ようとロビーで待っていたら、開場前に、オンタイムで上映中の『さかなのこ』('22)(沖田修一監督)のポスターとの入れ替え作業が始まった。間近で見ながら、まるで次のアーティストへの舞台転換みたいじゃないかと、手前勝手なフジロック気分が止まらない。

 「上映する作品は、できる限りお客様の要望にお応えしたいというところからだんだん増えていって、今は五つのスクリーンで、1日10~15本の作品を入れ替わり掛けています」

  なんとそんなに、と驚いたけれど、森合さんが言葉をつなぐ。
 「デジタル技術のおかげなんですが、東京とのタイムラグが解消されてタイムリーに作品をお届けできるようになったのと同時に、手軽に映画を撮れるようにもなり、作られる作品数も増えています。一年間に1,500本くらいの映画が公開されてますので、うちで350本上映できても、全体で見れば1/5程度。その中からえりすぐって、観ていただきたい作品を上映するとなると、どうしても入れ替わり立ち替わりという感じでやっていかないと追い付かないんです」

 この日だけでも、朝9時の初回から、夜9時半の最終回まで、11本の作品が上映されていた。ここにいれば一日中映画を楽しめる。

 「はい、そういうお客様も多いです。午前中からお昼頃までは常連さんを中心に、作品を選ばずに、ふらっと来られる方がたくさんいらっしゃいます。今日のオススメは、なんて聞かれることもありますよ」
 森合さんが笑ってお話しくださる。
 「たくさんの作品を上映しているメリットですね。一本目が終わってもお待たせせずに次の作品のご案内ができます。紹介した作品をご覧になった帰りに、アタリだったわ、とお声がけいただくとやっぱりうれしいですね。たまに、今日はハズレだったけどまた来るよ、なんて言ってもらえることもあって、それもまたとてもありがたいことですよね(笑)」

 森合さんは、なんてことのないようにおっしゃるけれど、館内に置かれた今週の上映ガイドを見ていると、すべてのお客さんに一日楽しんでもらうために、どれだけ緻密に予定が組まれているのかと感心してしまった。
 ご年配の方に好まれそうな映画は早めの時間、またアート系、学生など若い人たちに人気の映画は夕方から夜になど、作品それぞれの個性に合わせて、五つあるスクリーンの中のどこで上映するのか、また休憩時間をどうはさむかなど、まるでピースがきれいにはまったパズルのように、一週間分が編成されている。これを毎週更新しているわけで、大変なお仕事だ。

 手にした上映予定を眺めて、ここで一日どう過ごすかと想像するだけで楽しい。まずはメインのグリーン・ステージを観て、一度食事して、午後はフィールド・オブ・ヘヴンで民族音楽を聴いて…なんてことを楽しむフジロックのタイムテーブルと、また印象が重なってしまった。
 ここではさながら毎日が映画フェスみたいじゃないか。

 昨夜の『NOPE』には、40席と、館内では一番小さなスクリーン2に、一日の終わりをジョーダン・ピールで過ごそうという映画好きな人たちが大勢集っていた。子育てしているとなかなか夜の回の上映を楽しみに出かける余裕がないので久しぶりの高揚感だった。

 ドキン! とする場面で音が高く鳴るたびに、ひゃっと声を上げそうになる。後ろの席の人も体が反応するのだろう、その都度ぼくの座席に足が当たって揺れ、ジョーダン・ピールに試されながら一緒に恐怖を乗り越えていくような共感があった。これは楽しい。エンドロールが流れる頃には、怖い映画ほど映画館で、できれば小さめなスクリーンで観るに限るなと、新たな発見をした。そんなことを森合さんに話す。

 「そうでしたか。ストーリー自体は家で観ても変わりませんが、映画館で観てこその迫力、劇場ならではの体験として映画を記憶してもらえるよう、『NOPE』もそうなのですが、作品に合わせた音作りをするなど、取り組んでいるんですよ」

 取材時も『百花』('22)(川村元気監督)を観ようと、たくさんのお客さんでロビーはにぎやかだった。平日から、『百花』と『NOPE』という対照的な作品のどちらにも、これだけ多くのお客さんが入っていることに少し驚いた。外の静けさからは予想もしなかった熱気が館内にあふれている。山形駅前よりもフォーラム山形の方がにぎやかなんじゃないかしら。

 「山形市は日本で初めて、ユネスコ創造都市ネットワークの映画分野で加盟認定されました。映画の都というと大げさかもしれませんが、映画が身近にあるというか、本当に映画に親しんでいる方が多いんです。

 こちらは2000年に移転して5スクリーンになったんですけれど、創業した当時は住宅街の中、2スクリーンの小さな映画館としてスタートしました。そんな中で最初の上映作品は『未知との遭遇』('77)と『ひまわり』('70)だったそうで、まさにうちの映画館の在り方を示すスタートだったと思うんですね。

 大作だろうとアート系だろうと映画は映画。分け隔てなくいろんな作品を楽しめる場所として集ってほしいという思いなんです。作品の数は増えましたが、今も変わらず、純粋に映画を楽しんでいただけるよう、営業を続けています」

森合さんの「映画愛」に触れて

 先ほどから気になっていた森合さんのTシャツに描かれた“Only Lovers Left Alive”の文字。ジム・ジャームッシュ監督作のタイトルである。やはりお好きなのだろうか。

 「はい、好きな監督をひとりというと、ジャームッシュでしょうか。今年は念願だったジャームッシュやヴィム・ヴェンダース、そして今やっているウォン・カーウァイなど、自分が映画を好きになった頃の作家たちの特集上映ができてとてもうれしいです。

 今は過去の作品がきれいにリマスタリングされて、あたかも新作のような顔をして登場するじゃないですか(笑)。それによって今の若い人たちが新しい作品として出会える。すごく幸福なことだと思いますね」

 お話しされる森合さんが本当にうれしそうだ。これだけ愛を持って映画を語る人は、どのようなきっかけで映画の森に入っていったのだろうか。森合さんと映画との出会いを伺う。

 「もちろん小学生の頃に観たスタローンやスピルバーグといった映画が入り口なんですけれど、“映画の魔術”を初めて感じたのは『スティング』('73)でした。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの、あのどんでん返しに、ご多分に漏れず“だまされた!” と(笑)。映画にのめり込むきっかけとなった作品です」

 頭の中であのラグタイム・ピアノのテーマ曲『The Entertainer』が流れ出し、ぼくも家で父親と一緒に観た懐かしい記憶がよみがえった。「同じくどんでん返しの系譜では『ユージュアル・サスペクツ』('95)は映画館に8回観に行きました」と森合さんが笑う。なんと8回もですか! と、ぼくも笑ってしまった。

 「もちろんストーリーや役者さんの演技も素晴らしいんですけれど、やはり劇場ならではの集中力で作品に食らい付いていってるからこその、あのラストのどんでん返しが余計にドーン!と来ると言いますか(笑)。体験として記憶に残っていますね」

 今はどんな監督や作品にはまっていらっしゃるのかと、森合さんに今イチ推しの監督を伺ったところ、即答でロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督を教えていただいた。帰ったら早速観てみよう。

 思い付きの雑談を良しとしてくれる番組の制作スタッフに甘えて、突然ですが…と森合さんに切り出してみる。まったく関係ない話ですけれど、ぼくにとってここはまるでフジロックみたいだなと思ったんです、と。

 先ほど感じた上映予定表とフジロックのタイムテーブルのことなどをお話ししたところ、森合さんの表情が瞬時に変わり、とても驚かれている。

 「え、フジロックですか! 僕も大好きで初回の天神山からずっと行ってました。一年中映画の仕事をしてますが、七月終わりの三日間だけは休みをもらって苗場に行くっていうのが一年間の良い区切りでした。
 まさにそうです、フジロックの楽しみ方やタイムテーブルを参考に、レッド・マーキーで観た後はオレンジコートで休むだろうみたいな、自分で上映作品を組み合わせながら、そんな感覚は確かにありますよ(笑)」

 まさかこんな勝手な妄想話がつながるとは思ってもみなかった。脱線してみるものである。森合さんがお話しを続けてくださる。

 「フジロックでいつだったか、ニール・ヤングを観ていたら、隣にいたのが俳優の佐野史郎さんだったんです。その時ちょっとだけお話しさせていただいて。それでその後、若松孝二監督作品の舞台挨拶で佐野さんが来てくださったときに、ニール・ヤングのことをお話ししたら、なんとおぼえていてくださって。こんなことってあるんだなと思いました」

 音楽と映画、苗場と山形、高橋悠治さんのインタビューにあった「息がつける」場所が、それぞれつながっていくようだ。

 最後に森合さんに山形の魅力を伺う。
 「やはりこれからは芋煮の季節ですね。山形市の各公園にはかまどがあって、気軽に芋煮ができるんです」

 芋煮を料理の名前と勘違いしていたのだけれど、野外で楽しむバーベキューみたいな行為を指すのだと初めて知ったぼくに、森合さんが説明してくださった。

 「そうですね、まぁバーベキューみたいなものですかね。スーパーに行けば鍋とかたき木を貸してくれて、誰でも手ぶらで芋煮ができるんです。秋になるといろんな所から煙が上がって、休みの日でしたら昼間からみんなお酒と一緒に楽しんで。お酒が好きな八太郎さんだったら最高だと思いますよ(笑)」

 そのノリはまさしくフジロックじゃないかとうれしくなってしまった。フォーラム山形に、年齢問わず多くの人が集まるのも、芋煮がもたらした山形の「集う」文化の影響があるんじゃないかと、また妄想が膨らむ。

 最初の話に戻れば、高橋悠治さんのインタビューを読んだ後、この雑誌をくれた友人とふたりで、ピアノとイラストレーションのイベントを始めることにした。大風呂敷を広げるのではなく、まずは自分たちの家族や友人たち、身近な人から笑顔にしたいと。人の言葉に感化されてすぐ行動に移している単純さにふたりで笑った。

 イベント当日は、まさしく「集う」からこそ生まれる幸せな空気が会場を包み、楽しい時間だった。回を重ねていた会は、子育てと仕事で忙殺されて今は中断しているけれど、今日ここで森合さんとお話しして、また復活させなければと思いを新たにした。

*参考文献
『フォーラム30周年記念誌 THE WAY WE WERE』(フォーラムネットワーク刊、2014)

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