公文書は「国の所有物」ではない――ウィシュマさんの事件と『モーリタニアン 黒塗りの記録』に学ぶ

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、内部での拷問や暴力の実態が明るみに出たグアンタナモ基地での実話をもとに描かれた『モーリタニアン 黒塗りの記録』('21)。

 無実を訴えるひとりの男性の前に立ちはだかったものは何か。ベネディクト・カンバーバッチらが出演。ジョディ・フォスターが第78回ゴールデングローブ賞で助演女優賞に輝いた本作を、SDGsの「目標16:平和と公正をすべての人に」を軸に紐解きます。

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(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

ウィシュマさんの事件――そこにも黒塗りの文書はあった

 めくっても、めくっても、段ボールの山から出てくるのは、ほぼすべてが真っ黒に塗られたA4用紙だけだった。「元々黒い用紙を注文しただけでは?」と思いたくなるほどの、膨大な量の紙から読み解ける内容は、ほぼゼロといっていい。この黒塗りの下には、2021年3月に名古屋出入国在留管理局で亡くなったウィシュマ・サンダマリさんが、収容施設でどのように過ごしていたのかが記録されているはずだった。

 2017年6月、ウィシュマさんは、「日本の子どもたちに英語を教えたい」と、英語教師を夢見てスリランカから来日した。けれどもその後、学校に通えなくなり、在留資格を失ってしまう。2020年8月に名古屋入管の施設に収容されたが、彼女はスリランカに帰国ができない事情を抱えていた。

 ウィシュマさんは、収容前に同居していたパートナーからDVを受けていたことを施設関係者に幾度も伝えている。そして、その男性から収容施設に届いた手紙には、《帰国したら罰を与える》など、身体的な危害を加えることをほのめかす文言が綴られていたのだ。

「帰国できない」「外に出してほしい」と訴えるウィシュマさんは、やがて体調を崩し、自ら体を起こせないほど衰弱していったが、最期まで点滴などの措置を受けることも、外部病院に入院することも叶わなかった。

 ウィシュマさんの死後、2人の妹が遺族として来日し、「密室」の中で姉に何が起きたのか、「真実を知りたい」と声を上げ続けてきた。検証に消極的な入管庁に対し、遺族代理人はウィシュマさんに関わる医療関係・処遇関係の書類等の開示を求めた。

「法にのっとって、行政文書開示請求するように」――入管側のそんな返答通り、弁護団が開示請求をしたところ、15万6,760円の「開示実施手数料」の請求とともに、あの「黒塗り文書」が1万5,000枚以上送られてきたのだ。2人の妹は、うずたかく積まれた紙の束の前で絶句していた。

 入管側がこうした不誠実な対応をするたびに、妹たちは、時に怒りを込めてこう訴えかけてきた。「なぜ、そうした態度を取るのですか? 私たちが貧しい国から来たからですか?」と。少なくとも彼女たちは、入管側の態度が差別的であると感じていた。そう感じざるを得ない態度に、再三直面してきていた。

グアンタナモ収容所内における残酷な蔑視を、私たちは知る権利がある

『モーリタニアン 黒塗りの記録』を観た時に、事件の背景は大きく異なるものの、私が真っ先に思い浮かべたのは、あの時に目の当たりにした途方もない量の黒塗り文書だった。この映画の原作となっているのは、モーリタニア出身のモハメドゥ・ウルド・スラヒ氏が、拘禁されていたキューバのグアンタナモ収容所での日々を綴った手記『グアンタナモ収容所 地獄からの手記』だ。アメリカ政府の検閲によってほとんどが「黒塗り」となった記述をそのまま出版したことで、むしろ収容所内の「不都合の闇深さ」を知らしめることとなった。

 グアンタナモ収容所は、米国の同時多発テロを計画したテロ組織、アルカイダの幹部や「テロリスト」たちを収容するために設置され、キューバ東部のグアンタナモ米軍基地内に置かれている。なぜキューバに米軍基地があるのかと疑問に思うかもしれないが、この場所は両国が1903年に締結した条約で米国側に貸与され、その後の新条約により、キューバ側の意思だけでは返還されない構造になっている。

 これまでに分かっているだけで、少なくとも子ども15人を含む約780人がグアンタナモ収容所に連行され、正式な司法手続きも経ず、長期間にわたって非人道的な環境に留め置かれてきた。そのうち有罪とされたのはたった8人であり、うち3人の判決は控訴審で覆っている。スラヒ氏は、無実を訴えるも拘禁されてきたひとりだった。彼は2016年10月まで、実に14年2カ月を収容所で過ごした。うち約7年は、裁判で勝訴したにもかかわらず、釈放されなかった期間だ。2013年、スラヒ氏の母は、息子との再会が一度も叶わぬまま他界している。

 この「密室」で、何が起きてきたのか。どのような「調査」が行なわれてきたのか。映画ではスラヒ氏(タハール・ラヒム)の代理人となった米国のナンシー・ホランダー弁護士(ジョディ・フォスター)が、真相に何とか手を伸ばそうと奔走する姿が描かれている。ホランダー弁護士は、政府に関連資料を請求するが、山積みされた箱に詰められていたのは、大部分が黒塗りされた紙の束だった。

 政府の「有罪ありき」な筋書きのつじつま合わせに、軍は躍起になった。スラヒ氏に加えられた、手段をいとわない激しい暴力は、あからさまな人種差別でもあった。彼らがスラヒ氏らを見つめる目に浮かんでいるのは、相手を同じ人間として扱わない残酷な蔑視だった。

「目標16:平和と公正をすべての人に」は「暴力の防止とテロリズム・犯罪の撲滅」が掲げられているが、それを支えるのは同じ目標内で掲げられている「拷問の撲滅」「司法への平等なアクセス」そして「透明性の高い公共機関」のあり方だ。そのすべての土台となるのが「情報への公共アクセス」であり、適切な公文書の管理と開示もここに含まれるだろう。

 ウィシュマさんの事件にもいえることだが、公文書とは本来、「国の所有物」ではない。それは市民の財産であり、私たちは知る権利を有している。なぜそれを阻むのかと声を上げていい。この映画は、そんな「民主主義の根幹」に立ち返らせてくれる。

安田菜津紀さんプロフ220304~
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