『ストレイ 犬が見た世界』が捉えた犬の視線の先にあるもの――忘れられた戦争、そしてトルコ社会でいま起きていること

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、トルコのイスタンブールの路上で、愛犬家でもある米国のエリザベス・ロー監督が、2年間にわたってストレイドッグ(野良犬)の暮らしを追った『ストレイ 犬が見た世界』('20)。

 北米を代表するドキュメンタリー映画祭のひとつ、Hot Docsカナダ国際ドキュメンタリー映画祭で最優秀国際ドキュメンタリー賞を受賞。犬たちの視線で撮影された映像からは、表面をなでるだけでは見えてこない、街の姿が浮かび上がってきます。この作品から、SDGsの「目標16:平和と公正をすべての人に」を切り口に、彼らの目に映った社会のあり様を考えます。

(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

ウクライナのイルピンで出会ったターニャさんの悲しみ

「まだあまりに若かった。家族だったのに……」

 庭の一角にぽつんと残された犬小屋を見つめながら、ターニャさんはがっくりと肩を落とす。

 2022年5月、私はウクライナの首都キーウから北西約20キロの場所に位置するイルピンを取材で訪れていた。人口6万人ほどだったこの街は、ロシア軍によるキーウ中心部への侵攻を防ぐため、激しい戦闘が行なわれた地のひとつだ。多くの市民が犠牲になり、一時は数万人が街を追われたとみられているが、さらなる実態の解明はこれからだ。

 イルピンはキーウ市内よりも不動産価格が安く、郊外の住宅街として知られていたという。窓ガラスが吹き飛び、部屋の中まで真っ黒に焼けてしまった家々は、元はどんな色の壁で、どんな家族が暮らしていたのだろうか。近づいてみるとまだ、焦げた臭いが辺りに漂っていた。

 私が最初にイルピンを訪れたのは、冷たい雨が降り、風の吹きつける日だった。小さな戸建てが並ぶ一角に差しかかった時、自宅の片づけをしている初老のご夫婦を見かけ、声をかけた。「どうぞ、まだ散らかっていて申し訳ないけれど」と、見ず知らずの私を迎え入れてくれたおばあさんが、ターニャさんだった。

 ロシアによるウクライナ侵攻前、ターニャさんは幼稚園で働いていたが、子どもたちは国内外に散り散りになってしまったという。自宅の目の前で爆弾が破裂し、家の中にまで破片が飛び散った痕跡が深く刻み込まれていた。

 自身の身に起きたことを気丈に語っていたターニャさんが、悲しみをはっきりと目に浮かべたのが、その犬小屋を見つめている時だった。ターニャさんと夫は無事だったものの、2歳だった愛犬のレックスは、攻撃の犠牲となってしまったのだという。

 ウクライナで出会った人々の多くが、犬たちをはじめ、動物たちと家族として暮らし、心の支えとしていた。ターニャさんのように、そんな動物たちを亡くした人もいれば、飼い主を亡くして保護されている動物たちもいる。混乱の中で、生き別れになってしまった人々もいる。隣国ポーランドでは、主要な駅やバスターミナルに必ず、ウクライナからの難民支援スペースが設けられていたが、その一角にはいつも、「この子を捜しています」と、ペットたちの行方を求めるチラシがびっしりと貼られていた。

 そんなウクライナのことを、小中学生向けのオンラインイベントで伝えた時、自宅から視聴していた女の子は、隣で彼女を見守るように座っていた柴犬をぎゅっと抱きしめた。戦争があらゆる命をこうして踏みにじっていくことを、彼女はその柴犬の体温を感じながら考えていたのかもしれない。

犬たちの視線の先にいる人々によって映し出されるトルコ

ストレイ 犬が見た世界』の舞台は、ウクライナから黒海をはさんだ対岸の国、トルコのイスタンブールだ。路上で生きる数頭の犬を「主人公」にしたこの映画は、構成する映像のほとんどがローアングルで撮られ、そこから見えてくるのは、犬たちの目に映る街の営みだ。

 トルコは野良犬たちの安楽死や捕獲が違法とされている、「殺処分ゼロ」の国としても知られる。だからこそこの映画は、動物の福祉の文脈で語られることが多いが、私の目に留まったのは、犬たちの視線の先にいる人々の姿だった。カラフルな市場で声を張り上げるお菓子の売り子たち、痴話げんかをする恋人たち、優しく頭をなでようとする小さな子ども。

 そんなありふれた「日常」ばかりではない。路上とは、社会の実相を凝縮したような場所だ。漏れ聞こえてくるラジオは、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が権限拡大を目論んでいるニュースを伝えていた。「私たちには路上で声をあげる権利がある」と抗議の声をあげる女性たちがいた。紛争真っ只中だったチェチェンから来た、と語る男性がいた。そして、犬たちと同じように路上で暮らす、シリア難民の少年たちがいた。

 少年たちは道行く人々に物乞いをし、タバコを売り、ギリギリの綱渡りのような生活で日々をつないでいた。廃墟に身を寄せ、寂しさを紛らわすためにシンナーを吸い続ける彼らを、建設現場の関係者らしい男性が追い出しにかかる。

 激しい戦闘から家を追われ「ホーム」を求めてさまよう彼らに、「家に帰れ」という言葉は、あまりに残酷な響きだった。

 この映画を観て私は、なぜ人がここまで犬たちに心惹かれるのか、なぜ家族として共に暮らそうとするのか、その一端が見えたように思えた。犬は少年たちを蔑む言葉を吐きかけたりはしない。孤独の中で眠りにつく彼らの横で、犬たちもまた寝そべり、体温を分かち合った。お腹を空かせ、食料の配給に駆け寄った少年たちは、そんな犬たちにも惜しみなく、自身の食料を分けていた。

 不当な扱いを受けることを、「犬のように扱われる」と表現することがあるが、この映画を観てからますます、この言葉を使うことを躊躇するようになった。犬の命を蔑ろにしているように思えるし、犬が人間よりも「下」に位置づけられている表現だからだ。

 そんな犬たちの視線は、この社会で置き去りにされがちな存在を照らし出す。

 例えばSDGsの「目標16:平和と公正をすべての人に」は、子どもに対する虐待、搾取、暴力を撲滅することが掲げられていることはもちろん、「2030年までに、すべての人々に出生登録を含む法的な身分証明を提供する」も含まれている。シリア難民の少年の一人は、自身のIDがトルコ側に登録されておらず、だからこそ正規ルートで働けないのだと友人たちに打ち明けていた。犬たちの目からは、そんな少年たちが直面する「不公正」が浮き彫りになる。

 ウクライナで起きていることは辛うじて日本でも報じられているが、「忘れられた戦争」になりつつあるシリアから逃れた人々や、エルドアン大統領が長らく「君臨」するトルコ社会の様相を、この映画から見つめ直してみたい。

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クレジット:(C) 2020 THIS WAS ARGOS, LLC


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