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イラストレーター・信濃八太郎が行く 【単館映画館、あちらこちら】 〜「新潟・市民映画館 シネ・ウインド」(新潟市)〜

名画や良作を上映し続けている全国の映画館を、WOWOWシネマ「W座からの招待状」でおなじみのイラストレーター、信濃八太郎が訪問。それぞれの町と各映画館の関係や歴史を紹介する、映画ファンなら絶対に見逃せないオリジナル番組「W座を訪ねて~信濃八太郎が行く~」。noteでは、番組では伝え切れなかった想いを文と絵で綴る信濃による書き下ろしエッセイをお届けします。今回は、2020年に新潟市にある「新潟・市民映画館 シネ・ウインド」を訪れた時の思い出を綴ります。

文・絵=信濃八太郎

「百年後の町のことを考えなせ」

 館内の灯りが落とされた。さあ映画の世界に2時間身を任せるのみと、寒さでこわばった身体をゆるめてゆっくり目を開く。

 2020年11月、新潟市の万代シテイという商業地区の一隅にある『新潟・市民映画館 シネ・ウインド』にやって来た。
 明日の取材に備え、一日早く来て映画を観ておきたかった。信濃川にかかる萬代橋を渡り、川沿いを歩いているうちにすっかり冷えてしまった。東京から新幹線で2時間、川を渡る風にはもう冬の気配があった。

 「市民映画館」てなんだろう。何も調べずに来たけれどちょうど『マーティン・エデン』が始まる時間だ。アメリカ人作家ジャック・ロンドンの自伝的小説が、イタリアを舞台に映画となって蘇る。冒頭から、ざらついた画面の質感に魅了されていると間もなく、スクリーン下方に赤い線がちりちりと出始めて映写が止まってしまった。再び明るく戻る館内。上映前に作品の解説をしてくれたスタッフの男性が慌てて出て来た。

 「えー、大変申し訳ございません。年に一回、秋から冬に変わる最初の一日だけ、なぜかこのような赤い光線が出る機材トラブルが発生してしまうのですが、まさかこのタイミングで出てしまうとは。『緑の光線』ならぬ赤い光線ではありますが、見た方には幸せが…」
と話したところで客席からどっと笑いが起こった。エリック・ロメール監督作『緑の光線』のことを言っているのだ。一言でこの状況を軽やかに和ませる男性と、即座に笑って応答できる観客の映画愛に嬉しくなってしまった。映写機は再び、今度は無事に、動き始めた。

  シネ・ウインドは1985年12月「自分たちの見たい映画を、自分たちの映画館で」との思いから生まれた。きっかけは同年1月に遡る。地元紙『新潟日報』に掲載された映画評論家、荻昌弘氏の檄文のような記事だった。それは地元に長く愛され、唯一残っていた名画座ライフの閉館に際して寄せられた言葉で、そこには「ライフは新潟の市民が潰した」と書かれていた。

 「俺は(坂口)安吾をやるんだ」と決めて東京から故郷の新潟に帰っていた、当時36歳の齋藤正行さんはこれを読み「お前がヤラなきゃ誰がヤルんだ」と夢のなかで天の声を聴いたと書かれている(『LIFE-mag.』第7号より)。

 安吾をやるとはどういうことか。

 坂口安吾の文章の行間から「お前は、お前の生き方を見つけていいんだよ」と言われているように感じた齋藤さんは、映画業界とはまったくの無縁にもかかわらず、仲間を集め、あちこち駆けずり回り、一年もしない間にシネ・ウインドを立ち上げてしまった。その経過を齋藤さんご自身が綴られた『シネ・ウインド日記』がべらぼうに面白い。映画に限らず「ゼロから自分で何かを始めてみたい」という人にとっては、読むたびに元気をもらえる奮闘記だ。

 映画を観終えた後に館内で購入した雑誌、新潟インタビューマガジン『LIFE-mag.』第7号は一冊まるごと「シネ・ウインド特集」で、『シネ・ウインド日記』も全文再録されている。翌日朝から取材が始まるにもかかわらず、夢中になって読んでいるうちに外が明るくなってしまっていた。

 特集の最後に寄せられた、同じく新潟の町で北書店を営む佐藤雄一さんの言葉に魅かれた。当時、長く勤めていた書店の閉店が決まり、たとえば自分で本屋をやったらどうなるんだろうかと相談した際に、齋藤さんが発した言葉。

 「商売がうまくいくとかいかないとか、そんなことどうだっていいさ。百年後の町のことを考えなせ」

 それこそが齋藤さんが思い描いているシネ・ウインドの姿なのではないか。それが「安吾をやる」ということなんじゃないか。読みながらそんなことを感じ、その一言に押されて始まった北書店がどんな店なのか、自分の目で確かめてみたくなり、取材前に出かけてみることにした。

 北書店はシネ・ウインドとは信濃川を挟んで向かい側の古町にある。名前の通り、古き良き時代の匂いをたっぷりと残した風情のある町並みだ。新幹線が通るまでは、こちらが町の中心だったのだろう。新潟を代表する神社の一つ、白山神社のすぐそばに北書店はあった。取次からの自動配本を断って、店主の佐藤さんが一冊一冊自分で発注して仕入れているという書棚は、見ているだけでわくわくするものだった。店内に飾られていた和田誠さんの絵や師の安西水丸先生の本をきっかけに、新潟にはシネ・ウインドの取材で来たこと、『LIFE-mag.』を読んでお会いしたくなったことなどをお伝えしてみる。約束もせずに早朝突然うかがったにもかかわらず、佐藤さんはお話を聞かせてくださった。

 「齋藤さんは決して押し付けるような人じゃないのだけれど、話しているうちに、なぜかみんな巻き込まれる。気づいたら本の整理なんか手伝うはめになっちゃったり(笑)。不思議な人なんだ」

 店内に置いてあるすべての本に佐藤さんの想いが溢れていて、一冊ずつ手にとっては、もっとお話を伺っていたかったのだけれど、取材の時間が近い。何冊か本を購入し再訪を約束して、目の前のバス停から万代シテイに向かった。

会員が運営に参加する映画館

 シネ・ウインドの劇場業務は現在、代表の齋藤さんから現支配人の井上さんに引き継がれている。今日お話しをしてくださるのも井上さんだ。東京出身の井上さんは仕事で新潟に赴任し、一人の映画好きとして足を運ぶうちにいつしかボランティアスタッフとして手伝うようになったという。北書店の佐藤さんと同様に、そんな経緯を笑いながら話してくれた。

 昨日の『緑の光線』の男性が井上さんだった。
 「いらしてたんですね。お恥ずかしい(笑)。開館時から通ってくださる熱心な映画好きのお客様が多く、みなさんこの場所のこともよく理解してくださっていて、昨日は慌てましたが助かりました。
 シネ・ウインドの会員は現在2,000人ほどおりまして、会員が映画館の運営に参加できるというのが、大きな特徴の一つだと思っています。その方々の個性や特徴や趣味を生かした映画館作りになっているんですね」

 市民映画館とはそういうことだったのか。
 誰かが手を挙げると「それじゃやってみたら」と後押ししてくれる良い流れがあるそうで、うかがった際にも俳優のティモシー・シャラメ出演作を集めた『シャラメと夜ふかし』というオールナイト上映会の案内や、『新潟藤井組(藤井道人監督を応援するファンの集い)チャリティーTシャツ発売』など、館内に貼られた面白そうなお知らせが目についた。それぞれ、会員がやってみたいと自主的に立ち上げた企画とのこと。

 ホールに入るとまずは映画関連の本がぎっしりと詰まった書棚が目に入る。まるで書店のような眺めだ。これらは会員から寄せられたものが中心だそうで、なんと二万冊もあるという。映画に関連する書籍を中心に、新潟ゆかりの作家の本やもちろん坂口安吾に関するものもたくさんある。『キネマ旬報』などの映画雑誌のバックナンバーや映画のパンフレットも大量に揃っており、さらにすべての本がリスト化してあって、会員には無料で貸し出しもしているそうだ。イラストレーターには資料としても使える宝の山のようだった。

 背表紙に惹かれて一冊棚から抜いてみる。『子供たちの時間』の温かな手描きのタイトル。フランソワ・トリュフォーが描く子供たちの世界。映画『トリュフォーの思春期』を自らノベライズした短編集だ。和田誠さんの挿画がたくさん入っており、その一本たりとも無駄のない筆致にため息が出てしまう。地平線一本で和田誠とわかる凄み。会員になって借りて帰りたい。

 続いて館内に案内していただく。座席は2019年にフランス製のものに入れ替えたばかりだそうで、セルリアンブルーの美しい青の発色が空間を軽やかに彩っている。64席あって、座ってスクリーンを見た際に自然と見やすくなるように調整してあるそうだ。車椅子スペースも用意されている。井上さんがお話しくださる。

 「初めて仕事で新潟に赴任したときに、一年の天候の変化、四季の深さに驚きました。冬の間、三月ぐらいまでは本当に曇天続きで、時に雪が降るような天候なんですが、春になると一転して空が青くなるんですよね。淡い青なんですけどとても美しい。春の待ち遠しさが関東に住んでいた時とは全然違っていまして、この座席の青色に、春の訪れの喜びみたいな想いを込めたつもりなんです」

 外がどれだけ寒く曇っていても、扉を開けた瞬間、そこに春が待ってくれているということか。井上さんの言葉から、この町で生活する人たちの気持ちを想像してみる。

 僕は新潟の曇天も好きだ。収穫を終えた田んぼの畦道を一人歩いていると、どこからか野焼きの匂いがしてきて、日暮れに向かって空気も重く冷たくなってくる。五感を研ぎ澄ませて「ひとりでいること」を芯から味わう貴重な時間。雪降る前の、秋の終わりの新潟の旅。

 お話をうかがい終わって、ひとり劇場の前でスケッチをしていると、やはりそんな“新潟らしい”曇天に包まれ、やがて静かに雨が降り始めた。映画館から、明け方まで読んでいた雑誌の男性が現れこちらに歩いてくる。齋藤正行さんだ。36歳で立ち上げてから35年。モッズコートのような紺色の上着とストールのように軽く巻いたマフラーの組み合わせがとてもお洒落だ。年齢をまったく感じさせない。デヴィッド・ボウイの写真でこんな感じのがなかったっけ。

 「シネ・ウインド日記、とても面白く読ませていただきました」

 「あら、本当? それじゃああなたも相当な変わり者の仲間だね」と齋藤さんはニッコリ笑ってくださった。雨が一瞬上がった。

ー追記(2022年11月)ー
  ここまでの文章を取材後すぐに書き、齋藤さん、井上さん、シネ・ウインドの皆さんに読んでいただいたことがきっかけとなって、今でも有難いご縁がつながっている。再訪を約束した北書店は、惜しまれながら今年の夏に閉店された。あの書棚をもう一度じっくり味わいたかったのだけれど、佐藤さんはまたきっと新たな場所で北書店を始められることだろう。その日を楽しみに待ちたい。

 シネ・ウインドの運営をボランティアでお手伝いされている春川さんは、去る6月、東京でのぼくの展覧会にまで来てくださって、会場で劇場の皆さんの近況など、ゆっくりお話をうかがうことができた。帰り際にシネ・ウインドは私にとってたいせつな「サード・プレイス」ですとお話しされていたのがとても印象に残っている。

 家庭(第一の場)とも職場(第二の場)とも違う、“自分”を豊かにするための、第三の特別な場所。会員になれば誰でも当事者として関わることができるシネ・ウインド、きっと皆同じ想いでいるのだと思う。映画を入り口として、より充実した生き方を得るために、それぞれが自分で考え、行動し、つながっていく。

 齋藤さんがこの町の100年先を見据えて蒔いた種が、たくさんの芽を出し、しっかりと根付き育っている。ぼくの目にシネ・ウインドは、映画館を超えた映画館として映っていて、こういう場所が増えていったら良いなと、この人は…と思う人に『LIFE-mag.』第7号をプレゼントして、勝手に普及推進に努めるお節介をしている。ご興味ある方はシネ・ウインドのHPから購入もできますので、一読をオススメいたします。

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