イラストレーター・信濃八太郎が行く 【単館映画館、あちらこちら】 〜「シネ・ピピア」(兵庫・宝塚)〜
名画や良作を上映し続けている全国の映画館を、WOWOWシネマ「W座からの招待状」でおなじみのイラストレーター、信濃八太郎が訪問。それぞれの町と各映画館の関係や歴史を紹介する、映画ファンなら絶対に見逃せないオリジナル番組「W座を訪ねて~信濃八太郎が行く~」。noteでは、番組では伝え切れなかった想いを文と絵で綴る信濃による書き下ろしエッセイをお届けします。今回は兵庫・宝塚の「シネ・ピピア」を訪れた時の思い出を綴ります。
文・絵=信濃八太郎
旅の途中、原田治先生に想いをはせる
今回訪ねるシネ・ピピアは、阪急宝塚線の売布神社駅前にあるのだけれど「支配人の景山理さんからオススメいただいた『郷音』というお店が、宝塚駅から向かうと一駅手前の、清荒神駅すぐにあるので、ぜひそこでアジフライを召し上がってみてください。大変おいしいそうですよ」と、番組プロデューサーの尾形さんが事前に教えてくださった。
きよしこうじん? その聞き慣れない地名、なんで知ってるんだっけな…と必死に思い出したら、以前、オサムグッズで知られるイラストレーター原田治先生から「清荒神には富岡鉄斎の晩年の作品を集めた美術館がある」と教えていただいたのだった。江戸、明治、大正と三つの時代を生きた富岡鉄斎は、89年の生涯で一万点を超える書画を残したといわれる文人画家で、原田先生は大の鉄斎びいきだった。
(*詳しくは先生のご著書『ぼくの美術帖』や『ぼくの美術ノート』でお読みいただけます)
まだイラストレーターとして駆け出しの頃、築地のパレットクラブというイラストレーションスクールでスタッフとして働かせてもらっていて、その校長先生が原田治先生だった。毎週異なるイラストレーター、編集者、デザイナーといった人たちがやって来て繰り広げる講義は、スタッフとして後ろで聞いていても大変勉強になった。
でもそれ以上に、掃除して片付けも終わって後は帰るだけという頃になると始まる、原田先生の「居残り講義」が何よりも楽しかった。先生が季節に合ったお茶を入れてくれて、隣接の仕事場からたくさんの本、画集や写真集などを抱えてきては「信濃くん、こんなの知ってる?」と、一つ一つに解説を加えていく。作品のみならず、歴史的な背景などまで教えてくださって、表面しか見えていなかった自分にはとても新鮮だった。
鉄斎の画集もそんな流れで見せていただいた。鉄斎への賛辞はやがて、南画(文人画)を排斥した岡倉天心やフェノロサが、国威をかさに着た新日本美術運動なるもので、いかに日本の美術をダメにしたかという先生なりの美術論に流れていき(そちらの話の方が長い)、そんな時代にあっても、古都のど真ん中に隠棲しつつ、ひたすら自分の思うままに描き続けた鉄斎のことを、ページを繰りながら「すごいね、本物の天才だよ」と、憧れと尊敬を込めて語ってらしたのが昨日のことのようだ。原田先生も70歳でお亡くなりになってしまい、あのクールな毒舌を聞くことはもうできない。
そんなことを思い出しながらいただいた『郷音』の山陰アジフライは、一口かんでフワッと、その後ジュワッとおいしさが広がる絶品だった。二枚か三枚か悩んで二枚にしたのだけれど、その後の午後、シネ・ピピアでスケッチしている間中、三枚にしたら良かったと後悔した。結局あまりのおいしさに後ろ髪を引かれてしまい、スケッチが終わった後、夜にもひとり舞い戻ってしまった。「あれ、お昼にも来られましたよね!?」と、スタッフの女性が笑顔で迎えてくださったのがありがたかった。
その会話をきっかけにご主人が話しかけてくださって、明日シネ・ピピアを取材することや富岡鉄斎美術館に行きたいことなど、話が弾んだ。
「あぁ、清澄寺の富岡鉄斎美術館やね。ここからだと参道を歩いて20分くらいやな。歩くのにもええ道ですわ。けど、今コロナで休んでるのとちゃうかな(*以下、関西弁の記述は記憶で書いてますので、間違いや失礼がありましたらごめんなさい)」
カウンターに並ぶ格好となった、近隣に住むご常連さんたちからも、いろんなお話を伺うことができた。
「この辺の子たちはみんな“歌劇と花月”言うて、小さい頃から宝塚歌劇も吉本新喜劇も両方親しんでました」
「え、あの阪急電車の色は茶色ちゃいますよ、あれは“阪急電車の色”なんです! 茶色と違うて、なんとも言えず上品な色でしょう」
「映画『阪急電車』観てへんの? あれ観ないでよう宝塚に取材に来られましたね。もう素晴らしい映画! 明日までに観といた方がええのとちゃいますか」
など、手のひらで遊んでいただいているような楽しい会話の端々にまで宝塚の町への愛が感じられ、お酒も進む。コシナガマグロやタイのお刺し身、ハモやあぶったサバなどの山陰の魚に合わせる島根のお酒、李白がまたすっきりとおいしくて、あっという間に夜が更けていった。ご主人がおっしゃる。
「シネ・ピピアの景山さん、最初はよう酔うてはるお客さんやなぁと思てましたけれど(笑)、新聞記者の方たちを連れて来られて、記事にして取り上げてくださったり、大変お世話になってます。どうぞよろしくお伝えください!」
お会いする前から、景山さんの「町を盛り上げよう」というお心配りに触れ、頭が下がる。
シネ・ピピアの景山さん
翌日、こちらもまた景山さんがぜひとオススメくださった戦争映画特集のうちの一本、黒木和雄監督作の『美しい夏キリシマ』('03)を観た。15歳の主人公の少年を、これがデビュー作の柄本佑さんが演じている。どこか軽みのある独特の色気はすでにこのデビュー作から漂っていて驚いた。映画は、隣り合わせの生と死の間で悩み、咆哮する少年の叫びであり、またあの終戦の年の夏空の下、必死で生きている人たちを一人ずつ丁寧に描いた群像劇でもあり、こんな素晴らしい作品をこれまで見逃していたことを恥じるとともに、教えてくださった景山さんに感謝した。
「あの作品は、黒木監督の戦争体験を基に描かれているんですよ。つまりあの少年は監督ご自身なんです」
景山さんがお話くださる。黒木和雄監督とはとても長いお付き合いになるのだそうだ。
「そう、最初は80年代、僕がまだ学生の頃ですよ。当時、映画館ではメジャー作品、つまり企業が作った映画しか掛からなかったんです。独立プロみたいな形で細々と作っている人たちもいたんですが、作品ができたところで映画館では掛からない。まだビデオもない時代だったので、観たいとなったらフィルムを借りてきて自分たちで上映会をやるしかなかったんです」
iPhoneで撮って、すぐにSNSに上げて世界に発信できる今の若い人たちからすると想像し難いことだろうけれど、それだけに、その厳しい状況下で想いを持って作られた作品や、手間を踏んでようやく観ることのできた映像体験の濃さもまた、今では想像できないほど、心に深く刻まれるものだったのではないかとうらやましくもなる。
「そうですね、黒木さんのデビュー作『とべない沈黙』(’66)なんて大変な苦労をして作られたのですが、本当に素晴らしくて。作品を上映するのに合わせて、どうせやるなら監督に来ていただいてお話を聞こうと、必死でなんとか交通費を捻出しましてね(笑)」
「僕が相手を務めたのですが『素晴らしい作品でしたね、これはどんな想いや意図を持って作られたのですか』って、聞くわけですよ。そうしたら監督『そんなことはあなたが考えなさい』って一言。お客さんの前でですよ、素っ気なくてね。なんやコイツ! って(笑)。でも二次会に行ったらとても優しい人でね。今さっき、その感じを出してくれたら良かったのに! って、そんなところからですよ、付き合いが始まったのは」
それこそ昨日のことのように生き生きと思い出を語られる景山さん。
「黒木さんの晩年は、戦争を繰り返しちゃいかんというね、そういうテーマでしたね。本当にすごい監督でした。ところで今日の『美しい夏キリシマ』、あれ35ミリだからね、やっぱりフィルムは良かったでしょう!」
少年のような晴れやかな笑顔に、学生時代からきっとこんなふうに映画を楽しんでこられたんだなぁと、すっかり魅了された。
シネ・ピピアの「音響」へのこだわり
景山さんはこの番組で以前取材させていただいた大阪のミニシアター、シネ・ヌーヴォを立ち上げた方でもある。
「シネ・ヌーヴォは25年、こちらが23年になりますね。1999年にできました。この場所には古い市場が残っていたのですが、再開発の計画もあった中で、’95年の阪神淡路大震災で全壊してしまいました。この辺りはちょうど谷になっている場所なので、伊丹の方までどどーっといってしまったんです」
「復興に際しては、駅前なので宝塚市が計画して、非常時には避難できる施設であると同時に、平時には文化施設として市民に還元できるような場所にしようと、それで映画館が造られることになりました。シネ・ヌーヴォをやってたもので声を掛けていただいて、僕がコンサルタントの立場で関わるようになったんです」
シネ・ヌーヴォの活動が認知されて、この建物が造られる前の計画段階から関わることとなった景山さん。
「映画館っていうのは、運営とハードを分けて考えるわけにはいかないんですね。どう運営していくかということで劇場の設計も変わってくる。町の人にとって利便性もあって、見やすい映画館として続けていくにはどうしたら良いのか。突き詰めていくと結局、企業はやってくれないわけですよ、経営的に厳しいので。それで僕がやらせてもらう形になりました。公設民営といいまして、宝塚市が建てた映画館の、運営の部分を任されています」
設計に際しては、映像はもちろんのこと、特にこだわったのが音響設備だそうだ。重低音をしっかり響かせるためにコンサートホール用のスピーカーが入れてあるとのこと。
「ただ入れてあるだけじゃないんですよ。このスピーカーの機能をフルに活かすためには、1メートル四方の純正コンクリートの躯体を造る必要があるというので、当初から音響、映像設備の専門家たちと一緒に、映画館の設計を考えていったんですね」
音へのこだわりが強いアニメ作品を上映した際には、何十回と観ている熱烈なファンのお客さまから「ここの音は素晴らしい。他所で聞こえなかった音が聞こえた!」とのうれしい感想も寄せられたそうだ。
「宝塚って、宝塚歌劇があることもあって、音楽がある町づくりを進めているんです。映画館も、新たに造るなら音にこだわってちゃんとしたものを造りたいということを、宝塚市が理解してくれたおかげで実現できました。50席、2スクリーンの本当に小さな映画館ですけれど、本格的な映像体験ができる場所を造ることができて、宝塚市には感謝しています」
シネ・ピピアの二つのスクリーンはそれぞれ、1は東宝系の作品、2は名画座的な位置として、景山さんが「今観てもらいたい」作品を掛けるほか、館内設置のリクエストボックスに寄せられたお客さんからのご要望を反映してラインナップを決めているそうだ。大作からマイナーな作品まで、同時に観られる劇場というのも珍しいのではないだろうか。
「映画って本当に多様じゃないですか。いろんな映画を掛ければ、それだけいろんな年代の人が観に来てくれる。例えば僕の前の席の若い人が、僕なんかからすれば、なんでここで笑うの? ってところで突然笑ったりする。その違いこそが、まさに発見なんですよ。茶の間で観ているのとは違う、映画館だからこその発見。普段は接しれない部分でも、映画を通じてだったら分かり合えることがあるんじゃないかって、そう思ってるんです」
「最近、喜怒哀楽の感情が伝わりづらくなってるでしょう。そんな中で映画館というのは、そのように広い意味で社会を知ることのできる学校でもあるし、また映画館のスクリーンが何に似ているかといえば、窓ですよね、世界に開かれた窓。ここで座りながらにして、世界で起こっていることや、多様な文化、歴史を味わってもらえる場所なんですよね」
先ほど『美しい夏キリシマ』が終わって明るくなった劇場で、座ったまま涙を拭いていたおじいさんのことを思った。同じ作品であっても、まったく次元が異なる体感をされている現実に触れたばかりでの景山さんのお話。実感を持って理解ができた。
“地元発”の大切さ
これまでに印象に残っている作品を伺ったところ、景山さんから挙がったのも、やはり昨夜盛り上がった『阪急電車 片道15分の奇跡』('11)だった。定員50席に加えて当時は立ち見も入れ、毎回超満員で一日5回の上映を繰り返したそうだ。
「いやぁもう大変でしたよ。劇場のキャパから考えたら、全国1位ってくらいお客さんが入りました。阪急電車に乗って映画館に来て、スクリーンの中の阪急電車を観て、また電車で帰る。映画の世界と自分の現実が地続きにつながっていく、不思議な感覚になれるわけですね」
景山さんが笑う。
「僕はそういう“地元発”の映画ってとても大事だと思ってるんです。地域の人たちが、自分も作り手側の感覚で観るってことを体験してもらって、映画をもっと好きになってもらいたいんですよ。映画館はその接点になれる。『阪急電車』の時に本当にそう思いましたね」
町とのつながりをお話しされる景山さんに力がこもる。
「宝塚市民の皆さんと一緒に『宝塚映画祭』というのもやってます。この映画館ができた時から始まったので、歩みは同じで今年で23回になります。元々、宝塚は宝塚映画製作所もあった映画の町だったんです。阪急電鉄の創業者・小林一三さんがここに東洋一の映画製作所を造ろうと、スタジオもできてね、50〜60年代には宝塚で映画が量産されてたんです」
「森繁久彌さんに、小津安二郎監督、黒澤明監督、木下惠介監督や原節子さんまで、みんなこの町に来て映画を撮ってるんですよ。宝塚には温泉があって、風景的には山や谷、旅情のある場所がたくさんあって、神戸まで行けば海も撮れる。ロケーションが良かったんでしょうね。加えてなんといっても宝塚歌劇の女優さんたちが使える!(笑)。そんな文化的遺産も、今の若い人たちはまったく知らない。『宝塚映画祭』では、過去に宝塚で作られた名作を掘り起こしてね、改めて映画の都だったってことをアピールして、地域を盛り上げて世代をつなげていきたいんです。今年も11月にやりますので、ぜひいらしてください」
初めて黒木和雄監督を呼んだときと同じ情熱で、今も映画と関わり、この町の未来を見ている景山さんのお話からは、ブレずに一つのことをコツコツとやってきた職人さんのような清らかさを感じた。
自分もイラストレーションについて、同じ姿勢で生きていきたい、いかねばと、改めて足元を見つめ直した今回の旅だった。11月、鉄斎美術館は再開してるかな。
*参考文献『ぼくの美術ノート』(原田治著、亜紀書房刊)
*原田治先生から教えていただいたことをお話しさせていただいております。
https://at-living.press/culture/24117/
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