生きる人々の日常は続くからこそ、先立つ人とどのようなお別れをするのかも大きな意味を持つだろう――『ぼけますから、よろしくお願いします。』続編から考える「壁」の取り除き方

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、認知症の進む母、支える父の姿を娘の視点から捉えたドキュメンタリー映画、『ぼけますから、よろしくお願いします。』('18)の続編にあたる『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』('22)だ。

 長年ともに生きてきた90代の夫婦の暮らしから、SDGsの「目標11:住み続けられるまちづくりを」を考えます。

(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

東日本大震災で亡くなった義母の携帯番号に幾度も電話をかけていた義父の思い

「これ、お義母さんの番号だ……」

 2015年7月、義理の父が亡くなった。東日本大震災当時、岩手県陸前高田市に暮らしていた義父は、津波で義母を亡くし、栃木の親戚宅に身を寄せていた。葬儀などの連絡が必要となり、私たちは義理の父が使っていた携帯電話を開いた。すると発信履歴に、義理の母の番号が並んでいたのだ。

 義理の両親は18歳の時から連れ添ってきた二人だった。なんでも父が大学入学早々にバイク事故で骨折し、慣れない松葉づえ生活を送っていた時、「何かお手伝いしましょうか」と声をかけたのが、同じアパートに暮らし、同じ大学に通っていた母だったのだという。

 あの津波は義母を、がれきとともに川の上流9km地点まで押し流していった。発災から1カ月後に辛うじて発見されたものの、火葬場はどこも満杯状態だった。なんとか内陸まで遺体を運び荼毘だびに付すことができたものの、通常であれば遺骨を「お帰り」と迎え入れる生活の場、二人が暮らしていた家までも、津波により破壊されていた。

 義母は元々、広島の出身だ。「自分が広島から連れて来てしまったから死なせてしまったのだ」と、義父はことあるごとに自分を責めていた。

 自然災害は予告なしにやってくる。長年ともに暮らしてきたパートナーとのあまりに突然の別れは、義父にとって到底受け入れられないものだったはずだ。まだ伝えたいことが山のようにあったはずだ。だからこそ、かかるはずのない義母の携帯番号に、日々、幾度も電話をかけていたのだろう。

「会いたかったんだよね。お疲れさま」

 ひつぎに納まった義父の安らかな顔に、心の中で何度も、声をかけた。

 東日本大震災当時、義父のように大切な人を突然失ってしまった人、行方不明のままで、お別れの言葉をかける機会さえなかった人たちが、それぞれの悲しみを抱えていた。ところがその約10年後、津波や地震とはまた違った形で、この「お別れ」の前に壁が立ちはだかった。

 高齢化社会と病床削減のなか、もともと2030年には約47万人に上る人々が、亡くなる場所が定まらない恐れがあることが指摘されてきた。そこに新型コロナウイルスの感染拡大だ。病院の面会が著しく制限され、この3年ほどの間に、家族をみとれないまま、「曖昧な喪失」を抱えざるを得なかった人たちがどれほどいたことだろう。

「ステイホーム」「密を避けて」と盛んに叫ばれていた感染拡大初期の頃には、大切な人が既に納められた骨つぼを、葬儀関係者が極力接触を防ぐために玄関先に置き、少しの間を置いてから家の中にいる家族が扉を開け、そっと拾い上げる、といった光景もテレビで報じられていた。

いつ、どのように家族に会うのか、それを「選択」できることもまた、人間の尊厳の一部だろう

 この連載でも以前取り上げた映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』は、ドキュメンタリー作家の信友直子監督が、自身の両親にカメラを向けたドキュメンタリーだ。大正9年生まれの父、昭和4年生まれの母は、広島・呉で二人暮らしを続けていた。やがて母の認知症が進み、当時95歳の父が、買い物や掃除など、家事をこなすようになる。信友さんは東京から二人の元に通い、これまでできていたはずのことができなくなっていく母の姿に戸惑いながらも、必死に伴侶を支えようとする父にカメラを向けた。

 今回の映画『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』は、その続編だ。認知症がさらに進んだ母は脳梗塞を発症し、一時は回復の兆しを見せるも、その後新たな脳梗塞が見つかってしまう。その母を見守る父子も手探りだ。食べることが好きだった母に、延命治療のための胃ろうをすることを決めたのは、母のためだったのか、一緒にいたい自分たちのためでしかないのか、父子はともに悩む。

 病院も新型コロナウイルスの感染対策と家族のケアで、迷いながらの判断に迫られていた時期だったと思う。それでも様子を見ながら、現場は柔軟に対応したのだろう。父は母の手を握り、ベッド際に寄り添い、「最後の対話」を交わすことができた。「危ない」と言われてからも母は、10日以上も生き抜いた。まるで家族と過ごす時間の一分、一秒を惜しむかのように。

 SDGsの「目標11:住み続けられるまちづくりを」には、「人々に安全で包摂的かつ利用が容易な緑地や公共スペースへの普遍的アクセスを提供する」ことが掲げられている。信友さんの父は母の認知症が進んでから、ふうふうと息を上げながらも買い物に行き、母が入院してからは手押し車で休み休み、1時間の道のりを歩いて見舞いに通っていた。衰えないようにと筋トレにまで精を出す父の姿に、病院スタッフも目を見張る。

 ただ、その疲れもたまっていたのかもしれない。ある日、玄関先で転倒してしまった父の額には、痛々しい傷跡が残っていた。いつ、どこに行くのか、どのように家族に会うのか、安全な移動手段は何か、それを「選択」できることもまた、人間の尊厳の一部だろう。毎度タクシーに頼っては費用がかさみ、毎度歩いていては体力が削られる。バスなのか、もう少し小規模の移動手段なのか、主要施設への公共アクセスをどのように整えていくかは、引き続きこの社会の大きな課題だ。

 信友さんの父がベッド際で母に語りかけた、「一緒にハンバーグを食べよう」という言葉は、結局叶わないままになってしまった。母を見送った父子はファミレスに入り、父は98歳とは思えないほどの食欲で、デミグラスソースのたっぷりかかったハンバーグを平らげる。母の分まで、その味をかみしめていたのだろうか。こうして、生きる人々の日常は続く。続くからこそ、先立つ人とどのようなお別れをするのかも大きな意味を持つだろう。そこに立ちはだかる「壁」を社会の中からどのように取り除いていくのかを、この映画から改めて考えたい。

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クレジット:(C)2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~」製作委員会

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