菅田将暉が醸し出す“リアリティ” ―演技のテクニカル面を超えた凄(すご)み
文=SYO @SyoCinema
菅田将暉×2021年は、興行収入約38億円超のヒットを記録した『花束みたいな恋をした』(’21)に始まり、彼の真骨頂である“嗅覚”をひしひしと感じさせられる1年だった。
『キネマの神様』(’21)で大御所・山田洋次監督の薫陶を受け、『CUBE 一度入ったら、最後』(’21)ではカルト的な人気を誇るスリラーの日本リメイクに挑戦。写真家・森山大道のドキュメンタリー映画『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』(’20)では、オープニングのナレーションを担当。菅田の出演作の中でも異彩を放つ『あゝ、荒野』(’17)のポスタースチールを担当した森山との再コラボは、ファンにとってしびれるものだったのではないか。
そして、菅田の勢いと作品自体の攻めの姿勢がマッチした『キャラクター』(’21)も、日本では珍しいゾーンへ果敢に斬り込んだ強烈な力作。本作のWOWOW初放送を記念し、この挑戦的な作品の魅力を改めて紹介したい。
菅田にとって、『帝一の國』(’17)で組んだ村瀬健プロデューサー&永井聡監督コンビとの再タッグとなった本作。まず注目したい点は、原案と脚本をあの長崎尚志が担当していること。長崎は漫画家・浦沢直樹の相棒として知られ、「MASTERキートン」や「20世紀少年」「BILLY BAT」の共同原作、「MONSTER」のスーパーバイザーを務めた人物だ。さらに、人気バンドSEKAI NO OWARIのFukaseが猟奇殺人犯役で俳優に本格挑戦。これらの人物たちと菅田が掛け合わさったら、劇薬のようなエンタメができるに違いない――情報解禁時、そのような期待に胸を膨らませたものだ。
『キャラクター』の簡単なあらすじとしては、「売れない漫画家と連続殺人鬼がお互いの活動に影響を与え合う」というもの。この時点で攻めた雰囲気が漂うのだが、詳細を知るとさらにゾクゾクさせられる。「悪役が描けない」という欠陥を抱える漫画家のアシスタント、山城圭吾(菅田将暉)はある日、一家惨殺の現場と犯人の両角(Fukase)を目撃してしまう。山城はその“邂逅”で鮮烈なインスピレーションを得て、両角をモデルにした漫画を発表。瞬く間に大ヒット作品になるが、漫画を読んだ両角が現実世界で漫画内の殺人の「再現」を始めるようになり……。創作と殺人、この2つが結び付き、危険な才能が開花してしまうのだ。
「日本でも『セブン』('95)や『殺人の追憶』(’03)のような映画を作りたい」という本企画の狙い通り、作品の雰囲気はこれらの作品や、大友啓史監督の『ミュージアム』(’16)、現在公開中の『THE BATMAN-ザ・バットマン-』(’22)と通じるように感じられる、ダークでシリアスなもの。描写もショッキングなものになっており、ぬらぬらした血だまりが広がる一家惨殺事件の現場や水膨れしてしまった死体など、温さと一線を画す表現の数々に作り手の覚悟が感じられる。
ただ、上に挙げた作品群が犯人とそれを追う人物の“対決”を描く作品であるのに対し、『キャラクター』の山城と両角の関係は“共犯”に近い。山城本人が望むと望まざるとにかかわらず、両角の凶行に加担してしまっているという点で、作り手の業が描かれるのは、非常に興味深い。どう転んでも山城には破滅が待ち受けているという点でより後味が悪く、罪深い物語が展開する必然性が漂っているのだ。
いわば「容赦のない」要素がそろった本作において、屋台骨の一つとなるのが演技の説得力。おどろおどろしい世界観に闇深い物語が展開するとして、その中で動く人物たちに切迫した感情が宿っていなければ、観る側にとって緊迫感を抱くことは難しい。要は、舞台が作り込んであればあるほど、その強度に匹敵する演技を見せつけられなければ台無しになってしまうのだ。そういった意味でキャストにおいては必然的に重圧と負荷がかかる作品ではあるのだが、しっかりと応え切ったのが菅田の“不安定な安定性”。
入念な演技トレーニングを積み、一度観たら忘れられないほどの怪演を見せつけるFukaseの存在感は抜群だが、Fukaseが攻めれば攻めるほど、その演技の猛攻を受ける菅田にはテクニックが求められる。一般人だった山城が殺人を目撃した時の反応、その後に両角と接触してしまった際の混乱、自分の漫画が罪のない人々を死に追いやっていると知り、精神のバランスが崩れていく際の疲弊……。異常な存在に触れてしまった人間のリアルを、身ひとつで表現する必要があるからだ。山城が観客に近ければ近いほど、本作は怖さが引き立ち、我々は安穏と作品を観ることができなくなる。考えれば考えるほどに難しい役割ではあるのだが、刻一刻と変化する山城の不安定な状態を、的確に表現し続ける菅田の“心身の動き”は見事としか言いようがない。
特筆すべきは、観客に「演技がうまい!」と思わせない点にあるだろう。これは菅田の大きな特長でもあるのだが――彼の演技は時として滑らかではなく、発声にしろ表情にしろノイズがにじんでいる。しかしそれこそが真の意味でのナチュラルさ、人間くささを醸し出しているのだ。その場で起こることにダイレクトに反応して「しまう」素直さが、山城のキャラクター性と完璧にマッチしている。上に挙げたような両角に翻弄されるシーンや、痛みに絶叫するシーンなどは目と耳を覆いたくなるほどの真実味に満ちている。
菅田自身、出世作となった『共喰い』(’13)をはじめ、『そこのみにて光輝く』(’14)『あゝ、荒野』『溺れるナイフ』『ディストラクション・ベイビーズ』(共に’16)『生きてるだけで、愛。』(’18)『タロウのバカ』(’19)など、スマートとは程遠いキャラクターたちに血肉を注ぎ、“人間”として成立させてきた。こうした俳優・菅田将暉の歩みを見ても、『キャラクター』との出会いは必然だったといえる。
世に訴えかける企画への嗅覚がずば抜けており、俳優だけでなく表現者としてのマルチな才能を誇る菅田将暉。彼自身は間違いなく器用な人間なのだが、スクリーンに映る際には不器用さが染み出してくる。そのアンバランスさこそ、彼独自の大きな魅力だろう。
どこまでも人間であり続ける男。だからこそ菅田将暉は、常に面白い。
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