隙がなく、底が見えない。中村倫也は、常に完璧な俳優を “演じて”いる

マガジン「映画のはなし シネピック」では、映画に造詣の深い書き手による深掘りコラムをお届け。今回は映画ライターのSYOさんが中村倫也の徹底した“プロ意識”について、彼が主演した『水曜日が消えた』を中心に考察するコラムをお届けします。

文=SYO @SyoCinema

 中村倫也は、常に“演じて”いるのではないか――。スクリーンやテレビ越しに彼を観ていても、あるいは雑誌などで発言を読んでいても、幸運にもインタビューする機会を得たときも、彼は「中村倫也」という人物を好んで演じているように見える。

 プロ意識の塊であり、サービス精神も発揮しながら、その懐には容易に入り込めぬほど隙がない。それでいて、世間の狂騒をどこか引いた目で見ている。そう、彼は目の前にいても、どこか遠いのだ。

 中村が愛するTVアニメ「呪術廻戦」の言葉を使うなら、「無下限呪術」的とでもいうべきか。近づくほど速度が遅くなり、永遠に到達できない――。芸能界の荒波を耐え抜くため、年月をかけて鍛えられた“術式”は、そう簡単には崩れないのだ。

 それは、取材などでのひょうひょうとした受け答えも同じ。細かく読み込んでいくと、彼の言葉の奥に潜む“本質”が見えてくるのだが、彼自身がストレートに伝えることはない。かといってあまのじゃくかといえばそうではなく、受け取った相手が思考を止めないよう、呼びかけているようにも映る。「そうやすやすと本心は悟らせないし、それではつまらない」とでも言いたげな彼のスタンスは、表現者の神髄を体現しているといえるだろう。

 常時人気者を演じながら、同時にハイレベルなリテラシーを要求する中村。そんな彼がひとり複数役を演じたら、面白くないわけがない。WOWOWにて4月3日(土)に初放送を迎える『水曜日が消えた』(’20)は、まさに彼にうってつけの作品だったのではないか。

 本作は、曜日ごとに切り替わる7人の“僕”に起こった異変を描く物語。7つの人格の中で最も特徴がない“火曜日”は、ある朝起きてがくぜんとする。いつもなら目覚めたら翌週の火曜日になっているはずが、翌日の水曜日になっていたのだ――。自分の時間が増えたことに歓喜する火曜日だったが、次第に不安になってくる。水曜日は、一体どこに消えたのか? 調査を始めた火曜日は、やがて驚くべき真相に辿り着く。

 俊英、吉野耕平監督によるミステリー小説のように複雑な設定が敷かれた本作は、いわゆる「多重人格もの」の一種。中村はそれぞれの“曜日”を、衣装や髪形といった見た目だけでなく、細かな癖や口調などを加味して演じ分けていった。撮影日によっては、1日で7役を演じなければならなかったというから、驚きだ。しかも物語が展開していく中で、中村は「他の曜日を演じている火曜日」であったり、「他の曜日に“侵食”される火曜日」を演じたりしなければならなくなっていく。

 さらに注意しなければならないのは、これらの設定を「観客に分かるように」提示していかなければならないということだ。元々脚本がトリッキーな内容になっているだけに、中村の演技が「今はこの状態」と観客を理解&納得させる説得力のあるものでなければ、作品自体が破綻しかねない。出ずっぱりでありながら、観客の興味も読解力も逆算して演じていく――。なんと難易度の高いミッションだろうか。聞いただけで気が遠くなりそうな本作を難なくこなせた中村の情報処理能力と表現力の高さには、敬服するばかりだ。

 ちなみに彼は、本作以前よりこうした「演じ分け」を得意としている。ドラマ「闇金ウシジマくん Season3」で人気キャラクターの“洗脳くん”を演じ、普段は紳士だが、その中身は危険極まりない男という二面性がある(それでいて、表と裏の顔が果てしなく懸け離れている)キャラクターを体現。時には激高し、時には冷徹にどう喝するという呪詛師のごとき悪役を、その高い演技力でもって生き切った。

 ドラマと映画の『伊藤くん A to E』(’17~’18)でも、視点が変わることでキャラクターの見え方が変わる&木村文乃演じる主人公の妄想の中では別人、という斬新な構造の作品の中で、まったく味付けの異なるキャラの複数パターンを提示してみせた。映画『愚行録』(’17)では、人間がのぞかせる底知れぬ闇を、ぐさりと刺すように鋭利な芝居で表現。劇中で彼が見せる、軽薄な嘲笑にショックを受けた方も多いだろう。

 映画『人数の町』(’20)でも、全編通して主人公が急速に変貌を遂げていくさまを違和感なく見せ切った。ラストシーンで見せる、冒頭と180度異なる表情や声は、観賞後にも脳裏に焼き付くほど強く、濃い。実写ドラマ版「岸辺露伴は動かない」では、観客のミスリードを誘う「匂わせ演技」まで披露。この辺りも、演じ分けが多彩な彼の得意技といえるのではないか。

 そもそも、キャラクター演技の傾向が強い『屍人荘の殺人』(’19)や、突き抜けた“狂犬”に扮した『孤狼の血』(’18)、どこまでも繊細に難役に挑戦した『影裏』(’20)など、作品を重ねても役柄が固定化されるどころか逆に広がっていく中村には、死角がない。そのすごさを本人に聞いても「大変そうでしたねぇ、あの日の僕」などとうそぶく姿が目に浮かぶが、全てを己の身一つでやり切るには、相当な体力と知力を要するだろう。

 ただ、その努力をひけらかすことなく、ジョークに持っていくのもまた、中村流。つまり、作品内で演じ切った後にもう1回、客観的な視点を加えた「解説役」の演技を自らに課していくのだ。そのスキルが発揮されるのが、各メディアの取材に応じるプロモーション期間。この時期においては「現場の中村倫也」とは一味違った「取材用の中村倫也」にスイッチし、周囲を煙に巻きつつも「使える」ワードを多数提供するエンターテイナーに化ける。そのため、『水曜日が消えた』でいうなら、演じた合計数は7役ではなく、8役+αといえるのではないか。

 単に撮影当時を回想するのではなく、ちょっとでも面白く、それでいて独自の色を感じさせられるよう、一ひねり加えて取材陣に語る中村。その姿には迷いがなく、完成されている。そして、その姿勢を貫くプロ意識。だからこそ格好いいのだし、だからこそ美しく恐ろしい。いやはや、いつまでたっても底の見えない御仁だ。

SYOさんプロフ201031~

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クレジット:©2020『水曜日が消えた』製作委員会