“怪優”から“名優”へ――ジョーカーを演じたホアキン・フェニックスの、驚くべき変化を目撃できる1本

映画ライターSYOさんによる連載「 #やさしい映画論 」。SYOさんならではの「優しい」目線で誰が読んでも心地よい「易しい」コラム。『ジョーカー』('19)の強烈怪演から一転、『カモン カモン』('21)で父性の目覚めを卓越した演技力で表現した俳優、ホアキン・フェニックスの魅力を紐解きます。

文=SYO @SyoCinema

「名優」よりも「怪優」の称号がふさわしく、「名演」より「怪演」と評されることが多いホアキン・フェニックスは、観る者を畏怖させる“圧”をまとうことのできる俳優だ。『グラディエーター』('00)『サイン』('02)『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』('05)『ザ・マスター』('12)『インヒアレント・ヴァイス』('14)など、彼のフィルモグラフィーを軽くなぞっただけでも、とにかく濃い。

 特にポール・トーマス・アンダーソン監督と初めて組んだ『ザ・マスター』での存在感は、日本公開から10年弱経った今でも、観客の脳裏にこびりついているのではないか。フィリップ・シーモア・ホフマン演じる“教祖”を崇めながら、徐々に関係性が破綻していく…。心の傷や闇をうかがわせるゆがんだ笑顔に、何を考えているか分からない怖さ、スイッチが入ってしまうと手が付けられなくなるような“狂”や“暴”のすごみ、それでいて常人には計り知れないような孤独を抱えた復員兵に扮したフェニックスは、各映画祭・映画賞で激賞された。

 そして、第70回カンヌ国際映画祭で男優賞に輝いた『ビューティフル・デイ』('17)。フェニックスは本作で、行方不明となった少女たちを捜す仕事で生計を立てる元軍人を文字通り怪演。ここでいう怪演とは、表情や仕草がグロテスクであるといったものではなく、抑制の利いたタイプのものなのに「怪物的」と思えてしまうほどに毒性が強い、という意味合いだ。

 ごくごく一般的な生活を送っていれば、日常と暴力は隔たれているものであるはず(そう願いたい)。ただ本作の主人公の場合は、仕事のために暴力を振るうことへの躊躇ちゅうちょが一切ない。ノータイムで手に持ったハンマーを振り下ろせる恐ろしさ――もちろんそれは誰かを救うために行使される暴力ではあるのだが、そこに“思考”、さらには“逡巡”が挟まれないというのは、観る者にとっては恐怖の対象にもなる。「こうなってしまった」過去もちらりと言及されるのだが、強く印象に残るのは得体の知れなさだろう。

 反対に、堕ちていく姿がどこまでも無情に、かつ詳細に描かれていくのは第92回アカデミー賞主演男優賞を受賞した『ジョーカー』だ。社会からこぼれ落ちてしまった男が見知らぬ他者にさげすまれて隅に追いやられ、「人を傷つけてはいけない」というボーダーを越えてしまったとき、悪のカリスマとしてこの世に再臨する……。骨と皮だけと形容できるほどに体型を絞り、痛々しいまでに生の孤独を見せつけたフェニックス。物語は恐ろしい方向に疾走していくが、「この生き方が彼にとっての正解だったのでは?」と思えてしまうほどの説得力がそこにはある。

 このように、ホアキン・フェニックスといえば人間の業によって変容してしまった狂気のキャラクターを顕現できる俳優、というイメージが強いのだが、その“定義”を完全に打ち崩す静謐せいひつで奥ゆかしい傑作がある。日本でも高い人気を誇る制作会社A24と、『人生はビギナーズ』('10)『20センチュリー・ウーマン』('16)のマイク・ミルズ監督が組んだ『カモン カモン』だ。

 本作でフェニックスが演じたのは、ナイーブなジャーナリスト、ジョニー。アメリカ国内を回って子どもたちに「自国」や「未来」についてインタビューを重ねる彼は、ある日、おいのジェシー(ウディ・ノーマン)を預かることになる。予測不能なジェシーとの共同生活の中で、ジョニーに少しずつ変化が訪れていくさまが、モノクロの美しい映像で映し出されていく。

 『人生はビギナーズ』では父親、『20センチュリー・ウーマン』では母親を題材にしたミルズ監督が子どもをテーマに据えた『カモン カモン』は、言ってしまえば非常にシンプルな物語。単身者が疑似/仮設の家族を形成することになり、母性や父性といった“親心”を得ていくストーリー自体は、既存の作品にも見られるフォーマットといえるだろう。では、何が本作の独自性なのか? 

 ひとつはやはり、ホアキン・フェニックスの卓越した演技力。『ジョーカー』で巻き起こした熱をふっと落ち着かせてしまうほどの柔和で穏やかな演技で、全く別のベクトルの人物に肉体を与える――。いわば、『ジョーカー』が“ダシ”に使われるような観客の誘導が実に効いている。どうしたって観る者の脳裏には『ジョーカー』のインパクト(そしてそれは『ザ・マスター』や『ビューティフル・デイ』などを含めて築いてきたものでもある)が残っているわけで、それを軽やかに捨て去るフェニックスの姿を見たときに驚きが生じ、より鮮烈に上書きされるのだ。

 『カモン カモン』の中でフェニックスが見せる芝居は、徹底してリアル志向。自分の常識の及ばないジェシーの言動に振り回され、戸惑い悩みながらも一歩ずつ歩み寄り、やがて良き理解者/保護者となっていく。特筆すべきは、劇中で生まれるジョニーの変化。冒頭とラストで雰囲気がまったく異なるのだ。慈愛に満ちたまなざしでジェシーに愛を伝えるシーンに、涙を禁じえなかった観客は多いのではないか。是枝裕和監督の『そして父になる』('13)ではないが、ごく普通の男が父性を獲得するさまをすぐそばで目撃したような豊かな感動がある。

 個人的な話で恐縮だが、僕自身も娘が生まれたのち、父親としての新しい自分になるまでには紆余曲折あった。ある日を境に父親にはなるが、精神がすぐに父親に変わるわけではない。試行錯誤の中でアジャストしていくものであり、同時に後から自分の心境の変化に気付かされるものでもある。子どもと過ごす時間が何より大切に思うようになったり、振り回されることに動じなくなったり、子どもと過ごしている姿を撮られた写真を後から見て「こんなに笑顔だったの?」と驚いたり…。そうした実感が、『カモン カモン』には潤沢に収められており、仮に自分がそういった経験を経ていなかったとしても、フェニックスの表情を観ているだけで「分かる」と思えるだけの“引き込み”があった。

 「役者というのは真っ白なキャンバスであるべき」なんて言われるものの、強烈な役柄に魂を込めるほど、次の役に引きずってしまうものはあるはず。アカデミー賞を極めた俳優が次にどんな人物に扮するのか、というのは世界中の映画ファンの関心ごとだっただろうが、その答えがこの人物だった、というのは何とも感慨深い。『her/世界でひとつの彼女』('13)で演じた心優しい人物もみごとな仕上がりだったが、『カモン カモン』はまた格別。「フェニックスの演技がすごい」という領域を超えて、ジョニーという人物をただただ好きになってしまう。

 そこに効いてくるのが、本作のもう一つの特長である「子どもを子どもとして描かない」点。インタビュー・パートを含めて子どもをステレオタイプ的に描いたり、感動ドラマとして搾取したりするのではなく、個人として扱うフラットなまなざし。ミルズ監督らしい分け隔てのない優しさがフェニックスの演技と溶け合い、不寛容の時代に人間性を再定義するかのような品のある1本が誕生した。

 今後はアリ・アスター監督の新作『Disappointment Blvd.(原題)』、ナポレオンを演じるリドリー・スコット監督作『Napoleon(原題)』、そして『ジョーカー』の続編と出演が続くホアキン・フェニックス。『カモン カモン』によって“怪優”から“名優”へとその幅を見せつけた彼の次なるステージに、期待しかない。

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