「ああ、生きててよかった」と思わせてくれる「みんなの寅さん」の魅力

マガジン「映画のはなし シネピック」では、映画に造詣の深い書き手による深掘りコラムをお届け。今回は、「『男はつらいよ お帰り 寅さん』放送記念!『男はつらいよ』スペシャル」に合わせて、「男はつらいよ」シリーズの魅力を娯楽映画研究家の佐藤利明さんに聞きました。

文=佐藤利明 @toshiakis

 2019年、「男はつらいよ」シリーズ第1作から50周年を記念して待望の第50作『男はつらいよ お帰り 寅さん』が公開された。

 「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」。歯切れの良い、車寅次郎(渥美清)の鮮やかな口上がスクリーンに初登場したのは1969年。アポロ11号が月面着陸、人類が初めて月世界に立った1カ月後の8月27日、寅さんはおよそ20年ぶりに東京・葛飾柴又に帰ってきた。

 その原点は、1968年10月にフジテレビ系でスタートした、山田洋次原案&脚本、小林俊一演出のドラマ「男はつらいよ」だった。渥美清の「俺、テキヤをやりたいんだ」の一言で企画されたこのドラマは、1969年3月、寅さんが「ハブに噛まれて死ぬ」という衝撃の最終回を迎えた。

 しかしその後、ファンからの熱い要望もあり、山田洋次監督は映画化を決意。5カ月後に第1作が公開された。映画は大ヒットして、その3カ月後には『続男はつらいよ』(’69)が作られ、これまた大ヒットとなり、シリーズ化されていく。

 最盛期には「盆と正月」の年2回、寅さんはスクリーンに登場。毎回、美しきマドンナと出会い恋をして、豪快に失恋したり、悩みを抱えている彼女たちの幸せを願って、そっと身を引いたり。第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(’95)まで、「恋多き寅さん」の物語を、日本人は愛し続けた。

 冒頭の「寅さんの夢」は毎回のお楽しみとなり、タイトルバックに映し出される江戸川、柴又帝釈天の光景に、まるで自分の故郷に帰って来たような懐かしさを抱いて、満員の映画館で観客は共に笑い、心温まるエピソードに涙を流した。それゆえ「国民的映画」と呼ばれることとなる。

 シリーズの魅力はたくさんある。天才俳優、渥美清の佇まいの良さ、立て板に水のような啖呵売(たんかばい)。吉永小百合、浅丘ルリ子、八千草薫、松坂慶子など、日本映画を代表する女優たちが演じたマドンナと寅さんの恋。妹、さくら(倍賞千恵子)や、おいちゃん(森川信、松村達雄、下條正巳)、おばちゃん(三崎千恵子)たち家族との物語。久しぶりに帰って来た寅さんと家族が、お互いを想うあまりにボタンを掛け違えて「それを言っちゃあ、おしまいよ」と大げんかになる、茶の間の騒動。大抵の原因となる、裏の工場のタコ社長(太宰久雄)のおかしさ…。

 昭和44年(1969)年から平成7年(1995)年にかけて寅さんが歩いた日本の風景。今は失われてしまった日本各地の美しい情景は、フィルムに「動態保存」されている。これだけで「映画遺産」でもある。映画はタイムマシンである。リアルタイムに間に合わなかった世代も、映画を通して、寅さんが旅した「あの頃」にタイムスリップできるのだ。

 第1作『男はつらいよ』の冒頭、寅さんは矢切の渡しに乗って、江戸川から柴又へ帰ってくる。背広もグレーのチェックで、ネクタイを締めている。帝釈天参道は宵庚申で賑わい、寅さんはジャケットを脱いで、ワイシャツの袖をまくって纏(まとい)を高く掲げる。「ここは柴又題経寺とくらい!」と祭りの渦の中心になる。この撮影は、参道の老舗連である「神明会」が協力して庚申祭を再現。寅さんの吹き替えは、団子屋「亀家本舗」の旦那が担当。寅さんが出てくるお店は「髙木屋老舗」である。

 第15作『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(’75)は、放浪の歌姫、松岡リリー(浅丘ルリ子)2度目の登場回で、シリーズ最高作と推す人も多い。寅さんがリリーのために浅草国際劇場か歌舞伎座を貸し切ってリサイタルを開いてあげたいと、家族の前でとうとうと語るひとり語りのすばらしさ。リリーへの想いが伝わってくるこの名シーンを、現場では「オペラのアリア」にならって、いつしか寅さんのひとり語りを「寅さんのアリア」と呼ぶようになった。

 第31作『男はつらいよ 旅と女と寅次郎』(’83)は、渥美清が大ファンだった都はるみをマドンナに迎えた華やかな作品。彼女のヒット曲をフィーチャーしながら「歌謡映画」としても楽しめる。人気歌手、京はるみが、仕事に嫌気が差して失踪。新潟・出雲崎の港で寅さんと出会う。漁師(山谷初男)に、佐渡島まで漁船で連れてってほしいと寅さんが頼む。時間がかかるという漁師に「オレは暇だったらな、もう腐るほど持ってるんだ。持ってないのは金だけだい」と明快に応える寅さん。ここからマドンナとの旅が始まる。ちなみに、もともと都はるみの芸名になる予定だったのが「京はるみ」だった。

 1996年の渥美清の急逝でシリーズは終焉を迎え、さくらも、その夫、博(前田吟)も、青春時代に寅さんから恋の指南を受けた甥の満男(吉岡秀隆)たちの物語、僕らにとっては最終作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(’95)で止まったままだった。しかし『男はつらいよ お帰り 寅さん』では、四半世紀ぶりに、その健在を知ることができた。

 僕たちと同じ時間が、満男にもさくらにも流れていたのだ。第42作『男はつらいよ ぼくの伯父さん』(’89)から最終作にかけて、満男が恋をした及川泉(後藤久美子)と、50代を迎え、今では作家となっている満男が再会する展開は「男はつらいよ」シリーズが、常に「現在」を描いてきたことを気付かせてくれる。

 第39作『男はつらいよ 寅次郎物語』(’87)で、高校生の満男は寅さんに「人間は何のために生きてんのかな?」と質問したことがある。寅さんはしばらく考えて「“あぁ、生まれて来てよかったな”って思う事が何べんかあるんじゃない。そのために生きてんじゃねえか」と明快に答えた。このシリーズはこうした「寅さんのことば」の宝庫でもある。

 満男やさくらの回想シーンという形で登場する、元気はつらつとした寅さんの姿に、このシリーズを楽しんできた、あらゆる世代は「嬉しさ」を感じるに違いない。「困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ。おじさん、どっからでも飛んできてやるから」と声をかけてくれ、「燃えるような恋をしろ!」と背中を押しくれた寅さん。『男はつらいよ お帰り 寅さん』には、数々の「寅さんのことば」が随所にちりばめられている。

 『男はつらいよ お帰り 寅さん』の大団円は、長年のファンにも、ビギナーにもたまらない仕掛けがなされている。このクライマックスを観るたびに、僕たちは「あぁ、生きててよかった」とつくづく思うのである。

佐藤利明さんプロフ