映画『明日の食卓』にも見て取れる、瀬々敬久監督の【三元素=シンクロニシティ/実録もの/モザイク状】とは

マガジン「映画のはなし シネピック」では、映画に造詣の深い書き手による深掘りコラムをお届け。今回は、5月28日に公開した、菅野美穂主演、高畑充希尾野真千子共演の、瀬々敬久監督作『明日の食卓』(‘21)を、WOWOWオンデマンドで6月11日より最速配信がスタートしたことを記念し、映画批評家の相田冬二さんに本作と瀬々監督のこれまでの作品について、分析してもらいました。

文=相田冬二 @aidatoji

 瀬々敬久監督『明日の食卓』(’21)が、WOWOWオンデマンドで6月11日から配信され、7月には3日(土)に『糸』(’20)、13日(火)に『楽園』(’19)と、瀬々監督作品がWOWOWで放送される。

 『明日の食卓』は、“石橋ユウ”という同じ名前の男の子3人と、その母親たちの苦悩を描く。3組の母子は、互いに顔を合わせることはない。だが、その喜怒哀楽の行程が確実に一致する。別な場所と別な時間の【シンクロニシティ】を描くことは、瀬々監督の大きな特色だ。この手法は、初期のピンク映画群からすでに行なわれており、近年の『友罪』(’18)や『楽園』で大いなる成果を上げている。

 連作短編が、断章形式にも映る。これは小説の王道の手法だが、瀬々監督の場合は、そうした原作ものを手掛けても、連作や断章、あるいはオムニバス的な乖離(かいり)が生じない。彼ならではの映画的エモーションが息づく。洗練された文体で、それぞれのエピソードを「切り盛り」するのではなく、もっと「混ぜこぜ」に、あるときは「闇鍋」のように「ぐちゃぐちゃ」な親密さで、離れた時間と空間とのシンフォニーを奏でる。

 インドカレーは、「ぐちゃぐちゃ」に混ぜ込んだほうがおいしいと言われるが、さしずめ『明日の食卓』などは、三種のカレーを混合させ、あるときはサフランライスで、あるときはナンで食べているかのような醍醐味(だいごみ)がある。瀬々監督の映画は、“エスニック”だ。

 瀬々監督は、現代を描く。例えば『菊とギロチン』(’18)のように過去を舞台に選んでも、底辺には同時代性があり、今を生きる私たちへのメッセージがある。ときに泥臭いほど、瀬々監督は現代を生きる者たちに肉薄しようとする。昭和も、平成も、令和もぶっ飛ばして、全部、丸ごと現代だと言わんばかりの抱擁力がある。

 【実録もの】は、瀬々監督の重要なテーマだ。昭和の終わりを万感の想いでみとった『64-ロクヨン-』2部作(’16)は言うまでもない。初期から、実際の事件にインスパイアされた作品が多かった。「ワイドショーを観ていると、映画の発想が浮かぶ」と、20世紀にはよく語っていた。単に事実関係を調べて、再構成するのではなく、人間の営みの先に事件が起きたことを検証する。どんな犯罪にも、関わった者たちの生活が関与している。この観点が必ずある。だから、瀬々監督の映画は、どんなに過酷でもぬくもりがあるし、いかに殺伐としていようが救いはある。人間を、信じているからだ。

 性同一性障害という現代的なテーマを描いた傑作『ユダ』(’04)や、女性たちのゆがみを凝視した『サンクチュアリ』(’05)は、『明日の食卓』のサブテキストとしても有効なのではないだろうか。特筆すべきなのは、ある種の暴力(それは愛と密接でもある)が画面を横切る『明日の食卓』だが、映画としては決して暴力的ではないということだ。瀬々監督は、暴力を暴力的には描かない。人間の営みとして見つめる。だから、彼の映画には、登場人物に対する断罪がない。

 『明日の食卓』の”ユウ”という響きは、「You」を想起させる。「You」は、英語で「あなた」と「あなたたち」両方の意味を持つ。単数形であり、複数形なのだ。つまり、『明日の食卓』は、「あなた(たち)の物語」だ。そう、これもまた、瀬々監督が描く現代なのである。

 瀬々監督は、どんな人物も、どんな場所も、どんな時間も、どんな時代も、どんな犯罪も、他人事にはしない。そのために【シンクロニシティ】や【実録もの】というモチーフを援用し、繰り返す。リフレインするたびに、それらは強固になっていくし、しぶとくなってくる。スポーツジムで作り上げられた見せるための筋肉ではなく、肉体労働によって結果的に形作られた精悍(せいかん)な身体がそこにはある。 

 瀬々監督は、すべてを他人事にしないために、【モザイク状】のドラマを形成する。それは、群像劇ではない。誰もが主人公になり得る「世界」の提出だ。大河ドラマ的な代表作『ヘヴンズ ストーリー』(’10)は、その長尺もさることながら、あらゆることが均等に結び付き、人間と人間のヒエラルキーが存在しない関係が、怒濤(どとう)の展開で描き尽くされており、圧巻だ。一つの犯罪を巡る、忌まわしいほどの連鎖が、これでもか、と綴られていくが、善悪の規定を乗り越える「宇宙」的な観点が備わっており(タイトルにもそれは表れている)、映画の肌触りは実は健やかだ。

 物語の骨格自体は、擦れ違いのメロドラマでしかない『糸』も、実はスモールサイズの「世界」の提出だった。【シンクロニシティ】も【実録もの】も【モザイク状】も、そこにはあった。男たちへの不信が息子への惑いにつながる母たちの、行き場のないモヤモヤをどうにかすくい取ろうとする『明日の食卓』もまた、瀬々監督の【三元素】を兼ね備えている。

相田冬二さんプロフ


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