映画『ドライブ・マイ・カー』とセットで読みたい4冊!
第94回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞、第74回カンヌ国際映画祭で脚本賞ほか4冠に輝いた話題作『ドライブ・マイ・カー』が、いよいよWOWOWで放送!
1冊目:女のいない男たち
村上春樹(著) 文春文庫
村上春樹さんが2014年に出版した短編集です。アカデミー賞受賞映画の原作「ドライブ・マイ・カー」が収録されていることで有名ですが、こちらを映画と比較しながら読み進めると、作品の深いテーマ性に目を向けられるのではないでしょうか。
舞台俳優である主人公の家福が、妻を亡くして初めて2人の関係の盲点に気付き、表面的な幸福の上からでは捉えられなかった底知れぬ暗がりに向き合おうとする姿は、他者との根源的な分かり合えなさを訴えます。当事者不在であるが故に答え合わせができないもどかしさを、原作と映画でどのように表現されているのかに注目です。
また、本書には村上さんから珍しく前書きが寄せられていて、収録されている短編を読み進めていくと、そこに一本の串が通っているようなコンセプトの存在に気付かされる、としています。その一本の串こそが今作の題名にある「女のいない男たち」なわけですが、原作「ドライブ・マイ・カー」だけでなく「木野」や「シェエラザード」、そして「女のいない男たち」と読み進めていくことで、その一本の串は、映画をも貫いている感覚を得られるのではないでしょうか。映画『ドライブ・マイ・カー』にも短編集の他の作品から影響を受けたであろう描写が少なくなく、ぜひ最後まで読み進めてほしい一冊です。
2冊目:HIROSHIMA TATEMONOGATARI 物語る広島の建築物を訪ねて
高田真(監修) ザメディアジョン
広島県内にある魅力的な建築物を発掘、発信していこうという県民参加型のプロジェクトをまとめたのがこちらの一冊です。広島の歴史的な建物といえば原爆ドームや広島平和記念資料館が真っ先に浮かぶと思いますが、実は嚴島神社のような由緒正しい木造建築から、モダンで新しい高層建築まで、多様な建物が立ち並んでいます。
映画『ドライブ・マイ・カー』ではこれら広島の建築物、ひいては広島という土地が重要な役割を果たしていて、ここで撮ったからこそ独特のアトモスフィアが醸されているのではないでしょうか。
劇中ではチェーホフの「ワーニャ伯父さん」を多言語で演じるわけですが、平和的に世界の人をつなぐ多言語演劇が広島で催されることに、象徴的な意味を感じます。もちろん瀬戸内の美しい風景や地場の穏やかさが広島の魅力であることは間違いない一方で、『ドライブ・マイ・カー』が訴える「分かろうとしても分からない」もどかしさを伝える舞台として、これほど似つかわしいところもないだろうという気持ちにさせてくれます。
建物一つをとっても、たとえば広島市環境局中工場の吹き抜けのように、「この場所じゃないとこのセリフは出てこないだろう」と思わせるような施設が劇中の中でもさまざま登場し、本書と合わせて映画を鑑賞することで、広島への興味を強く刺激される一冊です。
3冊目:コーダの世界―手話の文化と声の文化
澁谷智子(著) 医学書院
社会学者として比較文化研究をされている、澁谷智子さんが書かれた一冊です。コーダというのは耳の聞こえない親を持つ子どもたちを指す言葉ですが、本書ではそんな「ろう文化」と健常者の文化が入り混じったコーダの日常に迫り、コーダの世界から私たちの日常を捉え直します。
今回のアカデミー賞で『ドライブ・マイ・カー』と並んで作品賞にノミネートされた『コーダ あいのうた』を通じて、「コーダ」という呼び方があることを知った人も多いのではないでしょうか。話し言葉だけでなく、手話でも会話ができることから、コーダは時に多言語話者として知られることもありますが、『ドライブ・マイ・カー』の劇中でも印象的な描写として手話が交えられています。
「ワーニャ伯父さん」の多言語演劇に手話が登場することで、鑑賞者に対して「言語の一つとしての手話」の存在を意識させ、「ろう文化」をハンディキャップとは異なる視点で考えるきっかけを与えるわけですが、澁谷さんの「コーダの世界」は、そんな健常者と「ろう者」という枠組みを飛び越えるのに最適な一冊です。相いれないと思われてきた「声の文化」と「手話の文化」を紡ぐコーダにスポットライトを当てることで、「ろう文化」に縁遠い日々を生きる人に、「分かり合えなさ」を乗り越えるためのヒントを与えてくれるような気がします。
4冊目:地球にちりばめられて
多和田葉子(著) 講談社文庫
1982年に日本からドイツへ移住し、日本語とドイツ語を使って数々の作品を発表してきた多和田葉子さんの小説です。留学中、故郷の島国が突然消滅した世界を生きるHirukoが、独自の言語を作り出し、自分と同じ母語を話す者を探す旅に出るお話ですが、直接的な関係はないものの、『ドライブ・マイ・カー』と強く呼応する作品だと思いました。
劇中で演じられる多言語演劇では、さまざまな言葉が折り重なるように飛び交うわけですが、これは次第に言葉の確かさ、そのものが揺らいでいくような感覚を鑑賞者に与えます。日本語で話し掛けたかと思えば、韓国語で返事が返され、そこへさらに中国語がかぶさっていくなど、軸となる言葉が失われていく様子は、まさに「地球にちりばめられて」でHirukoが経験した母語の消滅に近しいそれではないでしょうか。
オリジナルの言葉を紡ぎ、言葉の垣根を超えて人々とつながるコスモポリタンな冒険譚として読み応えがあるのはもちろんですが、母国語を持つものと持たざるもののヒエラルキーや、よりどころとしての母国語、そしてよりどころであるが故に外部を抑圧する母国語の存在のように、軸が失われたことで表出する、言葉が持つ多面性をも見逃せません。
『ドライブ・マイ・カー』も「地球にちりばめられて」 も、現代人はボーダレスな世界に暮らしながらコミュニケーション不全に陥り、互いに分かり合えない時代を生きている不思議さを伝えてくれます。
これまで紹介した本
先に番組を観るも良し。本から入るのもまた一つの楽しみ方です。あなたにとって番組や本との新しい出会いになることを願っています。
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