本当のパートナーシップとは?――1本の映画からイスラエル・パレスチナ問題を考える
文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda
今回取り上げるのは、1972年、ミュンヘン五輪のさなかに起きた実際の事件をもとに、スティーヴン・スピルバーグ監督が手掛けた『ミュンヘン』(’05)です。
心の機微が細やかに描かれ、報復の凄惨(せいさん)さが震えるほど伝わってきます。ここで描かれているイスラエル・パレスチナ問題は、大国の思惑に大きく左右されてきたことから、あえてSDGsの「目標17:パートナーシップで目標を達成しよう」の視点から映画を紐解いていきます。
(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)
パレスチナのガザ地区。友人は部屋の奥で震えながら祈ることしかできなかった
古びた乗用車に交じって、ロバが荷物を引いて歩くのが車窓越しに見える。そのひづめの音がどこか心地よく道端に響く。民家の間の道を車でゆっくり下っていくと、やがて一気に視界が開け、エメラルド色の穏やかな海がそこに広がっていた。地中海だ。しばらく目を奪われていると、助手席に座っていた友人が、後部座席の私にため息交じりに語った。「ね、きれいでしょう。自慢の場所なの。だけどね、安心して泳げないの。ここは下水処理がちゃんとできる施設もないから、汚水の一部を海に流すしかないのよ。それに、漁師たちは遠くまで船を出すこともできない。いつイスラエル兵に捕まるか分からないから…」。
2018年2月に訪れた、パレスチナのガザ地区。この地がどれほど大国に翻弄されてきたか、近代史を語るだけでも、一言で語るのは困難だ。オスマン帝国の崩壊後、この地はイギリスの委任統治領となり、イスラエル建国の折に起きた第1次中東戦争(’48~’49)の過程でエジプトに組み込まれた。第3次中東戦争(’67)によりイスラエルが統治するようになると、その土地はユダヤ系住民の「入植地」として占領されていくことになる。その後のオスロ合意(’93)により、パレスチナ自治区の領土として認められた後も、完全にイスラエル軍が撤収したのは2005年のことだ。撤退後も、この地に平安が訪れることはなかった。イスラエルはガザの周囲を壁やフェンスにより完全封鎖し、人と物の出入りを厳しく制限していった。東京23区の面積の約3分の2ほどの地に約200万人が暮らしているが、その人口の半数が、国連からの食糧支援を受け続けている状態だ。失業率も50%近くとされ、若者に至ってはその率がさらに高くなる。この地が「天井のない監獄」と呼ばれているゆえんは、こうした真綿で首を締め上げるような構造的暴力の中に置かれていることにある。
そして2021年5月、ガザは再び攻撃にさらされることになる。発端は東エルサレムでの緊張だった。イスラエルは第3次中東戦争以来、東エルサレムを占領し、エルサレム全体を国の首都と主張してきた。一方のパレスチナ自治政府は東エルサレムについて、将来建国を目指す国家の首都になるとしている。この東エルサレムのシェイク・ジャラー地区で、イスラエル人入植者がパレスチナ人の住人に立ち退きを迫り、既に「衝突」を引き起こしていた。そもそも占領地での入植活動は、国際法違反との指摘がなされている。こうした中、ガザを実効支配しているイスラム原理主義組織「ハマス」が、イスラエル側にロケット弾を発射し、イスラエル側は「テロリストへの報復」を掲げガザを空爆した。
あらゆる犠牲があってはならないことは大前提だ。ただ、パレスチナ側とイスラエル側は被占領側と占領側、力の非対称性があることを抜きにして、この問題は語れない。軍事力にも圧倒的に格差がある。昼夜空爆が続く中、あの海を案内してくれた友人は、生後4カ月の赤ちゃんを抱え、「部屋の奥で震えながら祈ることしかできなかった」という。11日間の攻撃で、ガザでは一時、少なくとも7万5000人が避難を強いられた。医療施設やそこに続く道路、メディアが入るビルなどが空爆を受け、子ども66人を含む242人が犠牲となった。
ガザ地区で出会ったある男性は語った――「自分たちは当事者にすらなったことがない」
この複雑に入り組んだ歴史の中で、映画『ミュンヘン』のもととなる事件は起きた。第3次中東戦争後の1972年、旧西ドイツのミュンヘンで開かれた五輪のさなかに、「黒い九月」を名乗るパレスチナゲリラがイスラエルの選手団を襲撃し、11人が犠牲となった。五輪はその後、1日遅れで再開された。映画は、イスラエル側がその報復措置のため、極秘作戦を計画、実行していくストーリーだ。
作戦の「リーダー」に任命された主人公アヴナー(エリック・バナ)は、作戦が極秘であることを理由に、健康保険などの一切を消され、その存在を「なかったこと」にされた状態で、舞台となるヨーロッパへと向かう。果たして標的にしている人物が、本当に作戦を企てたのか…? 当初は疑問を持ちながらも、退路を断たれた彼は、「考えるな」「言われたらそう信じるしかない」と、命じられた任務を淡々とこなすよう努めた。こうして思考を止め、任務にまい進するうちに、人を殺すことへの罪悪感が薄れてきたことを彼は口にする。その感覚が鈍化していくごとに、目から光が失われ、顔から生気が削がれていくのが見て取れた。
やがて彼は気付く。報復に終わりはない。「敵」を殺害しても、また誰かが同じポジションに入れ替わるだけだ。それも、さらに手ごわい人間が。そしてひとり、またひとりと作戦に関わった「仲間」が不可解な死を遂げていく。アヴナーも日に日に追い込まれる。ベッドをナイフで割き、仕掛けられているかもしれない爆弾を血眼で探した揚げ句、クローゼットの中にうずくまり、浅い眠りにつくのだった。
作戦を終えたアヴナーを待ち構えていたのは、温かな歓迎ではなかった。作戦を命じた側は、「なかったこと」にしたはずの彼から、まるで尋問するかのように、とことん情報を搾り取ろうとした。こうして「祖国のため」という大義に疲れ、絶望し、国を離れたアヴナーを、国は「祖国に戻れ」と諭す。国家を構成し、維持するための「駒」として。こうして自国民を「駒」としか見ない国が、まして「敵」と見なす側にどんな扱いをするかは、想像に難くないだろう。
今回あえてSDGsの「目標17:パートナーシップで目標を達成しよう」を選んだのは、パレスチナの歴史が大国に翻弄されてきた歴史であることはもとより、この問題の今後の鍵を握っているのもまた、国際社会の関与の在り方だからだ。時折、イスラエルとパレスチナ双方の「当事者同士」で解決すべきとの声を耳にするが、ガザ地区で出会ったある男性は、「自分たちは当事者にすらなったことがない」と、もどかしそうに語っていた。圧倒的な力の不平等がある中では、国際社会がそれを是正する働き掛けをしなければ、事態は悪化の一途をたどってしまうはずだ。目標17の中には「すべての国、特に開発途上国でのSDGsの達成を支援するために、持続可能な開発のための世界的なパートナーシップ(協力関係)を強化する」とあるが、ガザ地区をはじめパレスチナ側は、インフラ面などをはじめ、開発から取り残された地が目立つ。
ところが日本の防衛相は2019年9月、イスラエル国防省と「防衛装備・技術に関する秘密情報保護の覚書」に署名し、防衛装備技術分野での情報を共有していく方針を示した。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相(当時)の「(覚書は)両国間の安全保障関係を深め、強化するだろう」というコメントも報じられている。こうした「パートナーシップ」は果たして、長年にわたる搾取構造をどこまで踏まえたものだろうか。国際社会の一員として、日本の関わり方にも責任が問われているはずだ。
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