クラウス・バルビーがののしった、性的マイノリティーの人々やロマの人々は、その後、どうなったのか――マルセル・マルソーの実話を、「知る」ための入り口に

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、ナチスドイツにあらがった一人の若者の実話を基に描かれた『沈黙のレジスタンス~ユダヤ孤児を救った芸術家~』('20)。

 SDGsの「目標10:人や国の不平等をなくそう」「目標16:平和と公正をすべての人に」を軸に、第2次世界大戦や今起きている戦争で、よりかき消されがちな声のことを考えます。

(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

当時、ナチスドイツの迫害の対象になったのはユダヤ人だけではない

「強制は駄目です。無理強いすればするほど、娘さんは反発します」
「批判して他の道を勧めれば、ますます頑張るはずです」

「どうしたら(娘に)芸術に興味を持たせられる?」という問い掛けに、かすかに声を震わせながら、主人公マルセル・マルソー(ジェシー・アイゼンバーグ)はこう答えた。彼はユダヤ人であることを隠し、孤児たちを連れて隣国への逃避行の道中にあった。問いを投げ掛けてきたのは、ユダヤ人を迫害し、“リヨンの虐殺者”と恐れられた、ナチスの親衛隊員クラウス・バルビー(マティアス・シュヴァイクホファー)だった。

 1942年、ナチスドイツがフランス全土を占領し、マルセルはレジスタンスに身を投じていた。「ユダヤ人である」ことのみをもって強制される死、迫害、「協力すればおまえの命は助けてやる」という不条理なささやきに対し、「決して屈しない」「ますますあらがっていく」という彼の信念が、あの言葉には込められていたのかもしれない。

 マルセルは戦後、「パントマイムの神様」と呼ばれ、世界中のアーティストに影響を与えたとされる。日本では軽演劇俳優のマルセ太郎が、その影響を受けた一人だ。映画は、父の精肉店で働きながらマルセルがアーティストとして生きることを夢見ていた、1938年のフランスから始まる。じわりじわりとナチスの脅威が拡大していく中、マルセルは親を殺害された子どもたち123人を、兄や親戚、友人たちと引き受けることになる。凍りついた子どもたちの表情を少しずつ溶かしていったのは、マルセルの巧みなパントマイムだった。フランスでようやく平穏な日常を取り戻しつつあった子どもたちだったが、先述の通り、その日々は長く続かなかった。フランスが占領される前に、子どもたちは身分を隠し、散り散りに別の家庭やキリスト教会に預けられていった。

 この映画はぜひ、細部に注目してほしい。ホロコーストは、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺として描かれることが多く、もちろんそれは大切なことだ。ただ当時、迫害の対象になったのはユダヤ人だけではない。同性愛者など性的マイノリティーや障がい者、政治的意見を異にする者、そして少数民族であるロマの人々もまた、その熾烈な矛先を向けられてきた。それが登場人物たちのセリフや各シーンで表現されている。

 例えばクラウス・バルビーが、ゲイ・クラブと思われる場所に突入した時、同性愛者をさげすみ、そしてこう叫んだ。「ユダヤ人だけじゃない! ジプシー(=ロマ)に、心身を病んだ者、アカに社会主義者、労働組合員!」と、彼らが排除の対象にしてきた人々のことをののしり、怒鳴り散らしたのだ。この場面から、映画の中盤に差し掛かる前に、あの過酷な時代を強いられたのはユダヤ人だけではないことを示そうとする、作り手の意思を感じる。

ナチスドイツの脅威から三四半世紀――戦時下のウクライナでロマへの差別が解消されたわけではない

 この映画で直接的に描かれているわけではないが、少数民族ロマは、数百年という歴史の中で、ヨーロッパ各地を移動する生活を続け、その土地土地で差別や迫害の対象となってきた。ナチスドイツによる「絶滅政策」では、数十万人が犠牲になったといわれている。

 2022年6月、私はロマの人々を、戦時下のウクライナで取材した。国内には40万人ほどのロマの人々が暮らしているとされ、近年、混血や定住化、生活の多様化も進んでいる。ただ、現在もロマへの差別が解消されたわけではない。

 地域差もあるが、とりわけ状況の厳しいロマの人々の集住地区では、舗装道路や上下水道なども未整備のままの土地で、バラックや小さな木の小屋に大人数が身を寄せ合っていた。2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻して以来、特に東部や南部で激しい戦闘が続いているが、その影響は安全に見える南西部などにも及んでいる。辛うじてトイレ清掃などの仕事を続けてきたロマの人々も、避難者の増加に伴い、職を失ってしまったと訴える。

 さらに気掛かりなのは、避難の過程でも彼らが差別にさらされてきたことだ。取材に答えてくれた人たちは、こう証言する。

「大規模な避難所なのに、ロマだけは入れてもらえず、寒空の下、凍えながら避難所の入り口で一晩を過ごしました。バスに乗ろうとしたら、“入ってくるな”、“ロマは泥棒だ”と言われたこともあります」

「駅に避難している時に暖を取ろうとヒーターのある部屋に行ったら、『ロマの人たちは受け入れられない』と追い払われました。別の施設では中に入れてもらえたけれど、私たちが入った後に、ヒーターのスイッチを切られてしまいました。私たちに、早く出て行ってほしかったのでしょう。幼い子どもたちを連れているのに……」

「駅舎で寝ていたら、私たちロマだけが追い出されたこともありました。女性たちや子どもたちも一緒にね」

 こうして表に出てくるケースは、ごく一部ではないかと支援者は懸念する。「そもそもロマ自身が、自分たちにどんな権利があるのかを知らなかったり、差別されることに慣れてしまって、強く抗議をしなかったりすることもあるからです」、と。

 この映画を通して「目標16:平和と公正をすべての人に」を考え、暴力や搾取に改めて「NO」ということはもちろんのこと、いざ軍事侵攻や迫害が起きてしまった時、誰の声がよりかき消されがちなのかに気付くためには、「目標10:人や国の不平等をなくそう」の視点が欠かせない。マルセルらは辛うじて、生き延びた。けれども、あそこでクラウス・バルビーがののしった、性的マイノリティーの人々やロマの人々は、その後、どうなったのか――この映画を、「知る」ための入り口にできればと思う。

 ウクライナで生きるロマの人々の声を記事にした時、残念ながら少数ではあるものの「戦時下なのだからマイノリティーのことを伝えている場合ではない」といった声が寄せられた。けれど、むしろ緊急時だからこそ、日頃から社会の中で厳しい状況にある人たちの声を置き去りにしてはならないはずだ。誰かの命を、出自やバックグラウンドによって「二の次」にしないために。

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