国境が運命の線引きになってはならない――ヴェネチア国際映画祭で問題提起されたドキュメンタリーから考える

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げる映画は、ジャンフランコ・ロージ監督が3年以上の月日をかけ、イラク、シリア、レバノン、クルディスタンの国境地帯で撮影し、第77回ヴェネチア国際映画祭でユニセフ賞など3冠に輝いた秀作ドキュメンタリー『国境の夜想曲』('20)だ。

 国境により引き裂かれ、テロや侵略、圧政に直面してきた人々がこれ以上未来を絶たれないよう、何が求められているのか。SDGsの「目標10:人や国の不平等をなくそう」とともに考えます。

(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

「クルド人は常に“使い捨て”だ」――国を持たない最大の民族による悲劇の歴史

 夕暮れ時、車も人々もせわしなく行き交う交差点にたたずむ標識を見上げると、そこには確かに「Heroshima(ひろしま)」の文字が綴られていた。2019年秋、私が訪れたのはイラク北部クルド自治区の中でも、イランとの国境地帯に位置するハラブジャという街だ。平和への願いを込め、街の道の一つに、「広島通り」という名がつけられていたのだ。

 この地一帯には、複雑に絡み合う各国の思惑に翻弄されてきた歴史が刻まれている。クルド人といえば常に、「国を持たない最大の民族」という枕詞とともに語られてきた人々だ。主にトルコ、シリア、イラク、イランにまたがって居住し、その人口はおよそ3,000万人にも上るといわれている。

 第1次世界大戦が終結し、オスマン帝国の崩壊後、イギリスやフランスといった「戦勝国」により、石油利権などが絡む恣意的な国境線が引かれていった。クルド人たちはその境界線で分断され、それぞれの国でマイノリティーとして暮らすことを余儀なくされてきた。各国で違いはあるものの、彼らは同化政策や弾圧、国籍の剥奪といった不条理の数々に直面してきた。

 イラク北部では今、クルド人の自治区が築かれているものの、その権利を得るまでの道のりは過酷なものだった。ハラブジャの街の「悲劇」は、クルド人組織が自治権を得る前、イラン・イラク戦争の最中に起きた。

 1988年2月から9月にかけて、サダム・フセイン率いるイラク政府は、自国内のクルド住民たちの掃討作戦を決行。7カ月余りの間に、5,000以上の村々が破壊され、犠牲になった人々は18万人にも上るとされている。

 1988年3月16日、ハラブジャにはサリン系の毒ガスが投下され、この化学兵器による攻撃で亡くなった住人たちは、当時の街の人口の1割を超える、約5,000人に及ぶとされている。誰しもが家族を亡くし、「まるで街全体が孤児院のようだった」と遺族のひとりは語る。

 私はこの街を訪れるたび、サイード・カカさんの家を訪ねている。当時20代だったサイードさんは、大学に進学し、ひとりこの街を離れていた。ハラブジャ中に充満した毒ガスは、サイードさんから、母や兄ら、24人もの家族を容赦なく奪っていった。

 閑静な住宅街の一角にあるサイードさんの自宅にお邪魔すると、彼はいつも、私にお昼ご飯をごちそうしてくれる。サイードさん自ら腕を振るったという羊の肉が入ったスープ、新鮮な野菜や焼きたてのパンで、食卓はにぎわう。けれども誰かと食事を囲むたび、サイードさんは複雑な気持ちを抱くのだという。

「今でもふと、思い出すんです。我々はあれほど大きな家族で、皆食事をともにしていたのに、なぜ彼らはここにいないのだろうか、と」

 ハラブジャに留まらず、なぜ彼らは「クルド人だから」という理由だけで、命を奪われていったのか。彼らはマイノリティーであるがゆえに、時に大国に利用され、時に見捨てられ、その繰り返しが今に至るまで続いている。「クルド人は常に“使い捨て”だ」と、何度現地の友人がこぼしたか分からない。

「恣意的な国境」に分断されたクルド人たちの終わりの見えない喪失

 映画『国境の夜想曲』はまさに、「恣意的な国境」に分断されたクルド人たちが多く暮らす一帯が舞台となっている。作中では、激しい戦闘シーンは映されていない。けれども街の営みの隅々に、その痛みはくっきりと刻まれていた。

 トルコ政府によって命を奪われた子どもの母と思われる彼女たちは、息子が閉じ込められ、拷問された部屋で、「ともに過ごす人生も未来も持てなかった」と嘆く。その様子は、サイードさんの「なぜ家族はここにいないのか」という悲しみにも重なる。

 脅威は各国の政府だけではない。過激派勢力「イスラム国」の残忍な暴力や処刑を目の当たりにした子どもたちは、心の奥深くまで、底知れぬトラウマを抱えていた。

 こうして終わりの見えない喪失を抱きながらも、残された人々の「日常」は続いていく。

 映画はこの地に刻まれた爪痕を捉えつつ、淡々と映像が連なっていく。燃え盛る石油の炎に煌々こうこうと照らし出された沼地で、ハンターの青年は、銃撃の音など届いていないかのように、ただ黙々と仕事をこなしていた。この沼地がどこの地なのか、あの銃撃はどの軍のものなのか、彼がクルド人なのかそうではないのか、テロップやナレーションでも、一切の明示がなされていない。映像からクルド語が聞こえることもあれば、アラビア語で言葉が交わされていることもある。

 SDGsの「目標10:人や国の不平等をなくそう」には、民族や人種によって社会から排除されないことも掲げられている。映画を見進めるほど「どこの地域なのか」が曖昧になり、国境線が「絶対的なもの」ではないことが、かえって浮き彫りになっていく。「国境などすぐになくしてしまえ」で解決できるほど単純な問題ではないものの、その境界線が、アイデンティティーが否定されたり、マイノリティーが不利益を被ったりする、運命の線引きになってはならない、ということは言える。

「広島通り」のあるハラブジャでは8月、毎年のように、広島・長崎の犠牲者を思い、追悼集会が開かれている。祈りや願いは、こうして国境を越えようとする。その祈りの届けられた日本から、私は今、どんな願いを彼らに届けたいだろう。

 映画を観ながらふと、難民として国外に逃れたイラク人の友人がくれた言葉がよみがえってきた。

「月のない夜には、明かりを頼ればいい。明かりがなければ、ろうそくをともせばいい。ろうそくがなければ、暗闇に目が慣れるまで待とう。やがて、太陽が昇り、光に包まれるだろう」

 この言葉が祈りとなり、映画に映し出された人々をはじめ、世界の至るところで夜を越えようとする人々を、優しく包んでいくことを願う。

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クレジット:(C)21 UNO FILM / STEMAL ENTERTAINMENT / LES FILMS D’ICI / ARTE FRANCE CINEMA / Notturno NATION FILMS GMBH / MIZZI STOCK ENTERTAINMENT GBR

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