動物と共に生き、向き合う上での倫理とは?――1本の映画から学ぶ

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。
 フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、片野ゆかのノンフィクション『北里大学獣医学部 犬部!』(ポプラ社刊)を原案とし、篠原哲雄監督が実在したサークルを描いた映画『犬部!』('21)。

 獣医学部生たちや動物保護に関わる人々の葛藤を通して、保護犬や保護猫、殺処分を巡る問題を描き、「命」に向き合うこの作品を、SDGsの「目標12:つくる責任 つかう責任」の視点を交え考えていきます。

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(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

小学校の校庭で出会った猫。あの時、私たちはどうすれば良かったのだろう

 小学校5年生くらいの時だったと思う。休み時間に校庭で遊んでいると、遊具の陰から猫が1匹ぽつんと、こちらの様子をうかがっていることに気がついた。ふんわりとした白と茶色の長い毛で、少し体の大きな猫だった。人慣れしているのか、物怖じもせずに甘えてくるその様子に、私たちはすっかり夢中になり、撫でたり水をあげたりしていた。「ねえねえ、この子の名前何にしようか?」と話しながら、私たちは授業開始のチャイムと共に一旦、教室に戻った。

 授業中にも、またその猫と触れ合いたくてそわそわとしていた私たちは、終了のチャイムが鳴った瞬間、一目散に階段をかけ降りてまた校庭に向かった。

 ところが、いない。どこを見回しても、さっきまで校庭の隅にいたはずの、その子の姿が見当たらないのだ。

 がっくりと肩を落としながらも、「またどこか遊びに行っちゃったのかな」「また会えるといいな」と友人たちと話していた。その時、たまたま近くを校長先生が通りかかったので、私から尋ねてみた。「さっき校庭に猫がいましたよね? 知りませんか?」

 すると校長先生は、ごくあっさりと、こう答えた。「ああ、あの子は保健所に行ったよ」

 思わず「え…?」と聞き返す。意味が通じなかったと思ったのか、校長先生はわざわざ「保健所の人を呼んで、引き取ってもらったんだよ」と言い直し、その場を去っていった。私たちはその場に茫然と、たたずんでしまった。

 実は当時、動物好きだった私は、獣医になりたいと思っていた。多少なりとも動物の本を読んでいたため、運よく飼い主が見つからない限り、保健所に連れていかれた動物たちの身に何が起こるのか、小学生なりに知っていた。「また会える」望みはほとんどないだろう。あの子が保健所に自ら「行った」のではない。人間の手で「送られた」のだ。それも、あまりにもあっけなく。その後の授業は全く頭に入ってこなかった。気がつけば机に座ったまま下を向き、涙が止まらなくなっていた。

 あの時、どうすれば良かったのだろう。校長先生の立場からすれば、もしも生徒の誰かがひっかかれたり病気がうつったりしたら、と心配に思っての判断だったかもしれない。それにしても、自分たちが可愛がっている様子を見ながら、いきなり保健所送りにしてしまうことはどうにも納得がいかなかった。しかしその子を引き取ろうにも、私の家では猫が飼えなかった。結局は私も、その子を救えなかった人間のひとりだった。

2020年度に日本で殺処分された犬猫は2万3,000匹以上。仏では2024年にペット店での犬猫販売が禁止に

 映画『犬部!』を観ながら、私は当時を思い出していた。物語は獣医学部生の花井颯太(林遣都)と柴崎涼介(中川大志)が、学内の実験犬を救うことから始まる。彼らはやがて仲間を集め、動物保護サークル「犬部」を立ち上げた。卒業後、花井は開業医となり、ボランティアで動物を保護したり、去勢手術を引き受けたりするなど、忙しい日々を過ごしていた。ある時、ひとりの女性が花井の病院を訪ねてくる。倒産し、「多頭飼育崩壊」状態に陥っていた元ペットショップを「助けてほしい」という。見て見ぬふりをできない花井は、すぐに救出に乗り出すが、そこで思わぬトラブルに巻き込まれていくことになる。

 もちろん、物語が全て現実世界に即しているわけではないが、この映画では動物と共に生き、向き合う上での倫理、つまり人間自体のあり方が問われているように思えた。

 映画の最後では、獣医学教育のために保健所から犬を払い下げる行為が2005年度から禁止されたこと、映画にも出てくる、生体を使った「外科実習」が、モデルとなった大学で2018年度に廃止されたことに触れられている。ただ、動物たちの命を守るための規制や制度改革は、十分に進んできたとは言い難い。

 2021年11月、販売用の子犬の繁殖のため、数百匹もの犬を劣悪な環境で飼育し虐待したとして、長野県内で繁殖業を営んでいた男性と従業員が、動物愛護法違反容疑で逮捕された。悪質な繁殖業者やペットショップへの規制は、動物愛護法の改正などを通し少しずつ前に進められてきたものの、議論の度にペット業界から反発の声が上がっていた。

 SDGsの「目標12:つくる責任 つかう責任」は主に、天然資源の消費の仕方や環境保護についてうたわれたものであり、動物の命を「つくる」「つかう」と表現するのは適切ではないだろう。ただ、この目標を広くとらえ、ブリーダーやペットショップはじめ動物の命を市場に流通させる側と、それを買う側に置き換えて考えてみたい。ときに犬猫はじめ動物たちの命を蔑ろにしながら巨大化してきた産業を支えているのは、ほかならぬ消費者である私たちだ。

 日本では店頭で、手軽にペットを購入することができる。けれどもその「手軽さ」の歪みが、保健所や動物愛護センターでの殺処分だろう。2020年度、殺処分された犬や猫は2万3,000匹以上にのぼる。映画では、「動物愛護センターを変える」ために自らの意思で就職した柴崎が、命を奪い続けざるを得ないことで、自らの心までが壊死しかけていく様子が描かれていた。誰かにそうした「犠牲」を押しつけることで成り立つ産業は、「持続可能」とはかけ離れたものだろう。

 さらに今、コロナ禍の「ステイホーム」でペットを飼ってみたものの、元の生活に戻る中で手放してしまうケースが後を絶たないのだという。フランスでは2024年から、ペットショップなどでの犬や猫の販売、動物のショーケースでの展示、インターネットで一般の人が犬猫の販売を行うことなどが禁止される。動物たちは自ら、声を上げることができない。だからこそ必要な制度を作っていくのは、私たちの役割のはずだ。

安田さんプロフ20220204~
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