観る者を“清廉な領域”に引き込む、黒木華。『せかいのおきく』で魅せたその特質を紐解く
文=SYO @SyoCinema
私たちは、物語や役のフィルターを通して俳優を見る。自分は仕事上、比較的彼ら、彼女らに近い場所にいるかもしれないが――。たとえ撮影に立ち会ったり、インタビューで対話しようとも、やはりその本質は分からないものだと思う。僕自身も家族の前以外では濃度の違いこそあれど“人前モード”だし、他者を分かった気になるのは傲慢で怖いことだと思う。だから、なるべく勝手なバイアスをかけないように心掛けている。
ただ――そう意識していても、俳優本人の性格が透けて見えてしまう瞬間はある。自分が勝手にそう思っているだけだろう、余計な先入観は危険だ、錯覚だと言い聞かせても、確信めいたものが消えない。
黒木華の演技を観ていると、いつも役の奥に彼女の“生真面目さ”を受け取った気になってしまう。キャリア初期に出演した『舟を編む』(’13)から最新映画『青春18×2 君へと続く道』(’24)まで、どんな役・作品でも一貫したスタンスを感じるのだ。
相手から生真面目さを受け取る。そうするとこちらも姿勢を正すようになる。よりきちんと向き合わなければならない気になるからだ。常連である岩井俊二が監督した『リップヴァンウィンクルの花嫁』(’16)ではその息遣いすら取りこぼさず見届けたくなり、『永い言い訳』(’16)で黒木が演じた役が放つ「馬鹿な顔」は未だに胸に刺さっていて、『星の子』(’20)や『先生、私の隣に座っていただけませんか?』(’21)は彼女の“怖さ”が物語をドライブさせ、直近でも『ゴールド・ボーイ』(’23)で登場した瞬間にこちらの安心度がグッと増す経験をしたばかり。悲劇のヒロインぶりながら他者に依存する危うい人物を体現した『ヴィレッジ』(’23)での貢献度は高く、黒木でなければこの濁り具合は出せなかっただろうし、彼女がわれわれ観客の居住まいを正してくれたからこそ、キャッチできたとも感じる。
“清廉な領域”に引き込む黒木華の特質。その真骨頂が、第15回TAMA映画賞やヨコハマ映画祭ほか多数で激賞された時代劇『せかいのおきく』であろう。本作で彼女が演じたのは、不運にも声を奪われてしまった武家の娘・おきく。物語の最初から声を出せないのではなく、その前後――「斬られて出せなくなる」状態をも見せており、演じるうえでの難しさは跳ね上がったことだろう。
おきくの父(佐藤浩市)が浪人になったことで以前のような生活は送れなくなり、貧乏長屋で暮らしているがその品格は失わず、かといって他の住人たちを「身分が違う」と見下すこともなく、誰にでも分け隔てなく接する――という「人格者」を、どう魅せていくか。
所作などの本人の努力は画面に説得力をもたらしているが、ここで効いてくるのはやはり黒木自身の生真面目な人間性だと感じずにはいられない。本人に「見せる/見せない」の意識があるかどうかにかかわらず、にじみ出てしまう豊かさが、おきく自身の魅力とシンクロしていく構造は、意外にも本作が初のオリジナル脚本作となった阪本順治監督の優れた洞察力によるものだろう。つまり、「黒木華が演じる」こと自体が作品全体の重要な要素として組み込まれている。ちなみに本作は元々短編から始まったそうだが、その時点で阪本監督は黒木と共演者の寛一郎を想定した当て書きを行なっていたという(長編化にあたっては、池松壮亮に当て書きして加えていったとも)。
しかも面白いのは、設定やあらすじだけを見ると硬めの作品に思えてしまうこの『せかいのおきく』だが、実は中身はピュアなラブストーリーであることだ。糞尿を再利用する江戸時代のエコシステムを描いたSDGs映画の側面もありつつ、不平等で理不尽な世界でも誰かを大切に思う美しさをストレートに描いてくる。おきくが家でひとり、自分の恋心をしたためて悶絶するシーンなどたまらなくかわいらしいし、壮絶で痛ましい経験をしても「可哀想」な場所にとどまらず、生きてゆく気高さも感じられる。声を失ってからは黒木の仕草や表情、佇まいでおきくの心情を表現していく部分が100%になるわけで、セリフに頼れないという制限がかかる分、表現力が浮き彫りになってゆく。
そんな中非常に興味深いのは、おきくの表情から感情を読み解く際にわれわれ観客が苦労を要さない点だ。喜怒哀楽、そして恋心。愛しいと思うが故に身を引いてしまう心持ち――。そうした心情の一つ一つが、まっすぐにこちらの胸に飛び込んでくる。それはつまり、黒木が表情等でそれを混じりけなしに表現できている証拠であり、その奥には過度な演出を施さずに信じて映し出した阪本監督ほかチームの信頼度があり、さらに黒木華という俳優が観る者にもたらす集中力向上効果も絡んでいるわけだ。
『せかいのおきく』はモノクロ作品であり、「どんな色をしているのだろう」とこちらの想像力を掻き立てる意味でも、黒木によって高められた感度との相性が良い。
この原稿を書いているタイミングで、彼女が長年在籍していた事務所から独立したとの報を受け取った。新たなスタートを切った黒木華が、どんな作品と共に歩んでいくのか。楽しみは尽きない。
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