神木隆之介の本質的な特異性―不朽ともいえる“青さ”―を『ゴジラ-1.0』を中心に紐解く

映画ライターSYOさんによる連載「 #やさしい映画論 」。SYOさんならではの「優しい」目線で誰が読んでも心地よい「易しい」コラム。今回は山崎貴監督によるゴジラ70周年記念作品『ゴジラ-1.0』(’23)で、ゴジラと対決する特攻隊の生き残りを演じた神木隆之介の唯一無二の魅力について解説していきます。

文=SYO @SyoCinema

 2歳で芸能界に入り、芸歴はもうすぐ30年に到達する大ベテラン。俳優・神木隆之介の演技力、つまり《技術》について、今さら語ること自体がやぼとも言える。なぜなら、このキャリア自体が唯一無二の存在証明に他ならないからだ。彼のすごさは説明するまでもなく、皆が知っている。

 むしろ、彼の本質的な“特異性”があるとするならば――それはまさにエバーグリーン(=不朽)と言っていい“青さ”であろう。熟練の技術者でありながら、神木からわれわれ観客が感じるのは“等身大性”…いやひょっとしたら、もっと若く幼く見えるかもしれない。神木隆之介は、ひとつの体に「老若」を併せ持つ俳優なのだ。故に、変化するキャラクター、もっといえば「未成熟な人間」が見事にはまる。

 『桐島、部活やめるってよ』('12)は学内ヒエラルキーの下層にいる高校生・前田涼也役を好演していたが、最終的に周囲が大人びてしまう悲しみを抱えていく中で、彼の変化は緩やかだ。「るろうに剣心」シリーズ(’14~'20)で演じた瀬田宗次郎は、劣悪な環境で「喜」以外の感情が欠落した天才剣士。主人公の緋村剣心(佐藤健)に心を揺さぶられ、感情が発露していく。『3月のライオン』2部作('17)での桐山零も将棋の才と人間的な成熟度がズレていて、『太陽』('15)や『ラストレター』('19)は彼の“青さ”が“痛さ”につながっていた。

 声の出演での『君の名は。』('16)も同様で、都内に暮らすイケてる高校生・立花瀧は、「10~20代の若者が持つ等身大性をみごとに表現している」と思わせる。だがそうしたフレッシュさは俳優としての表現力が発展途上で、観客の中にもその俳優の情報が薄い・少ないといった要因にも依存するものだ。だが、神木はそのどちらにも該当しない。なのにそうした事実をすべて吹き飛ばし、人生経験がまだ少ない若者であることを信じ込ませてしまう。時空をゆがめるような“バグ”を起こす俳優、ともいえるのが神木だ。

 そんな“神木隆之介の異能”が、物語の構造面でも屋台骨になったのが『ゴジラ-1.0』であろう。第96回アカデミー賞®において、日本はおろかアジア映画史上初となる視覚効果賞に輝いた歴史的な一作であり、国内興収76億円超の大ヒットを記録した本作。彼が劇中で演じたのは、死を恐れる特攻隊員・敷島浩一だ。彼は出征前に「ゼロ戦が故障した」と嘘をつき、点検・修理をしてもらうことで時間稼ぎをしようとある島に立ち寄る。しかしその夜に上陸した謎の生物、呉爾羅ゴジラを前に恐れをなして攻撃できず、その場にいた整備兵は全滅する。

 その後の敷島の運命も壮絶だ。戦争から生還するも両親を失い、自分の“臆病さ”への悔恨から夜な夜な悪夢にうなされ、知り合った大石典子(浜辺美波)との将来にも一歩踏み出せない。ようやくありついた仕事でゴジラと再び対峙し、勇気を振り絞って戦うものの仕留めきれず、その結果ゴジラが東京に上陸。敷島はさらなる絶望にたたき落され、やがて修羅の道へと進んでいく——。

 『ゴジラ-1.0』は敷島VSゴジラの物語ともいえ、ゴジラを倒すために敷島が段階を踏んで変貌していく姿が描かれていく。ナイーブな青年がある種の狂気に染まり、怪物化していく姿のグラデーションを、神木は実に違和感なく説得力たっぷりに魅せ切っている。

 「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ('05~'11)や『海賊と呼ばれた男』('16)など、山崎貴監督の作風における特徴の一つに「感情を重ねて泣かせる」があるが、本作においてはストレートに泣かせるというよりも変化球を用いているように思える。

 敷島の人物造形がある種、現代的な「死ぬのが怖い」という共感性の高いところから始まり、次第にそこから離れていくため、観客が「そっちに行かないで、戻ってきてほしい」と願うような構造になっているのだ。つまりは、悔恨と贖罪しょくざいの気持ちから自暴自棄になっていく敷島本人に対する(観客も含めた)他者のリアクションが“泣き”を生み出している。

 敷島が引き戻せないようなところに行けば行くほどその度合いは高まっていくわけで、神木が魅せる“闇ち”の芝居にかかっているといっても過言ではない。そしてそこに、自分で自分をコントロールできない“青さ”があればあるほど切なさが引き出される。目が据わり「ゴジラと刺し違える覚悟」と精悍せいかんな顔つきになっていく敷島の姿は、決してヒロイックには描かれていない。彼がその道を進むほどに反戦映画としてのテーマ性も色を増し、クライマックスの展開がさらにドラマティックなものへと動いていく。

 安定した不安定さ、計算の立つ“青さ”とでもいうべき、本来両立し得ない要素を持つ神木隆之介。この先、40代・50代となった時にその希少性はさらに増していることだろう。

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