しあわせってどう書くんだっけ?――文字を学ぶとは、それまで伝えられなかった声を届ける手段

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。
 フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、ケニアに暮らす世界最高齢の女子生徒の姿を追ったドキュメンタリー『GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生』('20)。“ゴゴ”とはカレンジン語で“おばあちゃん”という意味だ。

 女の子たちが学校に通えず、将来を思い描けなかった時代に生まれた1人の女性が、ひ孫と共に小学校に入学。その奮闘ぶりを描いている。今も世界で1億3,000万人の少女たちが学校に通えない現実があることを踏まえて、SDGsの「目標4:質の高い教育をみんなに」を掲げる意味を考えます。

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(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

ケニアだけではない! 日本にもいる“ゴゴ”たち

 神奈川県のJR川崎駅から、臨海部方面に向かうバスに15分ほど揺られ、川崎区桜本の商店街に降り立つ。朝鮮料理や焼き肉の店からは、吸い込まれそうなほど香ばしいタレの匂いが道端まで漂ってくる。キムチなどの総菜が並ぶ道を歩いていると、古めかしい居酒屋の窓から、ビールを片手に語らう陽気なおじいさんたちの姿が見える。商店街から少し道をそれ、静かな住宅街を進むと、白壁2階建ての「ふれあい館」へとたどり着く。

 ここは差別をなくすなどの目的を掲げ、100%公金で、条例に基づき設置されている公的施設だ。川崎市の人口約150万人のうち、国籍だけで見れば、外国籍者は4万5,000人ほどで、全体の比率で見れば3%前後だ。ただ、そのうちの約4割が、ふれあい館のある南部の川崎区に集住している。川崎区役所管轄では、10%近くが外国籍ということになるほか、国籍は日本であっても、外国にルーツのある市民も多く暮らしている。この多文化である街の大切な拠点としての役割を担ってきたのが、ふれあい館だった。

 私はこのふれあい館で毎週開かれている「ウリマダン」に度々お邪魔している。「ウリマダン」は、直訳すると「私たちの庭」という意味だ。この地域には、教育の機会を逸して必死に働き、日本語の読み書きができないことで地域から孤立しがちだった、在日一世のハルモニ(おばあさん)たちが暮らしてきた。そんなハルモニたちのために開かれていた識字学習の場が「ウリマダン」の前身となり、現在では、高齢化した在日二世、戦後に韓国から渡ってきたニューカマー、南米にルーツがある高齢者、あるいは日本の社会福祉になじめない日本人も含め、さまざまなバックグラウンドを持つ人々の拠点となっている。最近では、自身のライフヒストリーをつづった作文を書いたり、人形劇に挑戦したりするなど、活動の形も多岐にわたる。

 長引くコロナ禍は、社会を疲弊させる一方ではあったが、ふれあい館の一室に集うハルモニたちの顔はいつも清々しく、学ぶ喜びに終わりはないことを感じさせてくれる。職員さんが、穏やかにこう語ってくれたことがある。「ハルモニたちに“小学生の時にこういうことしてたんですよね?”と伝えると、“何であんた私のことを知ってるの?”と驚かれるんです。“ハルモニが書いたでしょ?”と答えて“そうか、だからあんた私のことよく知ってるんだね”って笑い合うのがいつものやりとりです。こうして安寧で豊かな老いの時を過ごしてほしいと願っています」。

ゴゴとハルモニは「何のために」読み書きを学ぶのか

 映画『GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生』の主人公であるプリシラ・ステナイさんの姿は、「ウリマダン」で生き生きと文字を書くハルモニたちの姿と重なった。

 ケニアの小さな村で暮らすプリシラさんは、3人の子ども、22人の孫、52人のひ孫という大家族のゴゴだ。軍人だった夫は独立戦争で亡くなったが、助産師として一家を支えてきた。

 ある時、彼女は一大決心をする。6人のひ孫娘たちと共に小学校に入学し、世界一高齢の女子生徒として、卒業試験合格のために奮闘し始めるのだ。

 こうしてクラスメイトとなったひ孫のチェプコエチが、絵本を読みながらゴゴにふと尋ねる。「なぜ子どもの頃学校に行っていないの?」。絵本から顔をあげ、ゴゴはゆっくりと答える。「父さんが“牛(の世話)を優先しろ”って。そんな時代さ。女の子たちが学校に通う時代じゃなかった、家から出してもらえない。だから今やるんだ」。チェプコエチの顔がぱっと輝く。「すごくステキ!」。

 ゴゴは小さなクラスメイトたちと、寄宿舎で寝起きを共にしながら、彼女たちと机を並べて授業を受ける。耳が遠くなり、目も見えにくくなる中、試験の一問一問につまずいては落ち込むゴゴを、友人やひ孫たちが支え、励ましていく。ただ励ます、というだけではない。諦めず机に向かい続けるゴゴの姿は、いつしか周囲の「学びたい」という気持ちを後押しし、背中を強く押していった。

 この世界の誰しもが、ジェンダーの不平等など、理不尽な理由で学びを妨げられることがないよう、SDGsの「目標4:質の高い教育をみんなに」は掲げられている。この目標の中では、2030年までに、すべての若者及び大多数(男女ともに)の成人が、読み書きが身に付けられるようにと掲げている。ここで考えたいのは、「何のために」読み書きを学ぶのか、だ。

 視点を川崎に戻そう。実は桜本は度々、外国人や在日コリアンの排斥を叫ぶ激しいヘイトデモの標的にされ、ふれあい館には脅迫状も届いている。ある日のウリマダンで、ゴゴと同年代のハルモニに尋ねられた。「ねえ、しあわせってどう書くんだっけ?」。ハルモニの手元の紙に、私は大きく、「幸せ」と綴った。「そうだ、そうだったね」。一文字一文字、その意味をかみしめるように、ハルモニはゆっくりと筆を進め、一行の作文を完成させた。「差別がないことが、一番幸せ」。文字を学ぶとは、それまで伝えられなかった声を届ける手段を得ることだった。

安田菜津紀さんプロフ211001~
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