圧倒的に低い日本の難民認定率――アカデミー賞候補となったドキュメンタリー・アニメから考える

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、第94回アカデミー賞で3部門にノミネートされるなど高い評価を受けたヨナス・ポヘール・ラスムセン監督作『FLEE フリー』('21)。
(※4/9(日)後10:45、ほかリピート放送あり)

 アフガニスタンから脱出した青年アミン(声:アミン・ナワビ)が自らの経験を語るドキュメンタリーだ。主人公や周囲の人々の安全を守るため、実写ではなくアニメーションを用いて制作された。この映画と今の日本社会を重ね、SDGsの「目標10:人や国の不平等をなくそう」について考えます。

(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

問われているのは日本が安全に暮らせる社会であるかどうか

「ああいう考えを持ってる人がいるって頭では分かってたけどね…でも、あんなに影響力がある人の発言だと、さすがに具合悪くなって寝込んだよ」

 電話口の友人の声に力はなかった。彼女はレズビアンであることを公言してきたが、2023年2月3日夜、荒井勝喜首相秘書官の底が抜けたような発言が報じられると、体に変調を来してしまったという。

 引用するのもはばかられる発言内容だが、事態の深刻さを伝えるため、報じられたものの一部をここに記す。

「僕だって(性的マイノリティーを)見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」
「同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」
「社会に与える影響が大きい。マイナスだ」

 この発言には前段がある。その2日前の2月1日、岸田文雄首相が衆院予算委員会で「(同性婚は)家族観や価値観、社会が変わってしまう課題」と発言したのだ。「変わってしまう」という言葉にはどうしても、ネガティブなニュアンスがまとわりつく。秘書官の発言はこの首相答弁について、「オフレコ」での取材に応じた際に飛び出したものだったようだが、事態を重く見た毎日新聞が報道に踏み切り、明るみになった。

 私の友人のように、この発言で尊厳を深くえぐられた人々がどれほどいただろうか。

 一方、世界の中には性的マイノリティーであることをもって、あるいは同性愛行為をもって、罰の対象にしたり、死刑に処したりする国が存在する。そうした法体系が存在しなかったとしても、コミュニティーの慣習などによって、命を狙われるケースもある。

 日本が相対的に「まし」であると言いたいのではない。問われているのは、そうした命の危険から逃れてきた人々を含めて、日本が安全に暮らせる社会であるかどうかだ。『FLEE フリー』も、そんな視点で向き合いたい映画だ。

G7サミットの主要7カ国で、同性婚・同性パートナー制度が国として実現されていないのは日本だけ

 この映画は監督が中学時代に出会った友人アミンの証言をもとに、その記憶をたどっていく「ドキュメンタリー」だ。ただし、アミンたちの実写映像はない。インタビューのシーンも、彼が振り返る半生も、アニメーションで作り上げられている。

 危険をかいくぐってきた人々が、その道のりをすべて、カメラの前でさらけ出すのは容易なことではない。証言することで、関係する人々の身にも、リスクが及ぶかもしれない。顔を出すことの危険を回避しながらも、声を届ける表現手段はあるのだと、この映画は教えてくれる。

 アミンの故郷はアフガニスタンだ。父親は当局に連行されたまま、その生死さえつかむことができずにいた。一家は決死の思いで国を離れたものの、たどり着いたソ連にも自分たちの「居場所」はなかった。家族はばらばらに引き裂かれ、アミンは常に、社会の中で「よそ者」扱いだった。

 一方アミンは子どもの頃から、自身が男性に惹かれることに気付いていた。アフガニスタンでは同性愛者は「存在しない者」として扱われてきた。葛藤を心の奥底に押し込め、アミンは逃避行を続ける。その上、安全な地までたどり着くには、密航業者の作り上げた虚構の「筋書き」に従わなければならない。「家族はいない みんな死んだ 誰の力も借りず 自力でアフガニスタンから逃げた」と。

「嘘をついてはいけません」は「一般論」としては間違っていないかもしれない。けれども難民とならざるを得なかった人々は、自らを偽らなければ命の危険から逃れられない。名前、年齢、家族構成、避難してきた経緯――自身のアイデンティティーや存在そのものを自ら否定し、「偽りの自分」を演じ続けることそのものが、当事者にとっては耐え難い苦痛だろう。

 映画を観ながら、私はいつしか想像していた。もしもアミンが逃れてきた先が、ヨーロッパではなく日本であったら、どうだったろうか、と。日本の2021年の難民認定率は0.7%(※難民支援協会調べ)に留まる。認定されたら「奇跡」といえる。

 アミンのようにやむなく偽装パスポートなどで避難した場合でも、難民条約には「庇護申請国へ不法入国しまた不法にいることを理由として、難民を罰してはいけない」(第31条)と定められている。

 本来、難民認定の軸となるべきは、「嘘をついてはいけません」ではなく、「“嘘”をつかざるを得ないほど危険が差し迫っていた」のはずだ。ところが日本の難民審査では、証言にわずかでも「矛盾」が生じれば、疑いの目から逃れられない。その上、今の日本では、3回以上難民申請をしている人々を送還の対象とする「法改定」が進められようとしている。アミンは保護の手から真っ先にこぼれ落ち、また命の危険にさらされる地へ送り返されていたかもしれない。

 そしてもしもアミンが、あの秘書官発言の報道に触れていたら――「日本に逃れれば安心」という思いが、容易に打ち砕かれてしまうのではないだろうか。「命を狙われないだけいい」のではない。こうした発言の数々が、「命の尊厳」を奪っていくのだ。

 SDGsの「目標10:人や国の不平等をなくそう」には、「差別的な法律、政策及び慣行の撤廃、ならびに適切な関連法規、政策、行動の促進などを通じて、機会均等を確保し、成果の不平等を是正する」と掲げられている。難民を送還できる法はそもそも「命の線引き」という意味での差別に当たるのではないだろうか。そして例えアミンが日本で難民認定を受けられたとしても、アミンはパートナーと法的な婚姻関係を結ぶことができない。

 間もなく(※2023年5月)G7サミットが広島で開催となるが、主要7カ国で同性婚・同性パートナー制度が国として実現されていないのは日本だけだ。これを命の問題として正面から捉えるのであれば、しかるべき法整備は、待ったなしのはずだ。

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