圧倒的に低い日本の難民認定率――アカデミー賞候補となったドキュメンタリー・アニメから考える
文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda
今回取り上げるのは、第94回アカデミー賞で3部門にノミネートされるなど高い評価を受けたヨナス・ポヘール・ラスムセン監督作『FLEE フリー』('21)。
(※4/9(日)後10:45、ほかリピート放送あり)
アフガニスタンから脱出した青年アミン(声:アミン・ナワビ)が自らの経験を語るドキュメンタリーだ。主人公や周囲の人々の安全を守るため、実写ではなくアニメーションを用いて制作された。この映画と今の日本社会を重ね、SDGsの「目標10:人や国の不平等をなくそう」について考えます。
問われているのは日本が安全に暮らせる社会であるかどうか
「ああいう考えを持ってる人がいるって頭では分かってたけどね…でも、あんなに影響力がある人の発言だと、さすがに具合悪くなって寝込んだよ」
電話口の友人の声に力はなかった。彼女はレズビアンであることを公言してきたが、2023年2月3日夜、荒井勝喜首相秘書官の底が抜けたような発言が報じられると、体に変調を来してしまったという。
引用するのもはばかられる発言内容だが、事態の深刻さを伝えるため、報じられたものの一部をここに記す。
「僕だって(性的マイノリティーを)見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」
「同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」
「社会に与える影響が大きい。マイナスだ」
この発言には前段がある。その2日前の2月1日、岸田文雄首相が衆院予算委員会で「(同性婚は)家族観や価値観、社会が変わってしまう課題」と発言したのだ。「変わってしまう」という言葉にはどうしても、ネガティブなニュアンスがまとわりつく。秘書官の発言はこの首相答弁について、「オフレコ」での取材に応じた際に飛び出したものだったようだが、事態を重く見た毎日新聞が報道に踏み切り、明るみになった。
私の友人のように、この発言で尊厳を深くえぐられた人々がどれほどいただろうか。
一方、世界の中には性的マイノリティーであることをもって、あるいは同性愛行為をもって、罰の対象にしたり、死刑に処したりする国が存在する。そうした法体系が存在しなかったとしても、コミュニティーの慣習などによって、命を狙われるケースもある。
日本が相対的に「まし」であると言いたいのではない。問われているのは、そうした命の危険から逃れてきた人々を含めて、日本が安全に暮らせる社会であるかどうかだ。『FLEE フリー』も、そんな視点で向き合いたい映画だ。
G7サミットの主要7カ国で、同性婚・同性パートナー制度が国として実現されていないのは日本だけ
この映画は監督が中学時代に出会った友人アミンの証言をもとに、その記憶をたどっていく「ドキュメンタリー」だ。ただし、アミンたちの実写映像はない。インタビューのシーンも、彼が振り返る半生も、アニメーションで作り上げられている。
危険をかいくぐってきた人々が、その道のりをすべて、カメラの前でさらけ出すのは容易なことではない。証言することで、関係する人々の身にも、リスクが及ぶかもしれない。顔を出すことの危険を回避しながらも、声を届ける表現手段はあるのだと、この映画は教えてくれる。
アミンの故郷はアフガニスタンだ。父親は当局に連行されたまま、その生死さえつかむことができずにいた。一家は決死の思いで国を離れたものの、たどり着いたソ連にも自分たちの「居場所」はなかった。家族はばらばらに引き裂かれ、アミンは常に、社会の中で「よそ者」扱いだった。
一方アミンは子どもの頃から、自身が男性に惹かれることに気付いていた。アフガニスタンでは同性愛者は「存在しない者」として扱われてきた。葛藤を心の奥底に押し込め、アミンは逃避行を続ける。その上、安全な地までたどり着くには、密航業者の作り上げた虚構の「筋書き」に従わなければならない。「家族はいない みんな死んだ 誰の力も借りず 自力でアフガニスタンから逃げた」と。
「嘘をついてはいけません」は「一般論」としては間違っていないかもしれない。けれども難民とならざるを得なかった人々は、自らを偽らなければ命の危険から逃れられない。名前、年齢、家族構成、避難してきた経緯――自身のアイデンティティーや存在そのものを自ら否定し、「偽りの自分」を演じ続けることそのものが、当事者にとっては耐え難い苦痛だろう。
映画を観ながら、私はいつしか想像していた。もしもアミンが逃れてきた先が、ヨーロッパではなく日本であったら、どうだったろうか、と。日本の2021年の難民認定率は0.7%(※難民支援協会調べ)に留まる。認定されたら「奇跡」といえる。
アミンのようにやむなく偽装パスポートなどで避難した場合でも、難民条約には「庇護申請国へ不法入国しまた不法にいることを理由として、難民を罰してはいけない」(第31条)と定められている。
本来、難民認定の軸となるべきは、「嘘をついてはいけません」ではなく、「“嘘”をつかざるを得ないほど危険が差し迫っていた」のはずだ。ところが日本の難民審査では、証言にわずかでも「矛盾」が生じれば、疑いの目から逃れられない。その上、今の日本では、3回以上難民申請をしている人々を送還の対象とする「法改定」が進められようとしている。アミンは保護の手から真っ先にこぼれ落ち、また命の危険にさらされる地へ送り返されていたかもしれない。
そしてもしもアミンが、あの秘書官発言の報道に触れていたら――「日本に逃れれば安心」という思いが、容易に打ち砕かれてしまうのではないだろうか。「命を狙われないだけいい」のではない。こうした発言の数々が、「命の尊厳」を奪っていくのだ。
SDGsの「目標10:人や国の不平等をなくそう」には、「差別的な法律、政策及び慣行の撤廃、ならびに適切な関連法規、政策、行動の促進などを通じて、機会均等を確保し、成果の不平等を是正する」と掲げられている。難民を送還できる法はそもそも「命の線引き」という意味での差別に当たるのではないだろうか。そして例えアミンが日本で難民認定を受けられたとしても、アミンはパートナーと法的な婚姻関係を結ぶことができない。
間もなく(※2023年5月)G7サミットが広島で開催となるが、主要7カ国で同性婚・同性パートナー制度が国として実現されていないのは日本だけだ。これを命の問題として正面から捉えるのであれば、しかるべき法整備は、待ったなしのはずだ。
▼作品詳細はこちら
▼WOWOW公式noteでは、皆さんの新しい発見や作品との出会いにつながる情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください。