表現者・稲垣吾郎の“生活感のなさ、純度の高い清廉さ、あるいは神々しさ”を、『窓辺にて』から紐解く。

映画ライターSYOさんによる連載「 #やさしい映画論 」。SYOさんならではの「優しい」目線で誰が読んでも心地よい「易しい」コラム。今回は『窓辺にて』('22)で、妻の浮気を知っても怒りが湧かない自分に困惑する主人公を演じた稲垣吾郎の魅力を紐解きます。

文=SYO @SyoCinema

 映画・ドラマ・演劇――“芝居”において、演じ手と観客の間ではある約束が交わされる。「演じ手を役だと信じ込む共犯関係」だ。その物語の中では俳優本人はかき消え、役として認識しようとするものだ。われわれ観客はそれを当たり前のように行なっているが、改めて考えてみると奇妙な話ではある。そこにいるのは、紛れもないその人(俳優)なのだから――。

 観客も、俳優も、制作サイドも「イメージ」というものにある程度は振り回される。好青年の印象がある俳優に狂気じみた犯罪者役をやらせてみたり、逆に同じような役柄を続けさせてイメージづくりを図ったり……。「新境地を開拓」「勝負作」なんて褒め言葉も、これらに付随するものだ。

 そしてごくまれに、演じ手本人の気質が特質へと進化し、物語全体に影響を及ぼすような――役と役者が融解し、映画自体がその人のものになったかのような錯覚を受けるコラボレーションが生まれてくる。『窓辺にて』×稲垣吾郎がそれだ。今泉力哉監督によるオリジナル脚本の作品であり、稲垣に加えて中村ゆり玉城ティナらが出演。妻で編集者の紗衣(中村ゆり)が浮気しているのを知りながら、問いただせないフリーライターの市川茂巳(稲垣吾郎)。それどころか、不貞に対して心が動かない自分がいた。「自分の感情の乏しさ」にショックを受けた茂巳は、高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)との出会いを通して自分自身と向き合っていく。

 本作は、ひょっとすると“共感”からは遠い物語に思うかもしれない。世にある物語の多くはおそらく、われわれ自身の身に同じことが起こった場合、感情的になってしまうだろうから。

 「裏切られた」と感じたり「なんで? どうして?」という疑問が駆け巡ったり、「これからどうしよう」と不安になったり……。感情が制御不能になり、茂巳とは真逆の反応になることだろう。故に、この役の演じ手には何より「説得力」が求められる。なかなか「分からない」感覚だったとしても、「この人の中ではリアルな感情で切実な悩みなんだ」と思えるには、「そこに嘘がない」と感じられないといけないからだ。その点、稲垣吾郎という人は適任としか言いようがない。

 今泉監督は、本作にこんなコメントを寄せている。

「稲垣さんと映画をつくりませんか、というお話をいただき、長年温めていた『万人からは理解されないかもしれないとある感情』についての映画をつくろうと思い、脚本を書き進めました。きっと稲垣さんならこの主人公の中に渦巻く複雑な心を体現してくれるのではないかと思ったからです」

(公式サイトより)

 つまり、『窓辺にて』はそもそもが稲垣ありきの企画であり、作家の描きたいテーマの体現者でもあったということ。そして「万人から理解されないかもしれない」は、「浮世離れしている」と言ってもいいかもしれない。生活感のなさ、純度の高い清廉さ、あるいは神々しさ――。稲垣吾郎という表現者が持っている「濁っていないイメージ」が、本作では「濁れない悲しみ」へと昇華されていくのだ。詩人・中原中也はかつて「汚れつちまつた悲しみに……」と書いたが、きっと「汚れられない悲しみ」だってあるはずだ。そしてそれを現出させられる運命を背負った演じ手が、稲垣だったのだろう。端的に言えば、本作の茂巳は「稲垣吾郎だから演じられる」役なのだ。

 彼の軌跡を振り返ってみれば、この世のものとは思えない瞬間すらある特有の“浮遊感”は、2001年のドラマ「陰陽師」の安倍晴明役にぴったりはまり、TVシリーズ「名探偵明智小五郎」や『催眠』('99)等のサスペンス・ホラーも納得だ。同じく名探偵の金田一耕助といえば服がよれよれだったりフケを飛ばしたりと清潔感のなさが特徴のキャラクターだが、稲垣が演じると清さが際立つ。『半世界』('18)の炭焼き職人も、役柄と本人が持つ輝きの“ズレ”が「流されるまま生きている」感を引き立てていた。それが故に、「踊る大捜査線 歳末特別警戒スペシャル」のエキセントリックな立てこもり犯、『十三人の刺客』('10)で演じた暴君、アナーキーな世界観が強烈な『ばるぼら』('19)の倒錯した小説家など、劇薬的な役をぶつけた際にスパークする面白さも生まれるのだ。

 『窓辺にて』では、稲垣演じる茂巳に対する周囲の反応も細やかに描かれ、紗衣や留亜、友人の有坂(若葉竜也)とのギャップが彼の異端性を引き立てていく。好んで他者とつるまないのではなく、気付かぬうちに異物になってしまった悲しみが印象的だ。余談だが、最新作の『正欲』(11月10日公開)では、“普通”であろうとするあまり周囲に避けられていく常識人をみごとに演じており、「他者との距離感」は俳優・稲垣吾郎を語る上で重要なテーマといえるかもしれない。

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