『ザリガニの鳴くところ』から、ウィシュマさん死亡事件を考える――社会を前に進めるために

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、全世界で1,500万部以上を売り上げたディーリア・オーエンズの同名ミステリー小説を映画化したオリヴィア・ニューマン監督作『ザリガニの鳴くところ』('22)。
(※7/16(日)後9:00、ほかリピート放送あり)

 リース・ウィザースプーンが自ら映画化権を獲得し製作を担当。テイラー・スウィフト自ら楽曲参加を懇願した作品だ。湿地帯の自然の中、たった一人で生き抜いてきた主人公カイアの半生から、SDGsの「目標5:ジェンダー平等を実現しよう」「目標10:人や国の不平等をなくそう」を考える。

(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

あれから2年――改めて考えたいウィシュマ・サンダマリさんのこと

 2021年3月、スリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんが名古屋出入国在留管理局(以下、入管)収容中に亡くなってから、2年以上の月日が経った。
 
 '17年6月、ウィシュマさんは「日本の子どもたちに英語を教えたい」と、英語教師を夢見てスリランカから来日したものの、在留資格を失い、'20年8月に名古屋入管の施設に収容された。その後、同居していたパートナーB氏からのDVと、B氏から収容施設に届いた手紙に、《帰国したら罰を与える》など身の危険を感じるような脅しがあったことで、帰国ができないと訴えていた。

 出入国在留管理庁が'21年8月に公表した「最終報告書」によると、ウィシュマさんは'20年8月、入国審査官に対し、「B氏と同居していた時、殴られたり蹴られたりしていた」「B氏から無理やり中絶させられた」と伝えている。さらに、名古屋入管の看守勤務者に対しても「何の薬かも知らずに、(B氏に)服用を強いられた」と語っていたとされる。ところが、入管職員が当時この点について事実関係の確認を進めた形跡はなく、この点は今に至るまで曖昧にされたままだ。

 「最終報告書」では、B氏について「切迫した危害を示す状況はない」と判断した理由として、B氏からウィシュマさんに宛てて送られた手紙2通のうち「手紙①には脅しともとれる内容が書かれていたが、その後、送られてきた手紙②には、今はもう怒ってない旨が書かれていたこと」などが挙げられている。しかしDVには多くの場合、暴力を振るう「爆発期」と、その後一転して優しくする「ハネムーン期」があることが知られている。

 また、「最終報告書」では、B氏の言い分を一方的に記載している箇所が目立つ。B氏は調査チームに対し、過去に暴力を振るったことは認めたものの、それが一方的ではなかった「証拠」として、ウィシュマさんが体当たりしてくる動画(撮影日不明、音声なし)や、「(ウィシュマさんに)コップを投げつけられた」として床に割れたコップが散らばっているような写真を調査チームに提供しているが、ウィシュマさんが動画で何を主張していたのか、コップは本当にウィシュマさんが割ったものなのかは定かではない。

 一般論として、DVの加害者は支配的地位にあるからこそ、優位に証拠を残しやすい立場にある。被害者がたまたま反撃した時に記録し、恣意的にそれを持ち出すケースは珍しくないと、私が取材した専門家も語った。

 ウィシュマさん自身はもう、自らの口で過去を語ることができない。収容中、体調を崩しながらも、入院や点滴などの措置を受けることは最期までなかった。真相は宙ぶらりんのままだが、少なくとも検証が不十分なまま、「DV被害者として特別の取り扱いをすべき事案とまでは言えない」と結論づけるのは、あまりに拙速ではないだろうか。

 日々ネット上では、ウィシュマさんや遺族に対する中傷が量産されている。「不法滞在だったんだろう」「帰ればよかっただけの話」「自業自得」――在留資格を失った人々を、社会の「異物」のように扱う言葉の暴力は絶えない。DVの訴えさえ、彼女に一方的に非があるかのような声もある。

『ザリガニの鳴くところ』で描かれた中傷、差別は今も吹き荒れている

 『ザリガニの鳴くところ』の主人公カイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)もまた、あらゆる暴力にさらされてきた女性だった。物語は、一人の青年チェイス(ハリス・ディキンソン)の変死から始まる。彼は裕福な家庭で育ち、街でも「よく知られた存在」だった。そして、さしたる証拠もなく逮捕されたのは、街中から「湿地少女」として蔑まれてきたカイアだった。

 カイアの父ジャクソン(ギャレット・ディラハント)は家庭内で暴君のように振る舞い、耐えかねた家族は一人、また一人と彼のもとを去っていった。やがて父自身も姿を消し、湿地の家には幼いカイア一人が取り残された。小さな雑貨屋を営む黒人夫婦を除き、カイアに手を差し伸べる人はほぼ皆無だった。

 こうして街の人々自ら、彼女を虐げ、背を向けてきた責任と向き合うこともなく、ただ「異物」として扱うことの傲慢さが、裁判の過程でも浮き彫りになった。

 実は「よく知られた存在」のチェイスには、別の顔があった。カイアに「結婚」をちらつかせ、甘い言葉で誘い出し、「誰も君の価値を知らなくていい。俺だけで十分」と呪縛の言葉を吐きかけながら、関係を迫る。それは、周囲から相手を孤立させ、自分に依存させる「支配のサイクル」そのものだった。

 そして、たまたまカイアがその暴力に「反撃」したところだけが、裁判の証言で切り貼りされて語られる。そして加害者は、女の「反撃」でことが終わるのを決して認めない。「父のような男たちは 最後に必ず自分が殴る」というカイアの実感は、それを象徴するものだった。

 映画は見進めるごとに、謎が深まっていく。なぜなら「疑わしい人」があまりに多いからだ。チェイスは「仲間内」ではいい顔をしながら、店先の黒人たちに対しては、高慢な態度を隠そうともしなかった。彼に虐げられてきた人々は、女性たちだけではないことがうかがえる。人種差別と女性差別が、地続きのものとして描かれていた。だからこそこの映画からは、SDGsの「目標5:ジェンダー平等を実現しよう」だけでなく、「目標10:人や国の不平等をなくそう」も共に考えたい。

 カイアが暴力を振るわれたことを察した雑貨屋を営むジャンピン(スターリング・メイサーJr.)は、彼女の身を案じ、声をかける。そんなジャンピンに、カイアは力なく訴える。「騒ぎ立てないで」「訴えれば保安官事務所で根ほり葉ほり聞かれるし 新聞には“ふしだらな女”と書かれる。もしくは“金目当て”と」と。

 衝撃だった。この言葉そのものに対してではない。映画の舞台は1969年の米ノースカロライナ州だ。それからすでに50年以上が経った今の社会でも、被害者たちに同じことが起きているのだ。ウィシュマさんや、性暴力被害を訴えた人たちに対する中傷、差別も、そんな「土壌」の中で吹き荒れている。いつまでも、足踏みを続けるだけでいいはずがない。社会を前に、進めよう。

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