イラストレーター・信濃八太郎が行く 【単館映画館、あちらこちら】 〜「シネコヤ」(神奈川・藤沢)〜
名画や良作を上映し続けている全国の映画館を、WOWOWシネマ「W座からの招待状」でおなじみのイラストレーター、信濃八太郎が訪問。それぞれの町と各映画館の関係や歴史を紹介する、映画ファンなら絶対に見逃せないオリジナル番組「W座を訪ねて~信濃八太郎が行く~」。noteでは、番組では伝え切れなかった想いを文と絵で綴る信濃による書き下ろしエッセイをお届けします。今回は神奈川・藤沢の「シネコヤ」を訪れた時の思い出を綴ります。
文・絵=信濃八太郎
「映画と本とパンの店」
今日訪ねるシネコヤは小田急江ノ島線の鵠沼海岸駅から歩いてすぐの場所にある。「海岸」と名のつく駅に向かっているというだけで旅の気分に浮かれてしまう。ホームに立ち駅名の看板を見上げると、潮の匂いがする気がした。単純にできていて今日も幸せだ。風と遊ぶようにとんびが飛んでいる。
ちなみになじみのない方にお伝えしますと「くげぬまかいがん」と読みます。駅を降りて海まで歩けば目の前に江ノ島が見え、例えば週末早朝のラジオからは「鵠沼海岸、サイズは胸から肩、5時台の情報で60名」などと波の状況が伝えられる、日本屈指のサーフスポットでもあります。
場所を定めて絵を描きながら眺めれば、通りを行く人もどこか海の町の空気をまとっているように映る。おそろいで素敵な柄のワンピースを着た親子。短パン&サンダルの若々しいおじいちゃんに手を引かれる男の子の髪は肩まであって、パーマがかかった若きサーファー風なヘアスタイルだ。サーフボードを載せた自転車もたくさん行き来する。いいなぁと、太陽のまぶしさに目を細めながらスケッチするうち、自然と心と体がほぐれていくような実感があった。お花屋さんからは花の匂いがして、空ではとんびがぴょろろと歌っている。いいなぁ。五感全部で春の訪れを感じながら、楽しく描き進んだ。
シネコヤは正しくは「映画館」とは呼ばないのだそうだ。ホームページにも「映画と本とパンの店」と書かれている。映画と本とパン、こうやって並ぶことで三つとも同じように大切にされているのが伝わってくる。いずれも大好物なぼくは、入る前から期待で胸が膨らむばかりだ。スケッチしている間、パンだけ買って出てくるお客さんもたくさん見かけた。「それじゃ私パン買って帰るから、ここでね」と入り口で手を振り別れるおばあさんたち。いいなぁ。2017年春のオープンと聞いたけれど、町の人たちにしっかりと根付いているように感じた。
昭和レトロというのだろうか、年代を感じさせる木製のドアを開ければ、まず目に飛び込んでくるのはおいしそうなパンだ。食パンにスコーンに、珍しいものだと玄米ごはんぱんやまるごとトマト等々、10種類以上もある。映画館で売っているパンというイメージとはまったく違って、普通のパン屋さんと同じように豊富な品ぞろえである。ここだけ見れば完全にパン屋さんだ。
「そうなんですよ」シネコヤ代表の竹中翔子さんが出てきてくださった。
「山北町という、山の麓の町なんですけど、そこのおいしい水を使ってパンを作りたいと工房を構えるデスチャーさんというパン屋さんに、毎朝届けてもらっています。自家製の天然酵母で作っていてとてもおいしいんですよ」
映画館に入って、いきなりパンが出迎えてくれるという意外性がなんとも楽しい。映画を観ながら食べることもできるという。「生ハムと手作りホワイトソースが絶妙!」との言葉に惹かれ、クロックムッシュを購入してみた。
パン売り場から“CINEKOYA”のサインが掲げられたゲートをくぐると、大きな書棚とテーブル席があり、こちらはさながらブックカフェのようだ。奥にももうひと部屋あって、そちらもぐるりと本に囲まれるなか、一人用のテーブルと椅子が何組か並ぶほか、カウンター席や二人掛けの映画館シート席なども用意されている。
映画と本とパン。
このコンセプトはどういうところから来たのだろうか。
ミニシアターより小さな「小屋」
「町の人たちにとって、開かれた場所でありたいなって思いまして」と竹中さん。
「藤沢が地元なんですが、いくつかあった(シネコンではない)町の映画館が2010年を最後にすべて閉館してしまって。藤沢市の人口規模をもってしても、映画館を続けていくことは難しいのかと驚いたんです。その状況を目の当たりにして、これまでのような大きなホールではなく、もっと小さな規模で良いから、映画を楽しめる場所を残していけないかと思ったんです」
「そう考えた時に、映画だけじゃなくて他のことを目的にしても集まってくれるような、映画プラスアルファのお店があったら良いんじゃないかと思いまして、それが少しずつ形作られていったという感じですね。ミニシアターのイメージより、さらにもっと小さな空間、それで小屋と付けたんです。町の規模に根付いたイメージを持ってもらいたいなと、シネコヤと名付けました。ある人にとってはパン屋さん。ある人にとってはブックカフェのような時間を過ごせる場所。ある人にとっては映画館。町の人たちが、ここにシネコヤがあってうれしいよねって思ってくれるような場所でありたいと、いつも心掛けています」
クロックムッシュは店内で食べることを伝えると温めてくれて、カリっと焼けた表面のチーズに、中の生ハムととろりとしたホワイトソースの組み合わせがもうたまらない。好きな本を選んでのんびりと…などと思っていたのだけれど、スケッチ後の空腹も手伝ってあっという間にぺろりと平らげてしまった。パンに合わせるコーヒーも商店街にある焙煎屋さんから仕入れたものを出しているそうで、香り高く後味がスッキリしていてとてもおいしかった。
受付の料金表を見ると「映画+本 1,800円」のほか「本のみ(3時間) 500円(+1drinkオーダー)」という設定もある。
「映画を観なくても、漫画喫茶みたいな感じでご利用いただくこともできるんです。定着してきて、週末はだいぶにぎわうようになりました」
書架に収められた蔵書は、1970年代から漏れのない「キネマ旬報」のバックナンバーをはじめとした映画関連書籍のほか、日本や海外の小説、評論集、詩集、絵本など多種多様に並び、ミニシアターで映画を観る人たちの好みと重なるところの多いそろえと感じた。定期的に買い足しているほか、近隣の方からご寄贈いただく本も多いという。
個人的には以前から探していた『新人監督日記』(角川書店刊)を見つけて胸が高鳴った。これはイラストレーターである和田誠さんが、映画監督として『麻雀放浪記』('84)を撮られた際の、準備から公開までの一部始終をご本人が綴った日記である。本は店内での閲覧のみで、購入はできないのがちょっと残念だったけれど仕方ない。また改めて読みに来なきゃ。
館内を見渡せば、テーブルや椅子のみならず照明器具や階段の手すりなど細かなところまで、今では見掛けることの少なくなった、良き時代のレトロな美しさにあふれている。スクリーンは階段を上った2階にある。ロビーからつながる入り口には左右に振り分けられたベルベットの緞帳が掛けられていて、現実をひと時忘れられる夢の世界に誘ってくれているようだ。座席は22席、中に入って思わず「わー」っと声が出た。アンティークの美しい椅子やソファが並んでいる。おとぎの世界の映画館というような印象だ。
「アンティークと呼ぶほどのものではないのですが(笑)、藤沢市内の古道具屋さんから、この空間に合った昭和の時代のしっかり作られた家具を選びました」竹中さんが笑顔で答えてくださった。
「元々ここは町の写真館だったんです。その当時から、前を通り掛かっては素敵だなっていつも気になっていた場所でした。かなり腕の良いご主人だったそうで、この辺りで育った方にはここで七五三や結婚式など、晴れやかな日に写真を撮ってもらったという方がたくさんいらっしゃって。そういう町の方々の想いや、うれしい記憶とつながっている空気を、損なわない形で生まれ変わらせたいなと思ったんです。赤い壁や床のクロスなど、残せるところは当時のまま生かして改装しています」
今だったら一本の棒で済ませてしまうような階段の鉄柵にまで植物をモチーフにしたデザインが施され、そんな細部の美しさが重なって、館内の空気をぜいたくなものとして醸し出している。
町の人たちの生活とのつながり
一緒に町を少し歩くだけで「あら、竹中さん!」と声を掛ける方がいらしたのも印象的だった。
「本当にそうなんです。でもそれは私だけじゃなくて、この町でご商売されてる方は皆そんな感じでお声掛けいただくんですよ。それだけこの商店街が町の人たちの生活とつながっているってことなんですよね。これだけ元気な商店街も珍しいと思います」
お話を伺いながら、ただ映画が大好きで映画館をなんとしても残していきたいというような気負いとはまた違って、竹中さんが思い描くこの町の新たなコミュニティの形を、映画を通じて実現しているように感じた。
「意識してそういう場にしようと思っているわけではないんですけれど、やっぱり町の人に愛されてこそですよね。映画って本当にいろんな方が興味を持って集まってくれるものなので、映画に絡めて地元のお店や多様な活動をしている方たちと、一緒にコラボレーションして、トークイベントなどもやっていきたいなと今年から考えていまして、ちょうどそういう企画をいくつか進めているところなんです」
シネコヤをご推薦くださったのは、やはり番組で紹介させていただいた、シネマ・チュプキ・タバタ(東京・北区)を作られた平塚千穂子さんだ。こちらは聴覚や視覚に障がいのある人も、どんな人でも一緒に映画を楽しめるユニバーサルシアターで、そのために必要な字幕や副音声などのソフト作りも平塚さんたちが手掛けてらっしゃることを取材を通じて知り、たいへん感銘を受けた。
平塚さんからの推薦文を一部抜き出すと、「ふんわり、おっとりした見かけとは違って、一本筋の通った男気のあるところも大好きで、いつも尊敬しています」とのことだった。まさにその言葉通りの印象の竹中さん。
「恐縮です(笑)。そのまま平塚さんにお返しします。いつも背中を見させてもらってます。シネコヤより数カ月早くオープンされたんですが、その頃から情報交換したりつながりがあって。平塚さんこそ信念の方なので時々会いたくなって、会いに行っては元気をもらいつつ、経営の大変さを分かち合っています(笑)」
確かにお二人に共通するものを感じる。それって何だろう。数時間お話させていただいた程度のぼくが理解できることでもないのだけれど、お二人の目は、映画という窓から社会を見つめているんじゃないかと感じた。
言葉の通りの「誰も」が、気軽に一緒に映画を楽しめる社会であれば、それはきっと良い社会なんじゃないか。そのためにできることを自分の立つ場所で、自分の身の回りのサイズで、一つ一つやっていくことが大切なんじゃないか。そんな想いがお二人のバックボーンにしっかりと刻まれている気がした。帰る頃には、少し世界の見え方が変わる場所を作っている。
『MONK モンク』を観て想いをはせる
シネコヤに来たらぜひ寄ってほしい所として、線路を挟んですぐの草原舎さんをオススメいただいた。こちらは竹中さんと高校の同級生という堀園敦さんがやっている花屋さんだ。理想の形を実現するために、まずは古民家をご自分で一年半かけて改装するところから始められたのだそうだ。
店先からしてもう気持ちの良い緑に囲まれているのだけれど、中に入ってまたため息が出た。珍しい山野草や見たことのない観葉植物たち、さらにアンティークの医療棚などの古道具の数々。工房とも実験室とも博物館とも映る、堀園さんのイメージを具体化したその世界観に圧倒される。お店というよりもこの空間自体が堀園さんの作品のようだ。近隣のみならず東京や静岡からなど、ここを目指して来られるお客さんがいらっしゃるというのもよく分かる。
竹中さんと堀園さん、お二人は映画の上映イベントスタッフと、その会場装飾用のお花の担当として偶然再会されたのだそうだ。ちょうどお二人とも自分のお店を始めようとの決意を持った頃で、工事中から行き来してきたという。数年たち、お互い自分の思い描く場所を作ってしまった。高め合う友情の尊さといえばよいのか、店内を見回しながら、すごいことだと心底思った。最後は時間を忘れてあれこれ迷って、シーグレープという大きな葉が美しい植物をひと鉢購入させていただいた。「Sea Grape」海つながりだ。今日の楽しい記憶と一緒に大切に育てよう。
今回シネコヤでは『MONK モンク』(’68)を拝見した。ジャズピアニスト、セロニアス・モンクの円熟期の姿が収められたドキュメンタリーフィルムだ。唇に煙草を挟んだまま演奏するモンクの姿と音に気圧される。ステージを降りれば巨体を揺すらせながらよく笑う人だった。
以前、お酒を飲みながら安西水丸先生から聞いたのだけれど、’60年代後半、先生が渡米してニューヨークに住み始めたばかりの冬の日、ヴィレッジ・ヴァンガードに出掛けてみたところ、その日はモンクが出演する日だったのだそうだ。一曲演奏を終えたモンクがステージを降りて、若き安西水丸青年に近づいて来た。
「煙草を一本くれないか」
日本から持ってきていた煙草を差し出して火を付けてあげると、パッケージに書かれたアルファベットを見つめ「ハイライトか…」とつぶやいてピアノに戻り、再び弾き出した。その曲は「Rhythm-A-Ning」だったという話だった。
この映画が撮影されたのが1968年で、安西先生の話が1969年の出来事。劇中でも「Rhythm-A-Ning」の演奏シーンが描かれていた。先生はまさにこんな感じのモンクに声を掛けられたんだなぁと見入ってしまった。実際に接してみたら結構怖かったんじゃないですか、と、この映画の感想を先生と語り合いたかった。
ちなみにハイライトのパッケージデザインは和田誠さんである。村上春樹さん編・訳の『セロニアス・モンクのいた風景』(新潮社刊)には、この「モンクにハイライトをあげる安西水丸青年」を描いた和田さんの絵が装画として使われている。安西先生、そして和田さんに触れた村上さんのあとがきもまたすばらしいので、シネコヤに出掛けて、ぜひ読んでみてください。
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