“完全無欠”な吉沢亮の真骨頂は、“不完全さ”にあり

マガジン「映画のはなし シネピック」では、映画に造詣の深い書き手による深掘りコラムをお届け。今回は映画ライターのSYOさんが、吉沢亮の現時点での”個性”が詰まっている作品と称する『青くて痛くて脆い』を中心に、彼の魅力を分析するコラムをお届けします。

文=SYO @SyoCinema

 演技力も、ルックスも、運動神経も――。俳優・吉沢亮のパブリック・イメージは、「完全無欠」ではないだろうか。映画&ドラマ・デビューから10年。いまや大河ドラマの“顔”であり、CMや雑誌などでも見ない日はない。2020年は出演映画が4本公開。今後も映画や舞台への出演が控えており、ますます勢いを増していくことだろう。

 ただ、個人的には吉沢亮という役者の真骨頂は、“不完全さ”にあるような気がしてならない。正確に言えば、彼は「何かが欠如した人物」を演じるとき、爆発的に“化ける”のだ。このねじれ現象にはまってしまって以降、すっかり彼のとりこになってしまった。

 キャリア初期に出演した『赤々煉恋』(’13)では、同級生を亡くした高校生役。ドラマ「ぼくは麻理のなか」では、引きこもりの大学生役。ドラマ「GIVER 復讐の贈与者」では、感情が欠落した復讐代行業者を演じた。ドラマ「仮面ライダーフォーゼ」や「銀魂」シリーズ(’17~’18)、『キングダム』(’19)などなど、「カッコよさ」が光る作品に出演する一方、キャリアの要所要所でダークかつシリアスな作品・役柄に挑んでいる。

 そんな彼の“特性”がクローズアップされたのが、『リバーズ・エッジ』(’18)だろう。岡崎京子の同名漫画を行定勲監督が実写映画化した同作で、吉沢が扮したのは川原で見つけた死体を愛する、孤独な男子高校生。学校で陰惨ないじめを受けており、同性愛者であることをカモフラージュするため、まるで関心のない女子と付き合っている。本作で吉沢が見せた陶器のように静謐(せいひつ)な美しさと、どろどろとした感情のギャップは、観る者に強烈な印象を与えた。個人的に強く記憶に残ったのは、その“まなざし”だ。深く沈んだ瞳は厭世(えんせい)観が漂っていて、それでいて狂おしいほどに耽美。吉沢自身が持つダークな魅力を、見事に引き出していた。

 その後、『レオン』(’18)では自動販売機と会話できる(?)会社員、『猫は抱くもの』(’18)では擬人化した猫、『一度死んでみた』(’20)ではひたすらに影が薄い秘書…など、明るめな(それでいてなかなか奇抜な)作品に出演したのち、吉沢は再びシリアスな路線に帰ってくる。

 ある平和な家族に降りかかる“神様の悪送球”を描いたヒリヒリする家族ドラマの『さくら』(’20)で、吉沢は誰からも愛される人気者でスポーツ万能の長男を爽やかに演じている…のだが、これはあくまで前半。後半になると、交通事故で体が不自由になり、精神のバランスも崩れていく衝撃の展開が待ち受けている。陽の吉沢から陰の吉沢へと変化していくグラデーションを1本の映画で観られるわけだ。

 『AWAKE』(’19)は、プロ棋士を諦めた青年が、AI将棋のプログラマーとして再び夢を追いかけていく物語。生きがいは将棋しかなく、人付き合いも苦手だった主人公が挫折を経験するたびに七転八倒しながら、それでも再び立ち上がり突き進んでいくさまを、吉沢はあくまで陰に軸を置いて体現。ヒロイックにカッコよく見せる意識などみじんも感じさせず、むしろ他者をシャットアウトする“閉じた”演技を披露しているのが秀逸だ。狂気すら感じさせる将棋への執着は、アンチヒーローとしての魅力や存在感を強く印象付ける。

 また、アニメ映画『空の青さを知る人よ』(’19)でも、同じキャラクターの13年前(陽のキャラクター)と現在(陰のキャラクター)を絶妙に演じ分けており、声だけに絞ったとしても、豊かな表現力を備えていることを証明してみせた。本作の役どころも欠落した人物であり、やはり吉沢は人物の翳(かげ)を創り出すとき、真価を発揮する。

 ここまでは陰のゾーンにいながらも、属性的には“善”の人物だったが、彼が“悪”のほうに振り切った挑戦作がある。それが、『青くて痛くて脆い』(’20)だ。小説「君の膵臓をたべたい」の著者・住野よるが、自身の殻を破ることを念頭に置いて書き上げたダークな青春小説が原作で、吉沢演じる主人公の男子大学生・楓は他者となじめず、単独行動をとる人物。

 そんな彼が、ひょんなことから快活な女子大学生・秋好(杉咲花)と仲良くなり、2人で“秘密結社”モアイを結成。ここまでは王道の青春恋愛物語だが、その後、事態は急転する。秋好が“いなくなってしまった”世界で、モアイは意識高い系の学生に乗っ取られていたのだ。就職試験をパスした楓は、学生生活最後のチャレンジとして、「モアイを取り戻す」ためのリベンジを開始する。

 とまぁ、復讐劇の様相を呈し始めるのだが、楓のやり口はなかなかに非道。親友をモアイに潜入させ、主力メンバーの弱みを握ろうとするのだ。その後、学内に悪口を書いたビラをばらまいたり、SNSで誹謗中傷を仕掛けたりと、陰湿な手段でモアイを失墜させようとする。その後、本作に仕掛けられた“衝撃の真実”が明かされると、楓の本性も暴かれていく。

 ネタバレを避けるためその後の展開については省くが、『青くて痛くて脆い』は、とどのつまり「大義名分を掲げたクレーマー」を主人公に据えた映画だ。通常の映画であれば、物語が進んでいくにつれ主人公への共感が増していくのだが、本作においては反感や嫌悪が強まっていく。時代的にも、誹謗中傷を仕掛ける人物に対してシンパシーを抱くことは難しいだろう。大なり小なり、ネット上に転がる罵詈雑言に傷つけられた経験は皆にあるだろうし、その“加害者”を受け入れるのはなかなか難しい。しかし本作は、あえてそこを描こうとする。

 そうした意味で、『青くて痛くて脆い』は、吉沢がこれまでのキャリアの中で培ってきた「陰のキャラクター」を体現する際の説得力が突き抜けたものと言える。たとえ観客全員から嫌われたとしても、物語の主人公として最後まで役目を全うせねばならない。なかなかないタイプの重圧を背負いながらも、見事にやり遂げた吉沢のタフネスには、頭が下がる。

 同時に注視したいのは、吉沢の柔軟性の高い演技が、楓を表面的な「嫌な奴」に終わらせないということ。彼がどうしてそんな感情に至ったのか、共感はできずとも理解はできるという絶妙なさじ加減で、“孤独”をまとっているのだ。この部分も、これまでの作品で発揮していた悲劇性の練度をより高め、押し付けがましくなく、それでいてリアリティを担保するものへと仕上げており、「吉沢ゾーン」とでも呼びたくなるような彼独自のレベルにまで持っていっている。要は、『青くて痛くて脆い』には、現時点での俳優・吉沢亮の“個性”がすべて詰まっているのだ。

 人物の陰の部分を演じる際に輝くということは、人間そのものを深く理解しているということ。光の住人のようなイメージを抱かれながら、闇を好むパーソナリティを併せ持つ吉沢の人物表現は、やはりずばぬけている。この先、彼が年を重ねていったとき、表現力はどこまで熟成されていくのだろうか。楽しみでならない。

SYOさんプロフ201031~

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クレジット:©2020「青くて痛くて脆い」製作委員会