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米国内の差別の構造――そして日本国内の人権問題について約20分の短編から考える

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。
 フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、レイシズムの問題を子どもたちの視点を軸に描いた、ガイ・ナティーヴ監督による第91回アカデミー賞短編実写映画賞受賞作『SKIN 短編』(’18)です。

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 白人至上主義、黒人差別を構造的な問題として捉えながら、不平等の是正を掲げるSDGsの「目標10:人や国の不平等をなくそう」について考えます。

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(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

衝撃のラストシーンが突き付ける米国の根深い人種差別の問題

 たった20分ほどの映像だった。けれども観終えた後、ぼうぜんと、しばらくその場から動けなかった。『SKIN 短編』は、根深い人種差別の問題を、子どもたちの視点も交え、痛烈に突き付ける映画だった。

 ある日の夜のスーパーマーケットで、商品を袋に詰めていた買い物客の黒人男性と、レジに並んでいた白人の少年トロイ(ジャクソン・ロバート・スコット)と目が合い、互いにほほ笑み合っていた。それは日常の、何げない光景の一部のはずだった。ところがそんなささいなやりとりが、トロイの父ジェフ(ジョナサン・タッカー)の逆鱗(げきりん)に触れることになる。彼は、白人至上主義者だった。夜の駐車場は、凄惨(せいさん)な暴力の場と化した。それも、子どもたちの面前で。衝撃のラストシーンには、差別の問題に加え、日常の中に銃があるリスクも突き付けているように思えた。

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名古屋出入国在留管理局の収容施設で亡くなったウィシュマさんの2人の妹さんに取材して

 この映画で描かれている現実は、氷山のほんの一角なのだろう。2020年5月、アメリカ・ミネソタ州で、ジョージ・フロイドさんが、白人の警察官に首を膝で押さえ付けられて死亡する事件が起きた。「黒人であれば何をしてもいい」かのような警察権力の振る舞いは、これまでにも繰り返されてきたことだった。フロイドさんの死後、人種差別に対する抗議活動が全米に広がり、日本でも連帯するデモが行なわれた。2021年4月、フロイドさんを死亡させた元警察官に対し、ミネソタ州の裁判所の陪審は有罪の評決を出した。この事件を巡り、ネット上では「黒人も事件を起こす人間がいる。どっちもどっちだ」といった声が散見された。この「どっちもどっち」論は、連綿と続いてきた構造的な暴力、搾取の問題を覆い隠してしまうものでもある。

 2020年の米国大統領選挙を経て、カマラ・ハリス氏が、有色人種の女性として初の米国副大統領に就任した。ジョー・バイデン陣営が「勝利宣言」を行なった日の集会に、ハリス氏は白のスーツで登場した。白は女性参政権獲得のためのシンボルカラーだ。2020年は米国での女性参政権獲得から100周年に当たる。けれども黒人女性には、1965年まで障壁があった。ハリス氏が生まれたのは’64年、投票時の人種差別を禁じた「投票権法」施行前だ。こうした法律、制度上の差別の歴史を抜きにして、この問題を語ることはできないだろう。

 2020年、「Black Lives Matter」のスローガンとともに抗議デモが各地に広がっていく中で、著名な歌手の方がSNSにこんな言葉を投稿していた。「日本で生まれ育った日本人からすると人種差別っていまいちピンと来ないかもしれないけど……」。彼女の書き込みの趣旨は、アメリカで今何が起きているのかを伝えるもので、もちろん大切なことだ。ただ同時に、違和感も抱いた。アメリカとは社会背景が異なるものの、果たして生まれの違いによる「差別」の問題は、遠い海の向こうの問題だろうか。日本にも「外国人にはどう振る舞ってもいい」かのようなことが繰り返されていないだろうか。

 例えば、仕事を失う、生活に困難を抱えて学校に行けなくなる、パートナーと離婚するなど、さまざまな理由で外国籍の人が日本に暮らすための在留資格を失ってしまうことがある。空港で難民申請をした人の中には、最初から在留資格がない人もいる。入管行政による「収容」とは本来、在留資格を失うなどの理由で、退去強制令書を受けた外国人が、国籍国に送還されるまでの「準備」としての措置という「建前」だ。ところが実際には、収容や解放の判断に司法の介在はなく、期間も無期限で、何年もの間、施設に閉じ込められたまま、いつ出られるのかも定かではない人たちもいる。

 2021年3月6日、スリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんが、名古屋出入国在留管理局の収容施設で亡くなった。英語講師を夢見て来日後、学校に通えなくなり、2020年8月に施設に収容された。亡くなる直前には歩けないほど衰弱し、嘔吐(おうと)してしまうため面会中もバケツを持っていたと支援団体などが指摘している。それでも、点滴などの措置は最後まで受けられなかった。

 面会を重ねてきた支援団体によると、ウィシュマさんが体調を崩し、ベッドから落ちて起き上がれなくなったとき、職員は彼女を床の上に放置したという。嘔吐を繰り返してしまう彼女に対して、入管職員が「迷惑だ」という言葉を投げ付けていたことも指摘されている。来日したウィシュマさんの2人の妹さんに取材した際、「スリランカが貧しい国だからこうした扱いをするのでしょうか?」「人間を人間として扱ってほしい」と切実に語っていた。

 このように国や行政、社会が恣意(しい)的な線引きをし、その線の向こう側の人間には何をしてもいいかのように振る舞ってきたという差別の問題は、日本国内にも根深く存在している。

 改めてこの『SKIN 短編』から考えたいのは、「暴力の応酬」などといった、当事者間の問題に矮小(わいしょう)化するような構図ではない。SDGsの「目標10:人や国の不平等をなくそう」には「差別的な法律、政策及び慣行の撤廃、ならびに適切な関連法規、政策、行動の促進などを通じて、機会均等を確保し、成果の不平等を是正する」という文言が掲げられている。その目標について考える上でも、米国内の差別の構造に改めて目を向けたい。

 同時に、日本国内でも続いてきた人権問題についても考えたい。入管による収容の実態は、2020年、国連人権理事会の「恣意的拘禁作業部会」によって「国際人権法違反」と指摘されている。日本政府はずっと、その指摘に耳をふさぎ続けている。そんな国にSDGsを語る資格があるのか、今後も厳しく問われていくはずだ。

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安田さんプロフ

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クレジット:©NEW NATIVE PICTURES

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