イラストレーター・信濃八太郎が行く 【単館映画館、あちらこちら】 〜「kino cinéma立川髙島屋S.C.館」(東京・立川)〜
名画や良作を上映し続けている全国の映画館を、WOWOWシネマ「W座からの招待状」でおなじみのイラストレーター、信濃八太郎が訪問。それぞれの町と各映画館の関係や歴史を紹介する、映画ファンなら絶対に見逃せないオリジナル番組「W座を訪ねて~信濃八太郎が行く~」。noteでは、番組では伝え切れなかった想いを文と絵で綴る信濃による書き下ろしエッセイをお届けします。今回は東京・立川の「kino cinéma立川髙島屋S.C.館」を訪れた時の思い出を綴ります。
文・絵=信濃八太郎
中央線に乗って、立川へ
平日朝の東京駅、中央線に乗って立川に向かう。お目当てはハーヴェイ・カイテル主演の『ギャング・オブ・アメリカ』('21)だ。明日番組取材でおじゃまするkino cinéma立川髙島屋S.C.館(以下、キノシネマ立川)にて上映が始まったので、これ幸いと、前日に拝見してからお話を伺うことを思い付いた。
「出演作はすべて観たい」という俳優がいるけれど、ぼくにとってハーヴェイ・カイテルはそのひとりだ。時間だけはたっぷりあった学生時代、立て続けに浴びた『レザボア・ドッグス』('91)と『スモーク』('95)のインパクトが強烈だった。宝石強盗とたばこ屋のおやじ、タイプは違えどどちらもハーヴェイ・カイテルの醸しだす“匂い”がたまらなく胸に響いた。
過去の出演作をたどって、ハーヴェイ・カイテルどこに出てたんだっけ、と『ミーン・ストリート』('73)や『タクシードライバー』('76)など改めて見返してみると、それまでロバート・デ・ニーロにばかり目がいってたけれど、デ・ニーロとはまた違った、どことなく悲しさを帯びた色気や独特な存在感にすっかりしびれてしまった。安西水丸先生が「4番目の美学」と表現されていたけれど、主役のわきできらりとした光を放つハーヴェイ・カイテルを意識するようになって、その後の映画の見方も変わっていった。
中でも『スモーク』は、原作のポール・オースターの作品にはまったのを端緒として、オースター作品の翻訳者である柴田元幸さんの名前を書棚に見つければ片っ端から読み漁り、氏を入り口に現代アメリカ文学、さらにそこから海外文学全般へと、読書の地図が広がっていくきっかけとなった。後に雑誌の仕事で、柴田さんが新訳したヘミングウェーの短編に絵を寄せさせていただいた際には、長年の憧れだった柴田さんと自分の名前が並んでいるのがうれしくて、思わず誌面にサインを頂いてしまった。派手さはないけれど、じんわりと、確実に、人生を変えた一本というのはこういう作品をいうのかもしれない。
話がそれてしまったけれど、ハーヴェイ・カイテルを観ているだけで幸せなので、今日は朝からごきげんなのである。
中央線は三鷹を過ぎると空いてくるのかな、なんて思っていたけれど、逆に通勤通学の人たちでどんどん混んでくる。そんなことで、都心エリアとはまた別の東京があるという、当たり前のことに思い至る。東京も広い。国立駅を過ぎた辺りで車窓から富士山がきれいに見えた。
キノシネマ立川の「プラチナ・プレミアムシート」を体験
キノシネマ立川は、駅から徒歩すぐの立川髙島屋S.C.の8階にある。映画館のチケット売り場に着いた時にはちょうど『ギャング・オブ・アメリカ』の上映開始時間で、少し焦りつつも、スタッフの方に教えていただいた「プラチナ・プレミアムシート」を一般料金に700円追加して購入してみた。
劇場内にスクリーンは3つあり、シアター1と2がどちらも89席(車椅子2席)、今日『ギャング・オブ・アメリカ』がかかるシアター3は27席(車椅子2席)と少なめの席数になっている。扉を開けてびっくり、シアター3は全席プレミアムシートで、これはなんと鑑賞料金のみで普通に利用することができるのだそうだ。通常の映画館のシートとはまったく違う、リクライニングするふかふかの革張りソファが並んでいる。それなりに広さのある空間だけれど、列の前後の間隔もしっかり取ってあって、一つずつがこんなぜいたくな座席だとたしかに27席しか作れない。さらに別料金を払ったプラチナなプレミアムシートとなると、いったいどんな席になっちゃうんだろうかとわくわくしつつ、すでに予告編が始まっている中、身をかがめて静かに指定の席に座る。おお、これがプラチナ・プレミアムシートか、このクッション、なるほどすごいもんだなぁ…と身を委ねてみる。
そのまましばらく鑑賞しているうちに、暗闇に目が慣れてきたのか、視線の先に隣の隣の人の靴下が見えた。え? と驚いてちらっとそちらを見てみると、隣の隣の若い人はほとんど寝転がっているような姿でポップコーンを頰張っている。温泉の待合にあるマッサージチェアのようなリクライニングぶりだ。なんだあれは、あんなことができるのかと、驚きを静かに隠しつつ、暗闇のなか自分のシートをあらためてよく見てみると、内側に小さなスイッチがあった。押してみる。ぼくのプラチナ・プレミアムシートも、ゆっくりと背が倒れ、フットレストが上がって、隣の隣の人と同じような姿勢となった。
なんだこの快適さは。
飛行機のファーストクラスには乗ったことないけれど、間違いなく映画館シートのファーストクラスである。ありがとう隣の隣の若い人、これを知らずに観終わってしまうところだった。寝てしまいそうな心地良さだ。なんだったら寝返りが打てるほど座席幅もある。これにマッサージ機能があったら最高だな、寝ちゃうな、なんて思い始めていた。いや、寝てはいけない。ここは温泉の待合ではなく映画館だ。耳元で銃声が鳴り響く。一瞬で目が覚めた。音の良さは各座席それぞれにスピーカーでも内蔵されてるのかと思ったほどで、銃弾が飛び交うシーンでは鉛の重たさまで伝わってくるようだった。映画館で、周囲がいっさい気にならずこれだけ没入感が味わえるというのは、初めての体験だった。
この作品でハーヴェイ・カイテルが演じたのは実在したギャング、マイヤー・ランスキーで、原題も『LANSKY』である。禁酒法時代から戦後まで、アメリカの暗黒街を牛耳った伝説のギャングだけれど、日本ではアル・カポネほどの知名度もないので『ギャング・オブ・アメリカ』と題が改められたのだろう。このタイトルでは少し大味過ぎるくらい、ランスキーというひとりの男の語りからアメリカの裏側の歴史をたどるような、文学的な匂いのする作品だった。もちろん派手なドンパチや残虐な場面も見どころだけれど、個人的にはそんなバイオレンスシーンよりも、雨のなか傘を差しながら、年老いたランスキーが自分の伝記を書く作家とベンチに座って語らう場面や、海辺をひとり歩く後ろ姿など、静かなシーンの余韻が今も印象深く残っている。
ロビーに出る。チケット売り場の前でお客さんをご案内しているのが、明日お話を伺う支配人の東條成祥さんだ。今日はごあいさつだけして、スケッチを進めさせていただくことにした。
キノシネマ立川は8階にあり、その上は屋上階のレストラン街である。見上げると屋上庭園の緑が見え、ガラス壁から届く日差しが気持ち良い。毎回外でのスケッチは、寒さや暑さ、強風や雨といった自然の影響が大きいので、これはありがたかった。筆を進めていると、特にお目当てがあるわけでもない若いカップルが「何観ようか?」と話している声が聞こえてきた。立川髙島屋S.C.の中には、ワンフロア丸ごとの巨大なジュンク堂書店やユザワヤ、ニトリ、猿田彦珈琲なども入っており、映画までの待ち時間も楽しく過ごせる充実ぶりで、デートに来るにはぴったりだ。
スケッチは二時間ほどかかってめどが付いた。その間、三つのシアターでお客さんの出入りがあるたび、東條さんはカウンターから外に出てきて、困っている方などいないか目配りしてお声掛けされていたのが印象的だった。
かつての「映画の街」立川
立川はかつて「映画の街」と呼ばれていたそうだ。記録写真を眺めてみると、立川飛行場が街の発展に大きく関わっていることがよく分かる。大正時代に陸軍航空部隊の中核拠点として立川飛行場は開設された。この街最初の映画館「立川キネマ」は同じ頃に開館している。立川の街は、当初は軍都として栄え、終戦後には立川飛行場は米軍に接収され、駐留する米兵を相手に商売が好景気となり街は発展していった。中でも映画館は大きくにぎわい、1960年代の最盛期には駅の南口と北口合わせて10館の映画館があったのだそうだ。
基地返還後、広大な跡地は昭和記念公園などとして整備され、現在も発展を続けている。2020年には新街区としてグリーンスプリングスが開業した。その中に新しくできたソラノホテルがある。個人的な話で失礼しますが、ホテルがオープンする前のPRリーフレットに絵を描かせていただいた関係で一度泊まりに来たら、昭和記念公園を一望できる屋上のインフィニティプールを子どもたちがすっかり気に入ってしまった。
ぼくも説明を受けて絵を描いたためよく理解しているつもりだけれど、若い女性やカップルたちの、ムードある大人の憩いの場としての利用がイメージされているプールだ。忙しい日常を忘れ、沈む夕日を眺めながらリフレッシュするひととき…。ところが親が止めるのも聞かずに、豚児がふたり、大人の間をバシャバシャとしぶきを立てて泳ぎ回っている。ザバーっと水面から顔を出す子どもたち。
「ちょっといい加減にしなさいよ」「このプールのどこかにカギかくしたから、さがしてみて!」「は? ちょ、ちょっと、なんの鍵よ!?」
TV撮影の対応で屋上にやって来た、仕事でお世話になったホテル広報の方とは、目も合わせられない始末となった。今日来てみたら、キノシネマ立川が入る髙島屋S.C.とソラノホテルは、目と鼻の距離だった。
そんな話をしながら東條さんに街のことなど伺う。
「そうでしたか(笑)。立川は子育てしやすいと思いますよ。ららぽーとやイケアもあって買い物するにも便利ですし」
「国分寺の出身なのですが、小さい頃から映画を観るというと立川でした。両親に連れられてよく来ていたのですが、子ども心にも都会でしたね。でも歩いてすぐの距離には自然に触れられる昭和記念公園もありますし、都心にも出やすいので、若い子育て世代のご夫婦が多い印象がありますね」
キノシネマ立川と同じ8階のフロアには、最先端のデジタル技術とアナログな遊びの組み合わせで冒険を体感できる、バンダイナムコアミューズメントが運営する子どもの屋内遊び場もあり、この近さだったらあそこで子どもを遊ばせながら、夫婦で交代で映画を観られるかも…なんて想像も膨らんだ。
キノシネマは現在、ここ立川と横浜みなとみらいと福岡天神の三カ所にある。どちらも同じコンセプトで、ヨーロッパのホテルをイメージした内装なのだそうだ。各シアター前の通路には赤いじゅうたんが敷かれ、これからの上映作品ポスターは白い額に収まって、美術作品のように壁に掛かっている。照明器具や扉のデザインに至るまですべて明るく軽やかな印象で、歩くだけでこれから始まる映画に向かう気持ちを盛り上げてくれているように感じた。
「映画の街」は現在も続く
上映作品などはどのように決めてらっしゃるのだろうか。
「同じ木下グループのなかにキノフィルムズという配給会社がありまして、そちらの作品のほか、いわゆるミニシアター系と呼ばれるようなドキュメンタリー作品や新進気鋭の監督の作品などを中心にかけています。当館のオープンは2019年とまだ歴史は浅いのですが、すぐお隣には老舗のシネマシティさんがありまして、そちらとラインナップがかぶらないように編成部の方で調整してますね。うちとシネマシティさんのワンとツーと、歩いて回れる距離に三館ありますので、本当に多様な映画が観られると思います」
上映作品のチラシを互いに設置し合うなど、競合したりせずに映画の街として一緒に盛り上げていこうという取り組みにたいへん共感した。ちなみに髙島屋S.C.では「シネマ割」といって、三館どの映画館でもOK、上映後の半券を提示すれば割引サービスが受けられる取り組みがなされている。よくあるサービスではあるけれど、なにせそこは立川髙島屋S.C.、割引対象の店舗がたくさんあってかなり使い勝手の良いサービスだ。
きのうの「プラチナ・プレミアムシート」の感激を東條さんにお伝えする。
「あのシートは特注で作ってもらったと聞いてます。音もおっしゃる通りで、音響設計のプロの方に入っていただいてるんです」
シアター1、2と3、上映作品の特徴付けなどはあるのだろうか。
「そうですね、シアター3は席数が少ないので、上映が始まったばかりの作品などはすぐ満席になってしまう恐れがあります。なのでまずはシアター1、2でかけて、二週目以降には、ゆっくりご覧になりたいお客さまにはお待たせしましたという形で、3でかけるという流れが多いですね」
実際に自分で座ってみて、700円追加で支払う価値が十分にあると実感したけれど、キノシネマの会員になると、いつでも1,300円(会員デイの火曜・木曜は1,000円)で鑑賞可能となり、プラチナ・プレミアムシートも500円、つまり通常の一般料金1,900円よりも安い1,800円(火曜・木曜1,500円)であのぜいたくが味わえることになる。会員になるには年会費が1,000円かかるのだけれど、鑑賞料金が1,000円になる優待券がもらえて入会当日から利用が可能というのだから、絶対入会した方がお得だ。昨日、時間ぎりぎりで焦ってよく確認もせずに一般料金で購入したことを後悔したもので、ここに細かく記しておきます。
新しい街をひとり歩く際には、映画館と個人経営の書店とレコードショップ、それとカレー屋さんを探して歩くのだけれど、どこかオススメがないか東條さんに伺ってみた。
「駅前にある『カレー会議室』にぜひ行ってみてください。ルーを二種類選んで注文するんですが、週替わりなのでいろんなカレーが楽しめます。ぼくも今日この後行こうと思っているんですよ(笑)」
カレーという言葉を聞くだけで口のなかがカレーになる。たまらず帰りに寄ってみた。四種類のなかから、南インドキーマカレーとポークビンダルーカレーを選んで、ビールを飲みながら待つ。見た目にも美しいひと皿が運ばれてきて口いっぱいに幸せが広がった。程よい辛さに汗をかきながらうっとり食べていたら、本当に東條さんがやって来た。今日はこの後お休みなので、カレーを食べて、午後は映画を観に行くのだそうだ。「仕事を離れて他の映画館に観に行くのが好きなんです。自分の職場だとどうしても仕事の目線で観ちゃうので。それだと作品にも失礼なので、ちゃんとお金を払ってお客さんとして映画に没頭したいんですよね」
『W座』を始めてから、ついつい「どこを描こうかな」なんて目線でばかり映画を観ているわが身を恥入った。
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