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ただ怖いだけじゃない。高揚感を得られる心理療法の聖地〜『ミッドサマー』

 マガジン「映画のはなし シネピック」では、映画に造詣の深い書き手による深掘りコラムをお届け。今回はWOWOWで2月に初放送される、“フェスティバル・スリラー”という新たなジャンルを示した異色作『ミッドサマー』をピックアップ。映画パーソナリティで心理カウンセラーでもある伊藤さとりさんに、その見どころを分析してもらいました!

文=伊藤さとり @SATORIITO

 「ペルソナ」と「シャドウ」という言葉がある。心理学者で有名なカール・グスタフ・ユングは、自分の外的側面(周囲に見せている自分)を「ペルソナ」、その反対に位置し、ペルソナを演じる上で無意識下にしまい込んだ感情を「シャドウ」と名付けた。

 例えば人に良く思われたいとか、厳格な親などにより本人の気持ちを抑え込まれてしまうと「シャドウ」は大きく膨らんでいき、抑圧された感情はやがて爆発する。そのお手本のような映画がスティーヴン・キングの小説をブライアン・デ・パルマ監督が映画化した『キャリー』(’76)だ。

お化けより悪魔より恐ろしいのは人間、ってことだ。

 以前、アリ・アスター監督が『キャリー』をトラウマ映画だと語った記事を読んだが、『ヘレディタリー/継承』(’18)と『ミッドサマー』(’19)は監督自身がトラウマを解消するために作った映画なのかもしれない。両作の登場人物は精神疾患を抱えているのだが、『へレディタリー/継承』のトニ・コレット演じる母親は夢遊病で、疾患により子どもに火を付けようとしてしまったのか、悪魔によるものなのかは定かではない。

 一方『ミッドサマー』の主人公ダニー(フローレンス・ピュー)も冒頭で家族を失い、抗不安薬を飲むところから、既に精神のバランスが崩れ始めていることを画で表している。心のバランスが取れなくなった「ペルソナ」と「シャドウ」は、アリ・アスター監督のお気に入りの撮影方法である鏡やガラス越しに映る姿として人物を観察するかのように何度も使用される。

 こう読み解いていくと『ミッドサマー』は、心のカウンセリングを受けている映画に見えてくるのが興味深い。

 まず、ダニーの閉じ込められた感情は“場所”でも表現され、オープニングからスウェーデン旅行に行くまで、外を歩いているシーンは一切ない。これは、『ヘレディタリー/継承』も同じで、冒頭、窓から外を眺めているカメラが向きを変えて室内を見回し、部屋にあるミニチュアハウスを捉え、やがてその中から物語が動き出すという、まるで誰かが人間の内面を覗いているような構図なのだ。どちらも家という閉じ込められた空間を心に見立てるかのように“箱の中”からスタートする。

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 『ミッドサマー』では、ダニーが初めて外と調和する画を見られるのはスウェーデンに降り立った一行を乗せた車がホルガの村に向かう上空からのシーンだが、ここで途中、カメラが反転する。実は『ヘレディタリー/継承』でも同じ手法が使われているのだが、もしかするとこの時点で、ダニーの「シャドウ」が表面化し始めるという啓示なのかもしれないし、『ヘレディタリー/継承』のように何か恐ろしい存在が彼女を見つめているのかもしれない。とにかくカメラワークも意味深なのがアリ・アスター節。このさりげないギミック感が不気味でたまらない。

 今まで、ホラー映画は暗闇が定番であり、得体の知れない何かが人を襲うという恐怖を楽しむのが主流だった。けれど、『ミッドサマー』はその逆を突いた。

 お化けより悪魔より怖いのは人間だと証明すべく、あえて白夜のスウェーデンを殺りくの場に選んだのだから。表面上は幸せに満ちあふれていて優しそうな村人たち。その笑顔がなぜか不気味に感じるのは、まさに顔に張り付いた仮面(ペルソナ)のように統一された笑顔であり、おそろいの白い服を着ていることもあるのかもしれない。

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 一見、開放的な空間でのびのびと暮らしていそうに見える彼らは、全員がテーブルに着き、長老が手を付けるまでご飯を食べないという規律の中で生きている。それもまた表から見えることと観察して感じ取ることができる光と闇であり、狂信的な人々の姿は外側から見れば異様で、内側から見れば幸せな生活なのだ。

 ダニーはこの村で、恐怖を目にして不安を感じるものの、激しいダンスにより抑圧されていた感情が解放され、評価されたことで存在意義を認められることになる。やがて目にする彼女にとっての恐ろしい出来事はショック療法となり、今まで溜まっていた涙を全て洗い流す作業を村の民に共有してもらったことから、ホルガの民への絶大なる信頼が生まれるのだ。

 ここで気付いてほしいのは、ホルガの女性たちが共に泣く行為は決して共感ではなく、共有に近い行動であるということ。涙を流すでもなく、声掛けするでもなく、ただダニーのおえつに合わせて息を吸うように声を合わせているだけであり、感情移入をしていないのだ。規則に忠実で全員が一緒になって行動する彼らは、相手の感情や状況も察知し、感情共有する能力も幼い頃から学んでいるのだろう。そう考えると思う存分感情を出しても迷惑がられず、適度な距離感で彼女の怒りと絶望が相まった感情を放出させてくれた民は、ダニーにとっては最良のセラピストなのだ。

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 まさにホルガ村での90年に一度行なわれる9日間の浄化の儀式は、ダニーの心の浄化の儀式であり、彼女の「シャドウ」を解放する儀式といえる。見方を変えれば、この映画はホラーでもサイコ・スリラーでもなく、心のカウンセリング・キャンプとも分析できてしまう。けれど物語は5日で終わっているので、後4日には一体何が待ち受けているのだろうか。外部の彼女を村の民は本当に受け入れるのか? 考えるだけで恐ろしい。

 村が闇に包まれないのも、村人たちは完全に「ペルソナ」と「シャドウ」が一体化した人々であり、表も裏も光も闇もないからかもしれない。

 個人的に気になっているのは、そもそも彼らを村に招き入れたホルガ出身の友人ペレ(ヴィルヘルム・ブロムグレン)は、最初からダニーの不安定な心に気付き、彼女を救えるのは自分を救ってくれたホルガの民だと確信していたのではないだろうか。ダニーの両親は重度の精神疾患を抱えている妹ばかりを見ていて、彼女の思いを聞き入れる時間もなかっただろう。だからこそ自分の感情を無条件で受け入れられるほど幸せなことはないし、居場所を見つけた喜びとともに、心が解き放たれたことを示すラスト・カットは、彼女と連れ添ったようなカメラワークにより苦難を一緒に乗り越えた私たちにも高揚感をもたらしてくれるのだ。

伊藤さとりさんプロフ

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