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イラストレーター・信濃八太郎が行く 【単館映画館、あちらこちら】 〜「長野相生座・ロキシー」(長野市)〜

名画や良作を上映し続けている全国の映画館を、WOWOWシネマ「W座からの招待状」でおなじみのイラストレーター、信濃八太郎が訪問。それぞれの町と各映画館の関係や歴史を紹介する、映画ファンなら絶対に見逃せないオリジナル番組「W座を訪ねて~信濃八太郎が行く~」。noteでは、番組では伝え切れなかった想いを文と絵で綴る信濃による書き下ろしエッセイをお届けします。今回は、長野市にある「長野相生座・ロキシー」を訪れた時の思い出を綴ります。

文・絵=信濃八太郎

映画もカレーも“味わう場所”が大事

 「映画なんてどこで観たって一緒」と友人に言われて驚いた。全然そんなことないのにと、どれだけ言葉を尽くしても、首を横に振るばかり。

 たとえば、味はまったく同じカレーが出てくるとしても、近所の混雑したフードコートの一角で食べるのと、冬の旅先、外から気になったお店の扉をちょっと勇気を出して開けたら、大きなストーブの暖かさに心がほぐれ、窓の外を舞う雪でも眺めながらのんびり待っているところに出てくるのとじゃ、これは違うカレーでしょう。
 
 いや、俺は同じだと思う。きっぱり即答する友人。だって同じカレーなんだから。だいたいすぐ「たとえば」って与太話をするんじゃないよハッタロウくん。カレーじゃなくて映画の話をしてるんだ。とまで言われてしまった。カレーだって映画だって、五感全部で味わえば良いじゃないと言い返そうかと思ったけれど、まあ人それぞれか。向こうからしてみれば、そんなことで左右される程度の、味覚であり、鑑賞眼ということになるのかもしれない。言い合いした挙句に、たとえ話なんてするんじゃなく、じゃあ今度一緒に観に行こうと応えるべきだったかしら。

 長野相生座·ロキシー(*以下、相生座)にはこれまで3回訪問している。
 2度目だった2021年末、大晦日の前々日には、家族で『ほんとうのピノッキオ』('19)を観に出かけた。それこそ友人の言に従えば、なぜわざわざ、ということになるだろう。
 理由はいくつかあって、初めて訪れた前年2月、「W座を訪ねて」の番組取材で伺った際に、時間の都合で映画を観ることができなかったことが一つ。
 その時に支配人の田上真里さんから「ボイラー室から送られるスチーム管の暖房が、上映中に時折、シュー、カンカンカンと鳴るんですよ」と教えてもらい、そんな鑑賞体験を子どもたちと一緒に味わってみたいと強く印象に残ったことが一つ。
 もう一つは同じ敷地の一隅にある「そば処とがくし」でいただいたお蕎麦があまりにもおいしくて、こちらも田上さんから「おいしいですよね!来館してくださった映画関係者の方たち、みなさん喜んでくださいます。私たちは毎年、年越し蕎麦をお願いしてるんですよ」なんて教えていただいたものだから、年の瀬に我が家もあやかりたいと思いついたのだった。

 長野といえば善光寺。相生座は善光寺から歩いてすぐ、古くから参詣に訪れる旅人たちで賑わってきた権堂にある。権堂商店街はアーケードになっていて、雪が降る日もこれなら安心して歩けることだろう。かじかんだ子どもの手を引いて少し行くと、左奥に相生座が見えた。

 相生座は、日本に現存し営業している映画館のうちで最も古いのだそうだ。芝居小屋として始まったのが明治25(1892)年、そして明治30(1897)年の7月には早くも活動写真が上映された記録が残っている。
 参考までに書けば、映画の始まりは、リュミエール兄弟が1895年12月にパリのサロンで有料公開した日とされる。それからわずか一年半後には、この場所、そしてこの建物で上映されていたわけだ。
 当時の人たちは、活動写真てなんだ? と、見たこともない娯楽との出会いに、どれだけ胸をわくわくさせながらこの建物の中に吸い込まれていったことだろう。時代に合わせて改修されつつも、当時のままの木造建築というから驚きだ。感動している親を尻目に、子どもたちはそそくさと降り積もった雪で遊び始めていた。

 『ほんとうのピノッキオ』は、予告編から想像していたダークさがミスリードじゃないかと思えるほど、美しい映像が続いていく素敵なファンタジー作品だった。こちらは児童文学作家カルロ・コッローディの原作に忠実に作られていて、ディズニー絵本の『ピノキオ』しか知らなかった子どもたちも集中して観ている。
 「親に従わない子は、決して幸せになれないぞ!」と忠告するコオロギ。いいぞいいぞその通り! と心のなかで拍手を送ったら、腹を立てたピノッキオがコオロギ目がけてハンマーを投げつけた。まるで自分に飛んできた気持ちになった。隣では子どもたちがゲラゲラと笑っている。

 上映中、田上さんが話してくださった通り、首元あたりが少し冷えてきたかなと思ったタイミングで、シュー、カンカンカン…とスチーム管が静かに鳴り出した。さあこれから暖めますよと宣言してくれるようで心強い。子どもたちには事前に、あの銀の管に熱い蒸気が送られてこの空間が暖まるんだよ、すんごく熱いから絶対触っちゃだめだからねと、すこし大げさに説明しておいたので、シューと音が鳴った瞬間にビクッとして、興味津々で、流れ出したスチームとピノッキオの旅とを交互に見やっていた。真剣なその目を見て、連れて来てよかったと思った。

 「そば処とがくし」は31日の年越し蕎麦の準備のため29、30日はお休みとのことで、あてが外れてしまったけれど、また来よう。善光寺にもお参りして、良い一年の締めくくりとなった。

 そして今回はひとりで、3度目の訪問である。1月半ばのことで、今回もまた寒い季節だ。相生座を訪れるたび、毎回扉を開けた途端に灯油ストーブの良い匂いがして、実家に帰ってきたようで心がなごむ。中に入ればポカポカと暖かく、ガラス越しに陽もよく入り、外の寒さとは無縁だ。
 今回は相生座、毎年末年始の恒例という『男はつらいよ』を楽しみにやって来た。番組取材時にお話を伺って以来、妄想が膨らんでいた。
 まだ正月気分が残る善光寺周辺。初詣帰りに、蕎麦と一緒に熱燗二合で小腹を満たし、一杯機嫌で寅さん観て初笑いなんかした日にゃどうだィ! 結構毛だらけ猫灰だらけってなもんだ! 寅さんと相生座、相性良すぎじゃありやしませんか! というわけで、なぜか口調からエセ寅さんと化し、今日は3年越しの念願を叶えに来たのである。

 「いいですねぇ」と田上さんが笑って聞いてくださる。
 「親子三世代で来られる方もいらっしゃいますよ。おばあちゃんとお孫さんなんて組み合わせもあったり。今年は年末年始に3本、フィルムで上映しました。毎年『男はつらいよ』を楽しみにしてくださるお客さまがたくさんいらっしゃるので、寅福引きなんて企画もやってるんですよ」
 それはなんとも楽しそうだ。もう少し早く訪ねて、おみくじ代わりに寅福引きを引いてみたかった。来年こそは…と心に決める。

 劇場入口では「明けましておめでとうございます」「今年もよろしく」と交わされる声も聞こえてきて、この“近さ”がミニシアターの魅力だよなと改めて実感した。一人で来ていた若い女性と、同じく一人で来たおばあさんが、気づけばいつのまにか楽しそうに談笑していた。これから観る映画に始まり、この劇場のことや町のこと、できる話はいくらでもある。寒さでこわばった体と同様、心の壁を取り除いてくれるような、穏やかで温かな空気がこの館内にはあふれている。130年という歴史の前ではみんな若い。長い時間が醸成してくれた贈りもののように映った。

 今回ぼくが観たのは『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』('82)で、沢田研二&田中裕子を迎えたシリーズ30本目の記念作品だ。画面に映る田中裕子さん演じる螢子の、今でもまったく古びない可愛らしさと泣きの演技に胸打たれ、当時トップスターだった沢田研二さん演じる三郎が、螢子に「だって、二枚目なんだもん…」とフラれたことから、寅さんに向かって「男は顔ですか?」と苦悩の表情で問うシーンでは、場内に笑い声が響いた。

 「お楽しみいただけたらよかったです。これだけ世の中に映画がたくさんあり過ぎると、ついていくのに必死という方も当然いて、もう知っている感覚を、変わらない安心感で観たいという気持ちもわかるんですよね。『男はつらいよ』シリーズにはそういう良さがありますね。
 今回、フィルムで上映するという企画だったので、こちらも、切れたらどうしようというドキドキもありながら、久しぶりにそんな高揚感を味わったりしています。15年ほど前まではフィルムの映写機も普通に使われてたんですけどね」

 支配人の田上真里さんは長野のご出身で、大学卒業後に長野東映の映写係としてこの業界に入られたそうだ。学生の頃には舞台にはまり、つかこうへいさんや鴻上尚史さん率いる第三舞台、野田秀樹さんの夢の遊眠社などに夢中になった。就職活動をしていても燃え上がるものがないと感じていたときに、映写係のバイト募集をみつけ「ニューシネマパラダイスの世界だ!」と応募したところ見事採用となったという。

 「男性ばかりの世界ですよと聞かれて、全然気にしませんと答えたのが気に入られたみたいで(笑)。仕事を始めてみたらもう楽しくて楽しくて! 学生時代は舞台中心であまり映画を熱心に観てなかったのですが、そこからはもうずぶずぶとはまり、アルバイトから社員になって気づけば10年、あっという間に経っていたという感じでした。

 最初はただただ楽しくて働いてたんですけれど、ミニシアターブームが来た時に、なんだこれは!?って、どうして東映ではこういう作品をやらないんだと、そこで初めてカルチャーショックを受けたんです。私がやってる仕事はこれでいいのかって。ちょっと遅いですよね(笑)。長野では観られる機会がないというのなら自分たちでやってみようと、それで友人たちと自主上映のイベントを始めることにしたんです」

 初めて自主上映した作品は、ウッディ·アレンの『スコルピオンの恋まじない』('01)だったそうだ。

 「東映で働きながら、休みの日に準備しました。上司に協力してもらい、上映フィルムを少し安く借りてもらったり、会場としても、費用は払いますのでと、貸してもらって。大勢来てくれてとても楽しかったんです。
 それまで映画は仕事だったので、もちろんそれも楽しかったし夢中でやっていたのですが、会社から言われた作品をかけるだけで、自分で考えて行動するという経験がそれまで私にはまったくありませんでした。
 自主上映を通じて、自分が観たいと思える作品をみんなで一緒に観る楽しさを味わえたことは、いまの相生座の仕事にも通じてますね」

 その後、東映を退職した田上さん。自主上映の活動は続けながら、相生座で仕事をするようになるまでの3年間、企業や行政とNPO団体の間に入る中間支援のコーディネーターを経験されたそうで、そこでもまた大きな気づきを得ることとなったという。

 「あの頃は一口にNPO法人といっても、法律上の分類では17分野もあるので、多種多様な団体が活動しています。環境問題に取り組む団体などは知ってる方も多いですけれど、他にも受刑者の社会復帰を支援する団体や子育て支援の団体など、本当にいろんな人たちと出会いました。
 私はそれまで映画のことしか知らなかったので、世の中にはこれだけ多様な人たちがいて、また同時にたいへんな現実も存在するんだということを、初めて目の当たりにしたんですね。

 相生座ではドキュメンタリー作品の上映にも力を入れてるのですが、その時の経験が大きく影響しています。映画の上映に合わせてトークイベントをする際などには、当時知り合った方のお力を借りることもあります」

 そこから再び映画の世界に戻ってこられたのは、どういう経緯だったのだろう。

 「コーディネーターの仕事は学ぶことも多かったのですが、あまりにつらい現実に心が折れてしまいそうで、このままこの仕事を続けていたら死んでしまうかもと思うことがありました。それでどうせ死ぬならやはり大好きな映画館でと思ったんです。
 続けていた自主上映の活動や映画祭のお手伝いなどもするなかで、今の会社の室長と知り合って声をかけてもらい、企画·広報として入社しました」

 「いつでもちょっと遅いんですよね」と笑う田上さんだが、これまでの道のりのどれかひとつでも欠けていたら、今の田上さんではなかったことだろう。象徴的だったのが、これまでに印象に残る作品やイベント、監督や俳優さんとの繋がりなどを伺った時だった。
 どの劇場でも聞く質問で、あまりそんな反応が返ってきたことがなかったのだけれど、田上さんは「えー、そうですね…」と言葉に詰まってしばらく考えこまれてしまった。

 「…いろんな方がゲストで来られますが、それよりもやはりお客さんなんですよね。先ほどの若い女性とおばあさんもそうですけれど、ひとりで観に来たお客さん同士が相生座をきっかけに出会ってつながる。そんな輪が広がっていくことが一番嬉しいんです。これは観た方がいいとか、これは東京で観て良かったからぜひかけてくれとか、みんなお客さんから教えてもらうんです。
 自主上映での経験が活かせると最初は思っていたのですが、打ち上げ花火みたいにイベントをやるのと、劇場を構えて毎日それを続けていくのとでは全然違いますよね。日々来てくれるお客さまにとって気持ちよい劇場であるには、どう運営していかねばならないのか。すぐそんな問いに直面して、本当、私ひとりでは無理でしたね(笑)。一緒にやってくれている2人やアルバイトスタッフにも、日々支えられてます」

 インタビューしてきた録音素材を聴き返して気づいたのだけれど、田上さんは「いつでもちょっと遅い」のではなく、誰よりも懐深く大きく構えてらっしゃるんじゃないだろうか。お話を伺いに行ったはずが、田上さんが笑って聞いてくださることにすっかり気を良くしたのか、ぼくばかりが話している。
 冒頭に書いた「カレー」の話も、ニコニコ笑いながら「そうか、そう言えばいいのか、そんな風に言葉にしてくださってありがたいです」と温かく受け入れてくださったので「友人」の部分は割愛してしまった。そういえばその友人は学生時代を長野で過ごした男だった。田上さん、今度連れていきますね。

*参考文献「長野のまちと映画館 120年とその未来」小林竜太郎著、光竜堂刊(2017年)

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