技能実習制度の廃止と共に人命・人権を守れる制度が新たに創設できるか――是枝裕和監督作『ベイビー・ブローカー』から考える

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、是枝裕和監督が韓国の名だたる俳優陣と手掛けた『ベイビー・ブローカー』('22)だ。
(※5/7(日)後9:00、ほかリピート放送あり)

 「赤ちゃんポスト」をきっかけにつながる人間同士のドラマが、オリジナル脚本で描かれている。登場人物たちが複雑に背負ってきたものを読み解き、SDGsの「目標5:ジェンダー平等を実現しよう」「目標11:住み続けられるまちづくりを」の観点から、社会の基盤づくりを考えます。

(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

レー・ティ・トゥイ・リンさんの孤立出産による死産は罪か?

「被告が助けを求めることは、容易にできたはず――」
 
 無機質な最高裁の法廷に、その言葉が響いた瞬間、メモを取る手がはたと止まった。2023年2月、ベトナム人元技能実習生、レー・ティ・トゥイ・リンさんが孤立出産による死産で罪に問われた裁判で、最高裁の審理が開かれた。
 
 検察の主張の中の「容易に」という言葉の残酷さに、私は改めて思いを巡らせていた。「容易」ではなかったからこそ、危険な孤立出産を選ばざるをえなかったのではないのか。その「周囲に言えない事情」を全て乗り越えて死産を告白しなければ「罪」にあたるというのか。
 
 技能実習制度の“建前”は、さまざまな技術を学んでもらう「技能移転」を通して、日本から「国際貢献」することだ。ところが実際には、“安価な労働力の補塡”にこの制度が利用されてきた。リンさんも熊本県内の農家で、月給12万円ほどで働き、そのわずかな給与の中から家族に仕送りもしていた。
 
 これまで技能実習生に対し、妊娠したら強制帰国させたり、中絶を迫ったりする不当なケースが相次いできた。厚生労働省の調査によると、適正化法が施行された2017年11月から2020年12月までの約3年間で、妊娠や出産によって実習を中断した637人のうち、実習を再開できたのは11人、約2%に留まる。
 
 こうした背景から、リンさんは妊娠に気付いても、やはり帰国させられることを恐れ、周囲に相談することができなかったという。
 
 リンさんは孤立出産の上の死産であり、それも体の負担が大きい双子だったという。心身がぼろぼろになりながらも、リンさんは子どもが寒くないようにと、遺体をタオルにくるんでダンボールに寝かせた。子どもの名前を考えて紙に書き、「ごめんね、天国で安らかに眠ってください」と、弔いの言葉をそこに添えた。
 
 翌日、リンさんは病院に連れて行かれるも、当初は怯え、混乱し、妊娠・出産の事実を伝えられなかったが、最終的には死産を認める。死産からその「発覚」まで、わずか約33時間だ。
 
 リンさんは遺体をどこかに埋めにいったり、床下などに置いたりしたわけではない。果たしてリンさんの行為は本当に「遺棄」なのだろうか?
 
 一審の熊本地裁は、リンさんが双子の遺体を「放置」し、「葬祭する義務を怠って遺体を放置したことにより、国民の一般的な宗教的感情を害した」として、懲役8月、執行猶予3年を言い渡した。果たして「国民の“一般的”な“宗教的”感情」とは何だろうか。
 
 二審の福岡高裁では、リンさんは「放置」していないとしつつも、赤ちゃんが寒くないようにと箱を二重にし、蓋が開かないようにとセロハンテープで止めた行為を、「葬祭を行う準備や一過程」ではないと切り捨てた上、むしろ死体の「隠匿」にあたるとし、懲役3月、執行猶予2年を言い渡した。
 
 この判決の影響は重い。技能実習生に限らず、望まない妊娠、出産をして憔悴しきっていた女性が、「自分も罪に問われるのでは」と、ますます声をあげられなくなってしまうかもしれない。
 
 「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」でも知られる慈恵病院(熊本県)の蓮田健理事長兼院長は、「この行為が罪に問われるとなれば、孤立出産に伴う死産ケースのほとんどが犯罪とみなされてしまいかねない」という意見を寄せた。
 
 リンさんはその後、上告。その結果は後述するが、最高裁の裁判官15人のうち、女性は2人だけだった。男性が大多数の裁判所が、母体を裁く。

レー・ティ・トゥイ・リンさんの姿とどこかオーバーラップする『ベイビー・ブローカー』

 『ベイビー・ブローカー』の物語は、「赤ちゃんポスト」から始まる。
 
 土砂降りの夜、一人の女性が「赤ちゃんポスト(ベビーボックス)」の前に子どもを置いていく。この施設で働く児童養護施設出身のドンス(カン・ドンウォン)には裏の顔があった。借金に追われるクリーニング店店主サンヒョン(ソン・ガンホ)と共に、赤ん坊を売る「ブローカー」が、彼らの密かな稼業だった。ところが、事態は思いがけない展開となる。母親のソヨン(イ・ジウン)が施設に舞い戻り、預けたはずの赤ん坊がいないことに気付く。やむなく白状した二人と、彼女はその赤ん坊を売る「旅」に乗り出す。
 
 ひょんなことからドンスが育った施設で暮らす少年ヘジン(イム・スンス)もそこに加わり、サンヒョンの古びたバンは、「買い手」を探し、北へ南へと走り続ける。
 
 子どもを手放した母、母から見放されて育った子、母親になれずに苦しむ女性――彼女たちの人生が、奇妙に絡み合い、いつしかそこには「疑似家族」のような関係性が生まれていく。
 
 遺棄や乳児の殺害で、常に責任を問われるのは「母」だ。「捨てるなら産むな」「あんな箱を作るから母親が無責任になる」、と。それはベトナム人技能実習生、リンさんに向けられた「助けを求めることは、容易にできたはず」という言葉にも重なる。
 
 ソヨンのような女性たちが、どのような事情で妊娠、出産に至り、なぜ自らの手で手放さなければならなかったのか、それらの背景が削ぎ落とされ、「捨てた」ことだけがただ、咎められる。それらが女性差別と直結した問題だからこそ、SDGsの「目標5:ジェンダー平等を実現しよう」という観点で考えてみたい。
 
 「母親が無責任になる」などの「批判」は、「赤ちゃんポスト」ができた当初から日本でも根強くある。ただ、「赤ちゃんポスト」がなくても、乳児の遺棄はこの社会で起きてきたことだ。母親の孤立を防ぐための施策は重要ではある一方、それでも子どもを手放さざるをえない親たちがいたとき、子どもの命を守る受け皿が欠かせないはずだ。
 
 ソヨンのように人を容易に信じることができない環境に置かれてきた女性たちに、「信じて」「託して」と働きかけるのは容易なことではない。映画の中でも「助けたい」という一人の警官に、ソヨンは「お説教?」「可哀そうだと思ってる?」と反発する。
 
 私がこの分野の専門家にインタビューした際に指摘され、はっとしたのは、「誰にも話さず遺棄や殺害を回避できる道を用意しておくことが重要」ということだった。「目標11:住み続けられるまちづくりを」には、そうした基盤づくりも含め問われているはずだ。
 
 リンさんは、2023年3月、最高裁で逆転無罪となった。福岡高裁の判決に「重大な事実誤認」があると指摘し、「破棄しなければ著しく正義に反する」とした。4月には政府の有識者会議で、技能実習制度の廃止が打ち出され、人命・人権を守れる制度が新たに創設できるかが焦点となっている。
 
 この映画の最後にも、「罰して終わり」ではなく、どのように人間が「回復」していくのか、という示唆が含まれているように思う。「切り捨て」一辺倒の社会から脱することができるかが今、改めて問われている。

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