イラストレーター・信濃八太郎が行く 【単館映画館、あちらこちら】 〜「川崎市アートセンター アルテリオ映像館」(神奈川)〜
文・絵=信濃八太郎
プロフェッショナルとは
プロってなんだろう。
自分はプロだと何かしら胸を張って言えることはあるだろうか。皆さんはありますか。ぼくが思うプロとは、ずばり、自分のフォームを持っている人のこと。
これは「自分の絵」ってなんだろうと、四六時中そんなことばかり考えていた、悩み多き若い日に読んだ、色川武大さんの名著『うらおもて人生録』で出会った言葉で、当時大いに得心したものだ。
この本には、小説家になる前にプロのばくち打ちを目指していた色川さんの、過去の経験から得た人生訓が余すところなく書かれている。“強い弱いではない”は“上手い下手ではない”と、すべて絵のことに置き換えて読んでいた。
「プロは持続を旨とすべし」
二年や三年うまくやるためではなく、一生を通じてばくちを打ち続けることが出来るのがプロであり、そのためには人それぞれ、自前のフォームが必要になる。フォームがしっかりしていれば、たとえその日負けていようが勝っていようが、ぶれることがない。
「思いこみやいいかげんな概念を捨ててしまってね、あとに残った、どうしてもこれだけは捨てられないぞ、と思う大切なこと、これだけ守っていればなんとか生きていかれる原理原則、それがフォームなんだな」
「ことわっとくが、フォームに既製品はない。自分で手縫いで作るんだよ」
以上、カギカッコの部分は色川先生のお言葉である。
そう、自分のフォームを作るには、絵で言うなら、とにかく枚数が必要だ。ペンを動かす手が、思考に絡め取られるより先に、どんどん描いて描いて描きまくっていこう。
長々と、いったい何を言い出したのかといえば、今、目の前で問われているのである。
「あなたはプロ? プロなの? 」と。
大荷物を抱えた、自分の母親くらいの年齢の女性だ。場所は小田急線、新百合ヶ丘駅からすぐの川崎市アートセンターの前である。今日も取材に先立って劇場画のスケッチを進めておこうと、日差しの強い午後の時間に、ペンを片手にせっせと描いていたのだった。
「あなた、プロの方?」
なぜそんなにプロかどうかを確認したいのかわからないけれど、そもそもプロとは何なのか、この状況でここまで書いたプロ論を開陳したところで、しんゆりの母(と書かせていただきます)の疑問は解けないだろう。おい、はったろう、果たしておまえはプロなのか。答えあぐねていると、しんゆりの母は遠慮なく、描き途中のぼくのスケッチブックを覗き込む。
「…。私もスケッチが好きでね、今日はお台場に行って描いてきたのよ」
あ、そういうことでしたか。「…。」の間にジャッジが下され、どうやらぼくをスケッチ愛好仲間だと認識してくれたようだ。嬉しくもあり、すこし哀しくもあるのはなぜだ。妙なプライドか。これじゃフォームの話も形なしだ。
「プライドは自然発生するもので、それでもう充分」
色川先生はこうも書いている。そんなもの、心に滲んだところで引っこ抜いて捨ててしまおう。しんゆりの母とは絵を描く者同士、お互いにスケッチの楽しさや外で描くたいへんさを語らい、良い交流の時間となった。帰り際にもう一度ぼくのスケッチを見て一言。
「あら、あなた下描きしないのね。それじゃプロだわ。下描きしないんだったらプロよ」
ありがとうございます。なにか無理に言葉を探させてしまったような気配もあるけれど、精進してまいります。
「こんにちは!」
続いて小学生男児がふたり近寄ってきた。ふたりともよく日に焼けている。
「画家ですか? 画家なんですか?」
えっと…イラストレーターといって、画家じゃないんだけどね、まあ絵を描くことを仕事にしているという広い意味では画家みたいなところもあったりなかったり…と、またもや口ごもっていると、ひとりの子が手に持っていたテスト用紙を差し出した。
「これにサインしてください!」
え、そのサイン、いる? と、一瞬、カンヌで現地の子どもたちにサインをねだられた時の安西水丸先生ばりに「宮崎駿」とでも描こうかとも思ったのだけれど(*注 先生お得意の、真偽不明の冗談話です)、“画家”らしく彼の似顔絵をさっと描いて、横にしっかり「W座からの招待状」と、番組の宣伝を記させてもらった。テスト用紙にこんなどこの誰かもわからない人の落書きを! と、彼のまわりの大人たちが責めないことを願うばかりだ。
しかし、なんと他者に対してハードルが低い町だろう。駅前に「しんゆり・芸術のまち」と看板が出ていたけれど、皆さん、アートが身近にあるからなのか、スケッチしていてこれだけたくさん率直なお声掛けをいただくのも初めてのことだった。
“文化度”の高い川崎市
見上げるほど大きな川崎市アートセンターの前には広い階段があって、学校帰りの小学生が座って談笑していたり、遅い昼食か、段差をテーブル代わりにしてパンを食べている営業マンらしき男性もいた。美しく並んだ街路樹からは盛大にセミの声が聞こえてくる。夏の日差しのなか、皆思い思いに過ごしている姿が美しい。「しんゆり・芸術のまち」か。絵を描きながら、ちょっとニューヨークのメトロポリタン美術館前の大階段を思い出していた。
ここ川崎市アートセンターには、アルテリオ小劇場と、映画を上映するアルテリオ映像館と、ふたつの劇場がある。今日は、映像館にて映像ディレクターを務める大矢敏さんにお話を伺う。
大矢さんのご経歴を聞けば、映画業界一筋だ。映画会社大映にて10年、その後、三百人劇場(文京区本駒込、2006年閉館)にて映画上映や配給などに携わられ、小学館が運営する神保町シアター(千代田区神田神保町)には、オープン時に初代の支配人として就任された。2012年から川崎市アートセンターにて現職に就かれ、10年が経つとのこと。まずは映像館の運営についてのお話を伺った。
「川崎市は、多摩川沿いに縦に長いのだけれど、北部の文化拠点を造ろうと、川崎市がここを建てたのが2007年でした」
大矢さんが仰る。
「新百合ヶ丘は、今村昌平監督が日本映画学校(現日本映画大学)を創ったり、長らく『KAWASAKIしんゆり映画祭』というイベントが続いていたりと、映画には深い馴染みのある町なんですね。運営については、二期目から指定管理者ということで、日本映画大学と、同じく駅前にある昭和音楽大学と川崎市文化財団でジョイントを組んで行うことになりまして、そのタイミングで映像ディレクターとしてこちらで仕事を始めました」
川崎市北部には他にも、川崎市藤子・F・不二雄ミュージアム(多摩区)や川崎市岡本太郎美術館(多摩区)もあり、なんとも文化度の高い地域である。大矢さんに、先ほどのスケッチの時の話をしてみる。
「この界隈はたしかに文化的なことに興味のある方々が多く住む場所です。ここが出来た時にも、受付を主婦やパートの方にお願いしていたのですが、海外赴任していたので英語ができるという方や、社会的意識の高い方がたくさん働いてくださって。お客さまも、海外の美術館や音楽のドキュメンタリーをかけると、行ったことのある方や住んでいた方が、懐かしくて観に来ましたと感想をくれる、そんな町なんです」
上映作品の選定は大矢さんがされている。やはり町のカラーを意識しているのでしょうか。
「はい、もちろんまずはそこになります。これはちょっと難しそうだとか、一般にあまり興味を持たれないような地域の映画だからやめておこうとか、そういうことはありません。たとえば最近ではレバノンの『存在のない子供たち』('18)という社会派のドラマが、うちではヒットしました。良い映画なのでぜひ観てほしいという作品の方が、ちゃんとお客さんが入ってくれる手応えがあるんです」
「だからこそ、どんな作品を上映するのか、しっかり吟味するのが私の仕事になります。つい先日までは『杜人 ~環境再生医 矢野智徳の挑戦』('22)に熱い支持が集まって、毎回満員に近い状況でした。テーマに惚れ込んだ前田せつ子監督の初長編作品。熱意が伝わったというのでしょうか、とても嬉しかったですね」
一つのスクリーンに映画への愛を込める
一つのスクリーン、111席(+車椅子席2席)のアルテリオ映像館。年間どれくらいの作品を上映されているのだろうか。
「朝は10時から、一日5本の作品を上映していまして、20時までに最終回を始めるという流れですね。そうすると年間で150本ほどの上映になります。オファー自体は年間300本くらいいただくのですが、それを可能な限り観たうえで150本に絞らなければならない。ワンスクリーンしかないので映画会社の希望に応えられないことも多く、それが一番つらいところですね」
大矢さんの表情に映画への愛ゆえの苦悩がにじむ。
「横浜のミニシアターで考えていただくと、シネマ・ジャック&ベティさんが2スクリーン、横浜シネマリンさんが1スクリーン、つまり公開されている映画だけで、3スクリーン埋められるほどの作品数があるわけですよ。それをこのあたりだとうちの1スクリーンだけでやらないといけないので、どうしてもこぼれてしまう作品が多くなってしまうんです」
なるほどそういう計算が成り立つのかと、たいへん勉強になった。しかしこれは見方を変えれば、映画のプロである大矢さんが悩み抜いて厳選した作品しかかかっていないとも言えるわけで、寿司屋のカウンターじゃないけれど、プロに任せておけば、いつでも間違いのない素晴らしいものと出会えるという安心感が、ここにはある。そう思えば町の人たちにとってもさぞありがたいことなのではないかと思った。
これからの上映作品のチラシのなかに、アルテリオ映像館で行われる夏休みの小学生向けワークショップの案内を見つけた。映画作りを体験できる貴重な会が開催されるようだ。
「子どもたちにサイレント映画を観てもらって、音楽をつけてみようとか、弁士になろうとか、そもそも今の子たちは白黒映画自体を観たことがないので、良い体験になると思います。他にもアニメーションの原理を学ぶワークショップや、春休みには映画を撮ろうということもやっています。おかげさまで毎年、人気のワークショップは抽選になってしまいます」
先ほど声を掛けてくれた小学生男子ふたりのキラキラした表情が思い浮かんだ。子どものうちから作る側を体験できるというのは、大人になった時の映画との距離感が全然違ってくるのではないだろうか。映画館とはまた少し違った、アートセンターとしての意義深い取り組みと感じた。
映画がつなぐ出会いと別れ
続いて大矢さんに、これまで印象に残っていることなどを伺う。
「小田急線は、成城学園前駅に砧撮影所があったりと、元より映画人が多く暮らしている界隈なんですね。百合ヶ丘の方には『ウルトラマン』シリーズなどで知られる実相寺昭雄監督が、奥様で俳優の原知佐子さんと長らく暮らしていました」
「原さんは’20年の1月にお亡くなりになったのですが、遺作となった主演映画『のさりの島』を、原さんの地元であるこの場所で盛り上げようと、今回、例外的に山本起也監督ご自身が配給もなさっているのですが、一緒に取り組みました。神奈川新聞でも取り上げてもらいまして、本当に大きく盛り上がりましたね。あれは地元ならではという感じでした」
笑顔で言葉をつなぐ大矢さん。
「日本映画学校の卒業生でもある中野量太監督、『湯を沸かすほどの熱い愛』('16)で一躍メジャーになりましたけれど、自主映画の頃より上映させてもらってきました。山﨑努さん主演の『長いお別れ』('19)を上映した際には、日本映画大学の学長を長らく務められた映画評論家の佐藤忠男さんと中野監督のトークショーをやっていただき、こちらも大入り満員となりました。その後、佐藤さんがお亡くなりになり、あれが当館に来ていただいた最後になってしまいました。思い出深いイベントになりました」
出会いと別れ、そういうことをたくさん経験されるお立場にある大矢さん。この場所が時代をつなぐ役割を果たしている。
「出会いといえば、2011年に日本映画学校が日本映画大学に変わって、私がここに来たのもそのタイミングだったんですけれど、第一期生の三澤拓哉さんという人がいましてね。学生時代にはサークル活動として園芸部を作って、近所の人に作物を配ったりしてくれて、うちにも出入りしてたんです。その彼が卒業してすぐ映画を撮ったら、それがロッテルダム映画祭に招待されまして。『3泊4日、5時の鐘』('14)という作品なんですけれど、もちろんうちでもすぐ上映しまして、評判もよくてね」
自然と笑顔になる大矢さん。成長を見守る温かな視線だった。
「私もだいぶ年ですので(笑)。先日はルイス・ブニュエル特集をやったのですが『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』('72)を観ながら、これよく考えたら高校生の時に封切りで観たな、なんて思い出しまして。こういう作品を若い人に観てもらいたいなぁなんて思ってたら、本当に高校生がひとり来てくれて。あれは嬉しかったなぁ」
『楢山節考』('83)と『うなぎ』('97)の二作品でカンヌ映画祭パルムドールを受賞した今村昌平監督のトロフィーも、館内に展示されていて、実物を間近に見ることができる。「しんゆり・芸術のまち」そして映画のまち。この場所で、初めて映画作りを体験した小学生が、初めて大人の映画を観た高校生が、きっとまた新しい映画作品を生み出していってくれるだろう。
大矢さんには劇場からすぐの洋菓子屋さん「エチエンヌ」をお薦めいただいた。今の時期、かき氷が大人気とのこと。注文して外のテラス席でしばし待つ。向こうのテーブルからは、先にかき氷が出て来た小学生の歓声が聞こえる。子どもがいきいきと元気な町で嬉しくなる。
旬の桃がたっぷり入ったかき氷の甘さは、スケッチ時の暑さで参ってしまっていた身体に沁み入った。日が暮れ始めていたけれど、まだまだセミが鳴いていた。
*参考文献『うらおもて人生録』(色川武大著、新潮文庫)
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