是枝裕和監督作における樹木希林とカトリーヌ・ドヌーヴ #シネピック映画コラム

マガジン「映画のはなし シネピック」では、映画に造詣の深い書き手による深掘りコラムをお届けしていきます。
今回のテーマは、是枝裕和監督と、その多くの作品で重要なエッセンスとなった大女優の幸福な関係。是枝裕和さんに監督デビュー当時から取材で接してきたライターの轟夕起夫さんによるコラムです。

文=轟夕起夫 @ NetTdrk

カトリーヌ・ドヌーヴと樹木希林の姿が重なる 

 あれは2018年の初夏だったか、『万引き家族』(‘18)が第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞して間もない頃、早くも是枝裕和監督の新作に関する第一報が飛び込んできたのだ。フランスでの撮影を予定し、現地のスタッフとタッグを組むというその作品はまだ原題で『La Vérité(仮)』とされていた。

 出演者は、フランスが世界に誇る大女優カトリーヌ・ドヌーヴを筆頭に、ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホーク、リュディヴィーヌ・サニエらがそろい踏み。もちろん、この企画と豪華な座組み自体にも大いに驚かされたわけだが、なかでも筆者がびっくりしたのは、是枝組を代表する樹木希林も大ファンのカトリーヌ・ドヌーヴの名がそこにあったこと。

 希林さんは前年に公開された『ルージュの手紙』(‘17/監督マルタン・プロヴォ)を絶賛し、来日した主演女優ドヌーヴとの対談を快諾、珍しく興奮気味に彼女に接していたのである(ちなみに2人は1943年生まれという同い年!)。

 ひょっとして希林さんが是枝監督とドヌーヴとの仲立ちを? なんて想像もしたのだが、本作が始動したのは2017年よりもっと前だと後に知った。さて、『La Vérité』はご存じの通り、そのまま訳して邦題は『真実』に。カトリーヌ・ドヌーヴの分身のごときフランスの国民的大女優が出版した自伝本を巡って、濃密なドラマが展開してゆく。

 彼女の回想録には「真実」とタイトルが付けられてはいるものの、(ジュリエット・ビノシュ扮する)娘の目から見れば嘘ばかり。これを契機に積み重ねられてきた確執、愛と憎の入り混じった2人の“ミルフィーユ状の時間”が明らかになっていく──というなじみの是枝スタイルの作劇なのだけれども、まるで“世界のドヌーヴ”が「是枝映画の中の老獪な樹木希林」のように見えてくるのが面白い。それだけ希林さんは、重要な存在であったのだ。

ともに映画を作り上げた、かけがえのないパートナー

 希林さんが是枝組に初参加したのは、(長男の命日に集まる)ある家族の夏の1日を描いた『歩いても 歩いても』(‘08)だ。

『幻の光』(‘95)、『ワンダフルライフ』(‘99)、『DISTANCE/ディスタンス』(‘01)、『誰も知らない』(‘04)、『花よりもなほ』(‘06)と一作ごとに挑戦、模索しながら、『歩いても 歩いても』(‘08)でまた是枝映画は大きく変わった。

 自身の体験を踏まえて、希林さんのために母親役を当て書きしたこともそうだし、“良多”という名の主人公が是枝映画で初めて登場したことも。こちらも初参加、阿部寛によって体現された“良多”は人間ならではの不完全さをひときわ露呈してしまうキャラクターで、是枝監督が自分の感慨をひとしお強く押し出した作品たち──同じく阿部寛がメインのTVドラマ「ゴーイング マイ ホーム」(‘12)や映画『海よりもまだ深く』(‘16)、それから福山雅治主演の映画『そして父になる』(‘13)にもこの役名は使われている。

 『海よりもまだ深く』に至っては、実の母親の遺品を小道具で用い、(偶然とはいえ)是枝監督が28歳まで実際に住んでいた団地でロケを行なっており、その母親役にはやはり希林さんをキャスティング!

 筆者が『万引き家族』で取材した時、希林さんは是枝監督のことを「機微だとか人の心の裏側にあるものを掘り起こしてくる作家」と述べていた。なるほど、もっと言うならば、表面的にはシンプルな日常劇に見えるけれども、底を掘っていくと緩やかに動いてゆく“時のドラマ”が浮かび上がってくるのが是枝映画だと思う。

 例えば『海街diary』(‘15)のラスト、よくあるエンディングのようで、是枝監督の目は浜辺の波打ち際に残されては消える四姉妹の足跡の“儚さ”を見つめている。つまり日常のある断片を切り取り、綴ってゆくダイアリーの作家にして、ホームドラマのスタイルを借りた滋味深い“歴史劇”の作り手なのである。

 忘れもしない。惜しくも希林さんは、『真実』の準備中に亡くなった。是枝監督は《映画「真実」をめぐるいくつかのこと》というサブタイトルをもつ単行本『こんな雨の日に』(文藝春秋)の後書きにこう書いている。

 「どうしてもこの映画を讃歌にしたいと強くこだわったのは、そうこだわることで自分が希林さんという映画作りのパートナーを失った喪失感に引っ張られないでいたいという、そんな気持ちからだったのだろうと、1年経った今気づいた」

 「誰に一番この映画を観せたいかと問われたら、間違いなく彼女の名前を真っ先に挙げるだろう」

 というわけで──『真実』のカトリーヌ・ドヌーヴがどこか希林さんに見えるのは、至極もっともなことなのであった。

轟夕起夫さプロフ