捕鯨を行なう町と反捕鯨を訴える活動家、それぞれの大義。『トロム~フェロー諸島殺人事件~』
テキスト:麦倉正樹 編集:川浦慧
デンマーク王国の一部でありながら、固有の文化と歴史を持つフェロー諸島
ノルウェーとアイスランドの中間に位置する、隣接した18の群島からなるフェロー諸島。2022年の『モンテカルロ・テレビ祭』で、その最高賞にあたる「ゴールデンニンフ賞」を最優秀俳優賞、審査員特別賞の2部門で受賞したデンマークのドラマ『トロム~フェロー諸島殺人事件~』は、この地で撮影された初めてのオリジナルドラマシリーズであるという。デンマーク王国の一部であるけれど、あくまでも「自治領」であり、独自の議会を有し、欧州連合(EU)には未加盟ながら、ワールドカップをはじめとするサッカーの国際大会には独自の代表チームを送り込むなど、固有の文化と歴史を持つフェロー諸島の魅力は、まずはなんと言っても、目を疑うほど雄大かつ幻想的な、その景観にあるだろう。
映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(2021年)のクライマックスシーンのロケ地となったことも記憶に新しいこの場所は、美しい緑と雄大な山々、そしてその海岸線のほとんどが切り立った崖であるという特異な地形で知られている。18の島々を合わせても総面積1,393平方キロメートル――沖縄本島(1,207平方キロメートル)よりもひとまわり大きい程度の土地に、約5万人の人々が暮らすフェロー諸島(ちなみに沖縄本島の人口は約120万人)。人口の倍近い数の羊が放牧されているなど畜産業も盛んに行なわれているようだが、周囲を海に囲まれた島々からなるこの地の主な産業は、やはり水産業及び水産加工業であるという。
そのなかでも、とりわけ「グラインド」と呼ばれるクジラの伝統的な追い込み漁は世界的にも有名であり、近年ではNetflixのドキュメンタリー『Seaspiracy:偽りのサステイナブル漁業』(2021年)でも「持続可能なクジラの捕獲方法」として紹介されていたので、それを見た人も多いかもしれない。もちろん「持続可能」と言っても、同じくクジラの伝統的な追い込み漁を行なっている和歌山県太地町同様、そこには国際的な賛否両論があり(その多くは否ではあるけれど)、「シーシェパード」をはじめとする過激な環境保護団体から随時その動向を監視されるなど、牧歌的な田舎町の雰囲気と裏腹に、ある種の緊張感を持った場所でもある。そして、その現実は、本作『トロム~フェロー諸島殺人事件~』の物語においても、深い影を投げ掛けているのだった。
鯨の追い込み漁を行なう町と、反捕鯨を訴える環境保護活動家
デンマークのベストセラー犯罪小説を原作とする本作『トロム~フェロー諸島殺人事件~』は、冒頭からめくるめく物語が動きはじめる。フェロー諸島最大の島であるストレイモイ島の東岸にある首都・トースハウンの郊外。息を飲むほど美しい絶景の地にある海辺の一軒家で、幼い娘と朝食をとっているソニアは、パソコンでとある記事を眺めている。「ニューヨーク市警 抗議活動取材中のジャーナリストを拘束」。
すると、彼女の携帯に切迫した電話が掛かってくる。反捕鯨を訴える環境保護活動家である彼女と共に「ある疑惑」を追っているパートナー、ポールからの電話だ。なにかまずい事態が起こったようだ。それから程なくして、ポールは自動車事故を起こし、意識不明の重態になってしまう。一方、ソニアの自宅には何者かが侵入し、娘のベッドには血だらけのクジラ肉が……これは明らかに、何者かによる脅しである。
身の危険を感じたソニアは、地元警察を訪れ、旧知の主任警部・カーラに相談するも、ソニアが反捕鯨の活動家であることを理由に、なかなか取り合ってもらえない。「あなたにだって、思い当たることはあるでしょ?」。そこでソニアは、意を決して「ある人間」に「相談に乗ってほしい」とビデオメッセージを送るのだが……その後、彼女は消息を絶ってしまう。
ソニアの友人から行方不明の通報を受けたカーラは、慌ててソニアの捜索を開始するも、奇しくもその日はクジラの追い込み漁が行なわれる日だった。地元の漁師たちはもちろん、漁を妨害しようとする反捕鯨の過激な環境保護団体「ガーデン・オブ・ザ・シー」の船団、さらにはマスコミなど多くの人々が詰め掛け騒然とする海岸に、急遽カーラたちは駆けつけることになる。しかし、そこで彼女たちが目にしたのは、沿岸に浮かぶソニアの死体なのだった。
ソニアの死は事故か、あるいは事件なのか。事件であるとすれば、犯人は誰なのか。カーラは、事故と事件の両面から捜査を開始する。
そしてもうひとり、事件の真相を究明しようと、独自に動きはじめる者がいる。ソニアのビデオメッセージを受け取った「ある男」――ソニアが生まれる前にソニアの母と別れ、フェロー諸島を去った「父親」であり、企業や政治家、警察の闇を暴く「調査ジャーナリスト」でもあるハンニスだ。
冒頭、ソニアが見ていた記事で報じられていたニューヨーク市警が拘束した抗議活動取材中のジャーナリストである彼は、故郷であるフェロー諸島に強制送還中だった。その道中で彼女からのメッセージに気づく。自分に娘がいたなんて……いぶかしがりながらも、その足でソニアと会おうとするハンニスだが、彼がようやく対面することができたのは、水死体となって海に浮かぶ彼女の亡骸だった。
本作の主人公である、このハンニスを演じるのは、デンマークの名優、ウルリク・トムセンだ(冒頭に書いた「ゴールデンニンフ賞」最優秀俳優賞は、彼に与えられた)。トマス・ヴィンターベア監督やスザンネ・ビア監督の映画でキャリアを重ね、近年では北欧ミステリの世界的なベストセラー「特捜部Q」シリーズの通算5作目となる映画『特捜部Q 知り過ぎたマルコ』(2022年)で、メインロールの「カール・マーク」役に抜擢される一方、先ごろWOWOWでも放送されたドラマ『Face to Face -尋問-』シーズン1でも主役を演じるなど、もはや「北欧サスペンス」の「顔役」のひとりと言っていい俳優だ。
人生に疲れた枯れた中年男の雰囲気を持ちつつも、いざというときには毅然と巨悪に立ち向かうような「気概」を持った役柄を演じることが多いウルリク・トムセン。会ったこともないどころか、初対面にしてすでにこの世を去っていた娘のために奔走する父親という、本作におけるこの難しい役どころを、彼はどのように演じているのか。それが本作の見どころのひとつである。
「環境保護のため」「地域経済のため」「娘の敵を討つため」――登場人物それぞれが持つ「大義」の存在
物語をもう少し先に進めよう。主任警部・カーラと調査ジャーナリスト・ハンニス――それぞれのやり方で、ソニアの死の「真実」を見極めようとする2人は、やがて1人の同じ人物に辿り着く。地元の有力者であり、捕鯨も含む地域の水産業を牛耳る人物・ラグナーだ。しかしそれは、一見平和そうに見えるこの島々を覆う、黒い「闇」の端緒に過ぎないのだった……。
ひとりの人間の死をきっかけに浮かび上がる、地域の深い「闇」といった趣きのサスペンスである本作。そこで興味深いのは、その物語が必ずしも「正義」の名のもとに進行していかないところにあるだろう。カーラは警察官であり、ハンニスはジャーナリストだ。しかし、彼女 / 彼の「正義」は、それぞれの内なる「感情」によって、次第に揺らぎはじめるのだった。
ソニアの遺留品であるスマートフォンのメッセージのなかに、自分の息子であるグンナーの名前を見つけてしまったカーラ。その後の彼女の行動は、徐々に怪しいものとなっていく。一方、「反骨のジャーリスト」であるとはいえ、現在は書くべき媒体を持たない「無職状態」であるハンニスを突き動かしているのは「真実の究明」よりも、むしろ「娘の敵討ち」という激しいエモーションだ。ときに自暴自棄にも思える彼の行動と情緒は、必ずしも安定したものとは言い難い。
その過程で、同時に浮かび上がってくるものがある。それは、フェロー諸島という小さいコミュニティーのなかで、複雑かつ濃密に絡み合った人間関係だ。そもそも、クジラ漁を生業としている地元の人々にとって、ソニアのような活動家は、自分たちの生活を脅かす存在でしかないのだ。漁師を生業としているハンニスの弟は、憎々しげに兄に言う。「やつらの目的は、海外のメディアでスキャンダラスに取り上げてもらって、活動資金を稼ぐことだ」。
そう、本作のテーマは、なにが正しいかではなく、ある「大義」のもとになされる行為は、どこまで正当化され得るのかということが、より本質的なテーマとなっているのだ。「環境保護のため」「地域経済のため」「日々の生活のため」、あるいは「息子を守るため」「娘の敵を討つため」――本作に登場する人物たちには、それぞれの「大義」が存在する。それがぶつかり合ったとき、人々が選ぶべき道は、果たしてどれなのか。そのとき優先されるものは、一体なんなのか。それは、フェロー諸島で暮らす人々にとってはもちろん、我々にとっても決して無関係な話ではないだろう。
フェロー諸島を覆っているのは、「闇」ではなく深い「霧」
ところで、本作の表題となっている「トロム」という聞き慣れない言葉は、フェロー語で「崖、境界線」を意味する言葉であるという。登場人物たちは、フェロー諸島の切り立った「崖」に立ったとき、なにを思うのか。あるいは、彼 / 彼女たちが踏み越えてしまう「境界線」は、どこにあるのか。それが、ある種のメタファーではなく、実際の景色のなかでありありと描き出されるところも本作の見どころであり、フェロー諸島という絶景の地ならではの醍醐味でもあるのだ。
さらにもうひとつ、本作のフェロー諸島ならではの要素を挙げるとするならば、それは「霧」だろう。「闇」というよりも、フェロー諸島を覆っているのは、むしろ深い霧なのだ。物語が展開してゆくにつれて、いつの間にか画面の端々を覆いはじめる白い霧。
それは、フェロー諸島の名物のひとつであり、地元の人々が話すフェロー語には、霧に関する表現が、なんと30以上もあるという。新たな事実が発覚するたびに、真相の究明を阻むように、さまざまなかたちで立ち現れる白い霧。文字通り深い霧に包まれながら、登場人物たちは、それぞれの立場で苦悩するのだ。
果たして、その霧が晴れることはあるのだろうか。もし、それが晴れるとしたならば、そのあとに現れる現実は、どんなかたちをしているのだろうか。サスペンスの心情描写とロケーションの特性が見事にシンクロした、まさに北欧ならではのドラマのひとつと言えるだろう。
※この記事は株式会社cinraが運営するウェブサイトCINRAより全文転載となります。
※CINRA元記事URL:https://fika.cinra.net/article/202211-viaplay_kawrk
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クレジット(トップ画像)「トロム~フェロー諸島殺人事件~」:© Viaplay Group.