余命と向き合う人の最期の日々をどのように守れるか――『愛する人に伝える言葉』から考える

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのはエマニュエル・ベルコ監督による『愛する人に伝える言葉』('21)。
(※6/8(木)後10:45、ほかリピート放送あり)

 ステージ4の膵臓がんだと宣告された息子バンジャマンをブノワ・マジメルが演じて、第47回セザール賞で主演男優賞をみごと受賞。その母親クリスタルをフランスの至宝であるスター女優、カトリーヌ・ドヌーヴが演じている。この感動のヒューマン・ドラマを題材に、余命と向き合う人々の尊厳をどのように守れるか、SDGsの「目標3:すべての人に健康と福祉を」とともに考える。

(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

二人が同じ写真に収まるのは、これが最後と感じながらゆっくりとシャッターを切った

 言葉にならないものを優しく吸い込むような、空のきれいな午後だった。「息をしていない」の一報を受けて、私は住宅街の一角にあるアパートへと走った。狭い階段を駆け上がり、扉を開けると、すでに訪問看護師たちも駆け付けていた。ベッドに横たわる女性の顔色は青白かったものの、その表情はどこか、穏やかに見えた。パートナーの彼が、彼女の体に半分覆いかぶさるようにして隣に横たわり、じっとその顔をのぞき込んでいる。

 二人に会ったのは、訪問看護ステーションの協力を得て、自宅でケアを受ける人々の取材を続けていた時のことだった。若い男性と、20歳以上年の離れた女性とのカップルで、彼女は末期がんだった。日に日に体が弱り、介助がなければトイレにも行けないほどの体調になりながらも、病院での生活ではなく、アパートで一緒に暮らすことにこだわっていた。介護用のベッドを使わないのも、「二人で並んで一緒に眠りたいから」だという。大好きな花や家具に囲まれながら、看護師たちの支えを受け、彼女の最期の日々はゆっくりと過ぎていった。

 「息をしていない」の知らせを受けたあの日、二人は好きなアーティストのライブに出かける予定だった。介護タクシーも予約し、二人が「出会った日」と同じ服に着替え、「あとは出発を待つだけ」というひとときに、彼女は眠るように、旅立っていった。

 カメラを向けていいのか分からず、私はしばらく部屋の入り口に立ち尽くしていた。ふと彼と目が合うと、「二人の写真、撮ってください」と彼ははっきりとした口調で私に告げた。二人が同じ写真に納まるのは、これが最後だろう。大きな窓から、日の光が柔らかくベッドに差し込んでいる。二人に向き合い、ゆっくりとシャッターを切る。「さよなら、ありがとう」と心で念じながら。

 ふと見ると、傍らにいる二人の看護師も、彼と一緒に涙を流していた。彼女たちはこれまで何度となく、患者たちをみとってきているはずだった。亡くなる人も、その大事な人たちにも、それぞれに違った人生がある――どれほど多くの経験を積もうとも、彼女たちは決して、それを忘れていなかった。

私の心に深く刻まれた『愛する人に伝える言葉』ドクター・エデの言葉

 『愛する人に伝える言葉』からは、そんな「最期を見守る医療」に携わるスタッフたちの苦悩がのぞかせる。看護師のユージェニー(セシル・ドゥ・フランス)をはじめ、医療者たちがミーティングを重ね、悩みを吐露するシーンが度々現れる。一人のスタッフが、ある夫婦のことを、声を震わせながら振り返った。何時間も寄り添った妻が帰宅した直後、患者である夫が亡くなり、妻はその瞬間に立ち会えなかったという。「自分を責めないでと声をかけることもできず、ティッシュを渡しただけ」――自責の念に駆られるスタッフに、ドクター・エデ(ガブリエル・サラ)が静かに語りかける。「言葉や身振りで愛を伝えあったはずだ」「10分前まで妻がそばにいたことは、何も無駄じゃない」

 医療者に限らず、日常的に誰かを支える仕事に従事している人々に対して、時に「プロなら泣くな」「弱音を吐くな」という誤った「根性論」を耳にすることもあるが、彼らは“働く機械”ではなく、血の通った人間なのだ。

 この病院に入院することになる主人公バンジャマンは、ステージ4のがんだった。愛する息子を失うという恐怖を前に、母のクリスタルはわらにもすがる想いで、望みをみいだそうと奔走する。彼女の勧めで酸素カプセルを試した帰り道、バンジャマンは「病気なのは僕だ」「あれこれ試すな」といら立ちをあらわにした。

 混乱のさなかにある家族が、冷静な判断ができず、時に患者本人の意思を飛び越えて何かをしようとすることは、決して珍しくないのだろう。だからこそドクター・エデはそれを見越しているかのように、まず、患者本人の意思を一つ一つ確認していく。かといって、母のクリスタルを決して蔑ろにしたりはしない。はぐらかしたり、できないことを「できる」と言ったりは決してしない。丁寧に、そして率直に状況を説明し、家族とも信頼関係を結ぶことに努めていた。

 ドクター・エデの病院の特徴は、看護師たちの負担を和らげるミーティングのみならず、患者たちのために院内でタンゴの公演まで開かれていることだ。実はドクター・エデに扮しているのは、現役のがん専門医であるガブリエル・サラ氏で、こうしたシーンもこれまでにサラ氏が実践してきたことに基づいているという。私の心にとりわけ深く刻まれた、彼の映画中の言葉をここに紹介したい。

患者は望んでないのに周囲の人にヒーローにされる
“頑張れ 病魔に打ち勝て”
これが患者を追い詰める
もし病に屈して死んだら、サポーターへの裏切りになる
患者を解放するために必要なのは“死ぬ許可”
この許可を出せるのは主治医と家族だ
家族に説明しよう
死んでもいいという許可が最大の贈り物だと
闘わないで、旅立っていい

 そんな哲学を持ちながら働くスタッフたちの支えを受け、バンジャマンは病院で最期の時を過ごした。ところが日本では近い将来、こうしたみとりが叶わなくなる日が来るかもしれない。厚生労働省の推計では、急速に進む高齢化と、病院のベッド数不足などにより、2030年には約47万人が「最期の場所」をなくし、誰にもみとられずに亡くなっていく恐れがあるという。この映画から考えたいSDGsの「目標3:すべての人に健康と福祉を」は、待ったなしの課題だ。死が蔑ろにされる社会では、生をまっとうに支えることも困難だろう。

 私が取材したカップルは、バンジャマンとは違い、自宅で過ごすことを選んだが、大切な人の死に向き合う上で、何が最善なのか、絶対的な答えはない。「自分たちらしく」を心がけても、悔いのまったく残らないみとりになるとは限らない。残された彼の心にも、悲しみは残り続けている。それでも、自らの意志で「旅立ち」までの日々の過ごし方を「選ぶ」ことができること自体に意味があるのだと、あの二人も、この映画も教えてくれた。この気付き自体が、取りこぼしのない社会を築く礎となるはずだ。

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クレジット:(C) Photo 2021 : Laurent CHAMPOUSSIN - LES FILMS DU KIOSQUE

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