「ありがとう、ロジャー・フェデラー」――伝説のラストマッチを見届けたWOWOWプロデューサーの現地ルポ
文=加藤弘樹(WOWOWスポーツ局スポーツ部)
2022年9月15日。秋の訪れを感じさせる涼しい夜。
スマホでSNSをぼんやりと眺めていて目に留まったのは、フェデラーの動画付きのメッセージ投稿。彼が自らの動画をアップすることは珍しい。
穏やかな表情で語られる約4分30秒のメッセージ。
「The Laver Cup next week in London will be my final ATP event.」
この一文ですべてを理解した。フェデラーは引退する。
憧れのプレーヤーたちの最後の瞬間には、ひとりのテニス少年として、WOWOWテニス中継プロデューサーとして、幾度となく遭遇してきた。
2002年、ピート・サンプラスの全米オープン。永遠のライバル、アンドレ・アガシとの決勝。サンプラスのビッグサーブとアガシのスーパーリターンの応酬。日本時間の早朝に行なわれた熱戦に夢中になり、学校に遅刻した。
2009年、マラト・サフィンのパリ・マスターズ。当時の私はひとり暮らしでお金もなく、ATPツアーを見るすべを持っていなかった。海外のサイトに上がるハイライトを探して、何度も何度もサフィンのラストマッチを再生した。
2016年、レイトン・ヒューイットの全豪オープン。相手はヒューイットと同じくフットワークが武器のダビド・フェレール。全盛期の動きはすでに失われていたが、持ち前の根性で食らいつく姿に心震わされた。
どの選手の最後にも思い出はある。しかし、これほどまでに心がざわつくことはなかった。来年1年間かけてフェアウェルツアー(さよならツアー)をやるのではないか。故郷であるスイス・バーゼルで有終の美を迎える姿も、最後にウィンブルドンのセンターコートに立つ姿も想像できる。そんな私の願望を込めた予想は打ち砕かれ、1週間後のレーバーカップで現役生活を終えるのだ。
感傷に浸っている時間はない。私は急きょ、レーバーカップが行なわれるイギリス・ロンドンへ飛ぶことになった。当初は私を含め、スタッフの渡英は想定していなかった。現地映像を東京の放送センターで受け、ライブ配信する段取りだった。しかし、フェデラーのラストマッチとなると話は別だ。行くしかない。彼のコメントを取れるか否かで、番組としての重みが大きく変わる。日本中のテニスファンが注目している。みんなにフェデラーの言葉を届けたい、思いを伝えたい、その一心だった。
これまでフェデラーの取材には幾度となく立ち会ってきた。その度に感動することがある。どんなインタビューでも、質問の意図を瞬時にくみ取り、こちらが求めている以上の答えが返ってくるのだ。
インタビュアーの目をしっかりと見据え、なぜその質問をしたのかを洞察する力に優れている。あの穏やかで紳士的なまなざしの前では、こちらの意図はすべて見透かされているようだ。相手のショットや心理を読み切るコート上の戦いだけでなく、プレスルームでさえもフェデラーの“支配下”にあるのだ。
渡英の2日前、現地到着日にフェデラーのWOWOW単独インタビュー実施が決定した。恐らく質問は2問か3問。時間は限られている。
「何を聞く?」「何を視聴者に伝えたい?」何度も自問自答する。
そして渡英当日。今まで何度も経験してきた海外出張とは、どこか異なる気持ちでロンドンに向かった。
普段はワクワクした気持ちで空港に向かい、現地に赴くのだが、今回はどこかザワザワした、胸騒ぎのようなものを感じながらのフライトだった。
ロンドン・ヒースロー空港は東京よりも肌寒い。その寒さがますます胸騒ぎを助長する。すぐに空港を後にして、会場となるO2アリーナに向かう。O2アリーナに着くと取材用のアクレディテーション(身分証明書)を見せて中へ。
スポーツイベントで何よりも大事なものが、このアクレディテーションだが、今回のものはおそらく一生の宝物になるだろう。
現地9月21日、午前11時。世界中から集ったメディアで満員の記者会見場にジャケット姿のフェデラーが現れた。表情は晴れやかだ。時折ジョークを交えながら10分程度の共同会見が終わった。
勝負はここから。いよいよ世界中の放送局から選ばれた数局だけが、フェデラーとの個別インタビューに臨む瞬間だ。WOWOWの順番は2局目。われわれの前には、アメリカの「Tennis Channel」、後ろにはイギリスの「BBC」やヨーロッパの「Euro Sports」、アメリカの「ESPN」といった世界の名だたる局が控えていた。
先陣を切った「Tennis Channel」のインタビュー中は、程よい緊張とちょっとした高揚感に襲われていた。
質問内容はその後何度も推敲を重ねた。共同記者会見では聞かれなかったこと。視聴者であるテニスファンが面白いと思ってもらえること。そして一番大事なのはフェデラー本人が楽しんで話してくれること…。
マイクを持つ手が震える。
「あなたのテニス人生で、もしやり直せるとしたら何をしたいか?」
ひとりのフェデラーファンとして、私が聞いてみたいと思った質問だ。
ポジティブな話? もしかするとネガティブな話? いろいろな回答を想定しながら聞いたのだが、彼の答えはあくまでフェデラーらしく誠実で、てらいのないものだった。
心にストンと落ちる言葉だった。
無事にインタビューが終わり、改めてフェデラーの言葉をかみ締めればかみ締めるほど、本当に終わってしまうのだな、という感情が沸々と湧いてきた。
思い返せば、まだひとりのテニスファンとして中継を見ていた2000年代、グランドスラムの決勝に登場するのはフェデラーばかりだった。いとも簡単にポイントを奪い、圧倒的な力でコートを支配する。現在のように、いろいろな選手の試合を見られる環境ではなかった当時、私は彼以外の選手の試合も見たかった。その強過ぎる姿ばかりを何度も目の当たりにし、フェデラーを好きになれなかった。
2005年、全豪の準決勝でサフィンがフェデラーを破った試合。まだ高校生だった私は狂喜乱舞したことを鮮明に覚えている。コート上でどんなに暴れても、ラケットを何本たたき折っても、いきなりスイッチが切れたようにやる気をなくしても、サフィンの魅力的なテニスと憎めない笑顔が大好きだった。
だが時がたち、けがなどに苦しみながらも自らのテニスを進化させ勝利を重ねるフェデラーを見るにつれ、惹きつけられていき、いつの間にか一番のお気に入りの選手になった。
2009年、生涯唯一となる全仏優勝でキャリア・グランドスラムを達成、“芝の王者”が赤土に崩れ落ち雄叫びを上げた瞬間の胸の高鳴り。同年のウィンブルドン、アンディ・ロディックとのファイナルセット16-14という、テニスとは思えないスコアで決着した4時間超の魂を揺さぶられるような大激闘。そして、2017年の全豪オープン。けがからの復帰戦となった大会で、苦しみながらも勝ち上がり4回戦で錦織圭と対戦。きっと日本中が錦織を応援していただろう。フルセットにもつれ込む大熱戦。王者としてのプライドを見せつけた逆転勝利だった。その時に見せた感情を爆発させる姿に心奪われた。
フェデラーに憧れて使い始めたラケット「プロスタッフ」。少しでもそのプレーに近づきたくて、買い集めたフェデラーモデルのテニスウエア。私の自宅には数多くの“フェデラー愛”が飾られている。
2022年9月23日。フェデラー現役ラストマッチの日。
世界中が注目する“メインイベント”はナイトセッションだというのに、デイセッションからアリーナは超満員だ。会場の外には、世界中からやって来たフェデラーファンが、プラチナチケットを手に入れるべく、お手製の看板を持って最後のチャンスをうかがっていた。
メディアに割り当てられるメディアシートも抽選となり、ほとんどのメディアは会場ではなく、メディアルームというアリーナ内にある仕事部屋での観戦となった。
ナイトセッション第1試合はアレックス・デミノーvsアンディ・マレー。
今大会最長試合となった試合が終わったのは22時前だった。フェデラーのラストマッチは、かなり深い時間のスタートとなったが、観客は誰一人帰る気配はない。
そしていよいよフェデラーがコートに現れる。
ペアを組むのは、幾度となく名勝負を繰り広げてきた戦友のナダルだ。この試合がフェデラーのラストマッチとは思えないほど、2人とも真剣な表情をしていた。会場のボルテージは最高潮を迎える。メディアルームにいるわれわれにも歓声が地響きとなり伝わってくる。誰もがフェデラーを愛し、誰もが彼との別れを惜しんでいた。
試合が始まる。さっきまでの盛り上がりが嘘のように静まり返る。 一挙手一投足を見逃すまいと、前のめりにプレーに見入る観客たち。そしてポイントを奪うごとに割れんばかりの歓声が巻き起こる。
われわれメディアも、少しでも彼の最後の勇姿を目に焼き付けようと、コート付近まで行き、数ポイントずつ交代しながら観戦した。改めてこの場にいることの喜びと重みをかみ締めた。
会場にいるすべての人が永遠にこの試合を見ていたいと思ったのではないだろうか。
だが試合はマッチポイントを迎え、とうとう最後の瞬間がやって来た。それは一つの時代が終わりを告げる瞬間でもある。
試合が終わり、セレモニーが始まったのは深夜。それでも会場を後にする観客はほとんどおらず、最後の瞬間まで温かい拍手と声援が会場を包んでいた。
人目もはばからず号泣するフェデラーを見ることは初めてだった。隣にいるナダルも泣いていた。誰もがフェデラーに対してリスペクトを抱いている姿は本当に美しく、特にフェデラーが妻のミルカさんに「彼女は僕をもっと前にやめさせることができたのに、そうしなかった。プレーすることを許してくれた。ありがとう」と感謝のメッセージを送った瞬間などは中継の途中にもかかわらず、もらい泣きしてしまった。
グランドスラム優勝20回。強さと美しさと品格を兼ね備えたプレー。“テニス史上最も偉大な選手の一人”であるフェデラーはこれからも世界中の人々の記憶に残り続ける。
現役生活を終えた彼がこれからも輝き続け、テニス界の未来を明るく照らしてくれることをひとりのテニスファンとして、テニスを生業にするものとして、期待し続けたい。願わくば、彼がコーチとして、「ロジャー・フェデラー」を超えるような、スーパースターを育てることを夢見て。
ありがとう、ロジャー・フェデラー。
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クレジット(トップ画像):ロジャー・フェデラー Getty Images