ジェンダー平等はどこまで実現しているのか――『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』をきっかけに私たちの足元を見つめたい
文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda
今回取り上げるのは、#MeToo運動が広がるきっかけともいえるニューヨーク・タイムズ紙の調査報道を題材にしたマリア・シュラーダー監督作『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』('22)。ブラッド・ピットらが製作総指揮を務め、記者役のキャリー・マリガンが第80回ゴールデン・グローブ賞助演女優賞にノミネートされた作品だ。
(※8/20(日)後9:00、ほかリピート放送あり)
記者たちが報じたのは映画界の大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる性暴力だった。その加害はなぜ、長年見過ごされてきたのか。SDGsの「目標5:ジェンダー平等を実現しよう」を軸に考えます。
性暴力を「なかったこと」にしてはいけない――フラワーデモの目指す世界
2023年6月、性犯罪に関する刑法を大幅に見直す改正案が可決、成立した。これまで、性行為に「同意」できると見なされた年齢が「13歳以上」だったのに対し、改正案では「16歳以上」に引き上げられる。性的な目的で子どもに近づき、心理的にコントロールし、手なずけるような行為も取り締まりの対象となった。
そして、「強制性交罪」と「準強制性交罪」が統合され、罪名が「不同意性交罪」に改められる。同意がない性行為が犯罪になりえることが、より明確となったのだ。重要な「前進」だが、裏を返せばこれまでの法体系が、あまりに被害の実態に即していないものだったといえる。
2019年3月、19歳の女性が実父から性暴力を受けた事件の判決が下された。名古屋地裁岡崎支部は、準強制性交等事件に問われていたその父親に、無罪を言い渡した。被害者が中学2年生頃から性的虐待を受けていたこと、事件前日までも暴行を受けていたことを認定していたにも関わらず、裁判所は「著しく抵抗できない状態だったとは認められない」と判断したのだ。
これを被害ではなく何と呼べるのだろう――。この時期、性犯罪に関する無罪判決が相次いだこともあり、全国で被害者や支援者が声をあげる「フラワーデモ」が広がった。先述の女性のケースはその後、高裁で逆転有罪となったが、現行法下でどれほど被害が「なかったこと」にされてきたかが、社会に突き付けられた。
ワインスタインによる性加害は海の向こうの遠い話ではない
その構造的な暴力の一端を暴いたのが、ニューヨーク・タイムズ紙の2017年の調査報道だった。『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』は、映画界で絶大な力を誇ってきたプロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる性加害を報じた記者たちと、揺れ動きながらも取材に向き合う関係者たちの実話に基づき描かれている。
加害者は女優やスタッフたちを、仕事の打ち合わせと見せかけ、部屋に招き入れ、「NO」とは言えない状況に追い込んだ上で、性的要求を重ねた。権力者は周到だった。抗った者には手を回し、映画の世界から締め出す。声をあげた者は、示談に持ち込み、何重もの条件をのませ、その口を封じた。被害を受けた者は「抗いきれなかった」と自身を責め続けた。皆、希望にあふれながら、真摯に仕事の話をするのだと信じていた女性たちだ。
これだけの力関係を見せつけられれば、被害者同士の連帯さえ困難となる。それでも記者たちは、時には海を越えて事実関係を拾い集め、ばらばらにされ、断片にされてきた「声」をつなごうと奔走した。
一方で、記者たちは「支援者」にはなれない。記者のミーガン・トゥーイー(キャリー・マリガン)は、当時のドナルド・トランプ米国大統領による性加害を告発すべきか揺れる相手に対し、こう率直に告げる。
「報道機関は法的支援ができません。ご自身で戦わないと」
突き放したような言い方に聞こえるかもしれないが、現実をぼやかせば、かえって不誠実だろう。この社会で、被害を実名で告発することには、多大な犠牲が付きまとう。中傷や脅し、加害者から訴えられるリスクにも向き合わざるを得ない。その不条理を伝えた上で、ミーガンは取材相手にこう告げる。
「あなたに起きたことは変えられない。でも力を合わせれば、あなたの体験が他の人を救う」
この映画では、加害者であるワインスタインの姿はほとんど描かれていない。ここにあるのは「なかったこと」にされてきた女性たちの声であり、大声をとどろかせてきた支配者ではない。それは加害が繰り返された力の不均衡を、表現によって覆す試みのように感じられた。
日本の改正刑法では、「不同意性交罪」の要件が具体化されている。その中に、「経済的・社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること又は憂慮していること」が入ったことは重要なことだろう。ワインスタインの加害はまさに、この地位を悪用し、不利益をちらつかせながら、長年「当然のこと」のように繰り返されてきた。
一方、課題も残る。SDGsの目標でもある、「目標5:ジェンダー平等を実現しよう」に深く関わる点だ。目標には、「公共・私的空間におけるあらゆる形態の暴力を排除する」に加え、「意思決定において、完全かつ効果的な女性の参画及び平等なリーダーシップの機会を確保する」と掲げられているが、果たしてそれはどこまで実現されているだろうか。
表現の現場調査団が公開した「ジェンダーバランス白書2022」では、キャリアを形成する上で重要となる賞での審査員らのジェンダーバランスの不均衡、権力勾配の構造的な問題が浮き彫りになっている。映画界でも、私が身を置く写真の世界でも、だ。
この映画でも、ワインスタインの責任はもちろん、それがまかり通ってきたいびつな権力構造そのものが浮き彫りになっていく。これは決して、海の向こうの遠い話ではない。被害を引き起こす「土壌」がないか、この映画から、私たちの足元を見つめたい。
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