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作詞家・森雪之丞×ミュージカル『ジャニス』日本版! グルーヴを活かす―“歌詞”と“訳詞”の制作秘話

 今年8月に3公演のみ上演され、ライブ感あふれる演出とパワフルさで熱狂を生んだ「ブロードウェイミュージカル『ジャニス』」。その訳詞を手掛けた日本を代表する作詞家・詩人の森雪之丞と、WOWOW事業局 事業部プロデューサーの大重直弥が、公演を振り返り、思いの丈をたっぷり語り合った。

取材・文=三浦真紀

アイナ・ジ・エンドのシャウトを聴いて、彼女なりの『ジャニス』が作れると確信した

Photographed by Leslie Kee

――大盛況に終わった『ジャニス』ですが、森さんが一番感慨深かったことを教えてください。

森雪之丞(以下、森)「僕は60年代ロックに影響を受けて今ここにいるわけで、その時代、僕に限らず誰もが通るといえるのが、ジャニス・ジョプリンの曲。(総合プロデューサーの)亀田誠治さんに『ジャニス』の訳詞を依頼された時は、正直、シャウトをしながら全身全霊で歌い、魂を感じさせるシンガーを、日本人が日本語でどこまで表現できるのか? と思いました。でも、アイナ(・ジ・エンド)とスタジオで初めて会って、彼女のシャウトを聴いた時、すばらしい!! と驚いて。アイナならジャニスをなぞらえるのではなく、彼女なりのジャニスを作ってくれると確信しました。
 緑黄色社会(=リョクシャカ)の長屋晴子さんとも初めてご一緒しましたが、スタジオで歌を聴いたら普段のリョクシャカの彼女とは違い、しっかりブルース、ロック、ソウルのハートを持った歌い方をされていて、これまたビックリ。藤原さくらとは以前に仕事をしていましたが、今回オデッタとベッシー・スミスを演じ、あの時代の黒人系フォークの原型として言葉を丁寧に歌い出す瞬間を見て、やはりすごいな! と。そして、UAと浦嶋りんこさんは元々ブラック系の音楽でずっと活躍されていたので、期待通りでしたね!
 今回は特に、アイナと晴子さんの歌を聴き、自分がここに至るまでにロックからもらったものを彼女たちもちゃんと受け継いでいることが分かった。それが一番うれしかったことと言えます」

森雪之丞

――今回の訳詞について想いを教えてください。

「これまでブロードウェイ作品など多くの訳詞を手掛けてきましたが、英語を日本語にすること自体、本当は無理なところがあるんです。英語と日本語では同じ“尺”の中で情報量が異なり、英語をそのまま日本語にするとメロからはみ出してしまって、逆に意味を先行させると音楽的なグルーヴが失われてしまいがち。僕は演劇畑ではなく音楽畑の人間なので、どこまでできるかは置いておいて、訳す以上は音楽としてのビート感やグルーヴにこだわってきました。だからこそ“ジャニス”というテーマは僕にとって本当に意味のある仕事でした。
 もう一つ、“訳詞”ではなく“作詞”について。僕が音楽に目覚めた頃、日本の音楽がビートを持ってロックに近づいた頃から、詞より曲が先に作られるようになったんです。つまり、メロディーがあり、それに合わせて詞を書く。多分、今のアーティストの85%ぐらいは先にメロディーを作っていると思います。一方、訳詞の場合、書くべき内容は決まっているけれども、言葉をメロディーに乗せるという意味では、作詞家としての経験が功を奏しました。オリジナル曲でもメロディーに意味とグルーヴがある言葉を乗せていくかをずっと考えてきて、それが役に立った。プラス、歌い手もどうしたら日本語をビートに乗せられるかを考えてきたわけで、『日本語はロックにならない』と言われた時代から、いかに乗せるかに注力する時代に変わり、そんな音楽を当たり前のように聴いてきたアイナや晴子さん、さくらたち。彼女たちは説明をしなくてもその意図をくみ取り歌ってくれた。だから、日本語なのにジャニスの歌を違和感なく楽しめた、伝わったという声をいただけたんだと思います。40年、50年かかって日本語も工夫次第でロックに乗るようになった。その点でも『ジャニス』は感慨深い、意味のある作品になりました」

――大重さんはプロデューサーの立場から、『ジャニス』の訳詞の制作過程についてどう思いましたか。

大重直弥(以下、大重)「『ジャニス』はWOWOWにとって、そして僕にとっても初めてのミュージカル制作で、すべてが新鮮でした。僕はかつて映画部に所属していて、そこで日本語版の字幕制作に関わり、限られた文字数の中で英語を日本語に訳して収めるという、特別な技術に触れていました。訳詞はさらに『音』にはめる必要があり、より高度な技術を目の当たりにさせていただきました。
 森先生は大御所のイメージがあったので、訳詞を渡されて『はい、これでよろしくね!』で終わりかと思っていたんです(笑)。だけど実際は、出演者の皆さんの意見をじっくり聞きながら調整したり、どうしたらより良くなるかを考えて、先生からご提案いただいたり…。それこそ僕の意見も反映していただいたこともあって本当に感激しました。
 ジャニスの楽曲は、歌詞を自分ひとりで書き切っているものはほとんどなく、いろんな人がいろんな想いを込めて書いたものなんです。ジャニスの言葉でない分、ある意味、解釈に正解がないとも言える。その歌詞を2022年の東京で、多くの議論を経て先生に仕上げていただいた。その過程に携われたのは私にとって財産です」

大重直弥

「シンガーの言葉になるまでは、アレンジも含めて、みんなで作るのが音楽。今回はそれができたのが良かったと思います。ミュージカルの世界は基本、(音楽監修の)“先生”がいるんです。特にオーケストラから始まるミュージカルは、その先生がまとめていかないと音楽として成立しなかったりもします。その一方で、今は『キンキーブーツ』のようにバンド主体のミュージカルも多く、もっと言えばリン=マニュエル・ミランダ作の『ハミルトン』のように、ラップで綴られるミュージカルもある。つまりブロードウェイではレナード・バーンスタインがすばらしかった頃から、その時に一番伝えられる音楽を先取りし、時代に合わせてさまざまなスタイルに変化してきた流れがあるわけです。
 今回、亀田さんが舞台に挑むために、“亀田組”と呼ばれる、スタジオで最も活躍し、アーティストのバックでも引っ張りだこのミュージシャンたちが集まりました。それ故、今までのミュージカルとは違うものが生まれたし、それはWOWOWだからできたこと。既存のやり方を踏襲するのではなく、初めてのことに対して斬新に前向きに取り組んでくださった結果、ブロードウェイ版とは異なる、音楽とミュージカルの全く新しい融合が成立したんだと思います」

――WOWOWオリジナルのミュージカル制作について、思うところはありますか。

「僕はWOWOWのヘビーユーザーでファンなんですよ。毎月のプログラムガイドが届いたら、見たい番組に印を付けちゃうくらい(笑)。WOWOWには、映画、音楽ライブ、ミュージカル、演劇…とすべてがそろっていますから。そもそも舞台のミュージシャンと音楽のミュージシャンでは、微妙に世界が違うもの。そこを、亀田誠治、そして幅広いジャンルをそろえているWOWOWだからこそ、コンサートライブ的な気持ちを失わずにミュージカル作品を立ち上げられた。音楽のフィールド、ライブ寄りの作品が生まれたのは、WOWOWのセンスによるものでしょうね」

大重「このキャストとミュージシャンが、このタイミングで集まったことも奇跡的だったと言えます」

日本版だからできた『ジャニス』にみんなの力でたどり着けた

――今作のお気に入りの歌詞を教えてください。

大重「たくさんありますが、個人的に好きなのは、ジャニスが歌う〈Stay with me〉の歌詞で、英詞では『Why don't you stay with me? won’t you stay with me』、という『一緒にいてよ』くらいの軽いニュアンスのところを、先生は『ひとりにしないで』と心にグサッとくる詞に訳されました。ジャニスの歌は男性に向けたものが多いですが、この詞は観客に向けての意味もあり、きっと観客の皆さんはアイナ・ジ・エンドとずっと一緒にいたいと思われたのではないでしょうか。舞台ではラストシーンで、ジャニス本人の写真が後ろのスクリーンに映し出されて、この後ジャニスが亡くなったことが示唆されるわけですが、深い孤独を抱えながらも瞬間瞬間を本気で楽しむ彼女がいたんだと、毎公演ウルッとくる瞬間がありました」

「すごく大事なポイントとしては、本場ブロードウェイの『ジャニス・ジョプリン(A Night with Janis Joplin)』は、主演の俳優(メアリー・ブリジット・デイヴィス)がジャニス本人に似ているんです。もちろん英語で歌うのだから、ジャニスっぽい人がやらないと舞台は成立しない。だけど日本人が演じる場合、物まねは無理だし、まねする必要もない。アイナは、アーティストである彼女自身にジャニスを取り入れながらアイナ独自の表現で演じ切った。日本語で、日本版だからできた『ジャニス』にみんなの力でたどり着けた。それが僕はすごくうれしかったです」

――もとは男性に向けた歌詞が、日本版では観客に届く歌詞になったことで、観客が自分のものとして受け取ることができたのでは?

「確かにそこは苦労したところです。ジャニスの曲は時代的に、男性に対する愛、恋、裏切りなど、男女のいざこざが多くて。日本語にする際には、あまり色恋ばかりにならないように心掛けました。またこの作品がよくできているのは、ジャニスのオリジナル曲だけではなく、ジャニスが影響を受けたシンガーたちの曲も取り入れているところ。ロックやポップスはクラシックと違い、答えを継承していくものではありません。だけど、感動して影響を受けた先輩たちがいて、自分たちにつながっている。その気持ちを忘れずに作ることで、次世代にも受け継がれていく。そんな脈々とした音楽の歴史が描かれているところもすばらしいですね」

――他に、森さんが訳詞で大変だったところはありますか?

森「アレサ・フランクリン役のUAが歌った〈Spirit in the dark〉に『It’s like Sally Walker setting in a saucer』というフレーズがあります。『Sally Walker』とは横に平べったいビスケットのこと。ビスケットを“座っている”と見立てて、さあ立ち上がって踊ろうよ! という意味だと思いますが、まず『Sally Walker』がビスケットだと説明する余地はない。しかも『~er』で韻が踏まれていてすごくきれいなメロディーなんですよね…。悩みに悩んで、これは“ウルトラC”をするしかないな! と、『山盛りクッキー みたいなラッキー』としました(笑)。山盛りのクッキーがあってラッキー! と、ワクワクする気持ちを表し、クッキーとラッキーで韻を踏む。UAがこの詞を歌った時にキュートさが出て、クッキーを目の前にしたUAが想像できた。僕自身、相当気に入っているところです。
 訳す時は、歌い手との良いコラボになるように心掛けています。実際、今回はディーバ(歌姫)の皆さんが各自の個性を持っていたため、すごくイメージしやすかった。この人が歌うのなら…と想像することで書ける部分も多いです。特にミュージカルは役の人物像の味を混ぜた言葉を選ぶ、それはミュージカルの訳詞の醍醐味だいごみですね。例えば『I love you』は『愛してる』だけじゃなくて、『惚れたぜ』『馬鹿野郎』などさまざま。そう考えると、訳詞もなかなか楽しいなぁという気になってきましたね(笑)。取り組んでいる時は大変だったから。大重さん、映画の字幕を作るのも大変でしょう?」

大重「はい。字幕は基本的に1秒間に4文字と決まっているので秒数に合わせてどうするか、ですね。訳詞はまず音楽を理解しないとできないですね。譜面に対する理解も必要ですし」

「本当にどうしようもない時は、一音増やすなど譜面をいじったりもしますよ。二分音符や、リズムによりますけど四分音符にはなるべく英語に近い音を乗せる。例えば『Love is cash』という3音を一音一字にすれば『あ』『い』『は』で終わっちゃうけど、『愛』『は』『キャッシュ』とはめれば日本語を使いながらリズムを乗せられます。これは僕に限らず、若い人たちもみんなやっていることですが」

“音楽のバトン”をつないでいくことが目標

――少し戻りますが、キャストの皆さんが歌詞を受け取った時の反応はいかがでしたか?

大重「歌詞をお渡しした時はまずキーのチェックから始めました。反応はそれぞれで、ミュージカル経験のある方々は歌詞にどんどんのめり込んでいかれましたね。最初は音取りに苦労して、その後に歌詞の良さを理解する方もいらっしゃいました。印象的だったのは、UAさんがキーのチェックでOKとなったのですが、いざ歌ってみたら、この詞を表現するなら半音か一音下げたいとご意見をいただいて…」

「ディーバは、日本語をどう歌うかに長いこと取り組んできて、どうしたら一番効果的に表現できるのか分かっているんです。また、亀田さんは自分の意見を押し付けず、みんなの気持ちを引き出し混ぜていくような作り方をされていました。バンドをやっている人はみんなそういうところがある。歌い手も含めてみんなのアイデアをうまくミックスして、セッションしながら作っていく。作り方も含めて、極めて音楽的でした。亀田組の旬のプレーヤーたちには、ミュージカルを観たことがない人もいっぱいいるんです。それくらい世界が離れている。ミュージカルでは、ドラムやピアノが歌い出しの“きっかけ”を出すことも多く、音響効果の担当がやるようなことをバンドが担っていたりするんです。それを楽しめなかったら、ミュージカルはできない。キーボードの斎藤(有太)くんは、普段出さないきっかけを出すことが緊張しながらも楽しかったと言ってくれて。ミュージシャンたちにはもちろん音楽を突き詰めてほしいけど、これをきっかけにミュージカルや舞台にも興味を持っていただけたらうれしいですね」

大重「本当にそうですね。亀田さんと先生、僕らが『ジャニス』で目指した一番のコンセプトは、“音楽のバトン”をつなぐこと。アイナ・ジ・エンドのファンで「ジャニスって誰?」という方に見に来てほしかったし、逆にジャニスのファンの方たちがこの舞台を通してアイナ・ジ・エンド、長屋晴子、藤原さくらを知り、今の日本のディーバたちはすごい! って思っていただけたらうれしい。実際に、アイナさんのファンから「今日もジャニス・ジョプリンを聴いています」という声をいただいて、これこそわれわれがやりたかったことだと実感しました。
 もちろん興行的な成果も大切ですが、作品を通じて、ご覧いただいた方の考え方や暮らしが豊かになる、そんな作品が理想だと思います。今回、初めてのミュージカルでそれができたのは本当にうれしかったし、これからもそういう作品作りを目指していきたいです。僕の個人的な想いとしては、アーティストに限らず、俳優や文化人など、人の生きざまや文化をエンターテインメントを通して届けていきたいですね。先生が亀田さんと作られた『ザ・パンデモニアム・ロック・ショー』、映画なら『エルヴィス』や『ボヘミアン・ラプソディ』、ミュージカルでは『ビューティフル』『ジャージー・ボーイズ』とか…。エンターテインメントを楽しみながら、バトンを継承していきたいです」

「それは素敵なアイデアですね。この作品に関わった当初、亀田さんと、今の日本にはブルースがないと話していたんです。でも長屋晴子さんはブルースの歌い方ができる人で、これまで聴いてきたのかと思いきや、J-POPを聴いて育ったとか。ということは、J-POPにちゃんとブルースの要素も入っていたんだなぁと。例えばDREAMS COME TRUEにしろ、サザンオールスターズにしろ、彼らの音楽にはブルージー、ソウルフル、ファンキーなものも含まれている。そう考えると、J-POPだけを聴いて育っても十分に豊かなフィーリングを持てるのだと、僕にとっては目からウロコでした。J-POPの中に既にいろんな要素が詰まっているから、アイナのファンがジャニスのコアな音楽を聴いても、楽しんでもらえるんだと納得できます」

――そこは日本語上演であることも意味がありそうですね。異国の英語の歌ではなく、日本語で聴くことで身近に感じられ、新しい興味の扉を開くことができる。

「実は僕、訳詞に関して日本語にならない箇所は英語のままでいこうと考えていたんです。ところが亀田さんやスタッフから、初めて聴く若い世代にもちゃんと届くようにというリクエストがあって、かなり初期の段階で軌道修正をしました。結果、それが良かった。日本語としてちゃんと楽しめる、伝わる作品になりましたね」

――『ジャニス』のこの先の展開は期待できますか?

大重「ありがたいことに、『ジャニス』はもう一度観たいとの声をいただいています。まだどうなるかは分かりませんが、ご期待には応えられるように頑張りたいです。11月にロサンゼルスとニューヨークに出張して、新たな作品の種を探す予定なんです。ただ、ミュージカルは簡単にできるものではないと、今回身に染みて学びました」

「それは楽しみが増えますね。やりたいことはたくさんあるでしょうが、まずは『ジャニス』再演っていうのはいかがですか? 僕もまた見たい!」

大重「そうですね、頑張りたいです! これまでWOWOWはミュージカルを長らく応援してきていろんなつながりもできたので、一歩ずつ取り組んでいきたいです」

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